2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(51)

権力が教育を破壊する(34)

教育反動(26):中曾根臨教審(4)


「京都座会の提言」

 京都座会は、世界も日本も危機状態にあるという認識をもとに、その危機を打開するために、
「日本と世界の秩序の構築についても率先して研究、検討、積極的な提言、提案を行っていく」
ことを目的に発足した。そして、この方針に従って、国家経営研究・国際問題の研究・新しい人間観の研究・テクノポリスと国土創成研究・教育問題の研究の6領域が設けられた。教育問題の研究グループは京都座会のコアメンバー全員で構成されていた。すなわち、主査・加藤寛以下、松下幸之助・天谷直弘・飯田経夫・石井威望・牛尾治朗・高坂正尭・斉藤精一郎・堺屋太一・広中平祐・山本七平・渡部昇一である。このうち臨教審の委員にもなっているのは天谷直弘(元通産審議官)と石井威望(東大工学部教授)である。

 上記の天谷・石井もそうだが、それ以外にも私には初めて見る名前がある。ネットで調べてみた。要するにメンバーは、自民党政権が設けるどの諮問機関とも同じで、財界人・元官僚・いわゆる有識者(御用学者・保守系言論人)たちである。中でも歴史歪曲主義者の中心的存在である渡部昇一が加わっていることが私の目を引いた。この会がどのような提言をするのか、おおいに興味がわいた。その提言を確認してみよう。

ちょっと脇道へ。
 上で私は「歴史歪曲主義」という言葉を使ったが、一般には「歴史修正主義」が使われている。私は常々「歴史修正主義」は事実を誤解させる言葉であると不満に思っていた。そこで私はこれまで「正」を修正して「歴史修偽主義」と表記してきた。
 ところで、昨年の『週間金曜日1014号』(10月31日刊)の表題は「歴史修正主義 日本の政治家に蔓延する病」と「「歴史修正主義」を使っていた。これにも不満を感じていた。ところが1024号(1月23日刊)の表題では「歴史歪曲主義」と表記されていた。ウン、これがピッタリだと思った。以後はこれを用いることにした。


閑話休題。
 京都座会の提言は次のようである。

「提言1」
 学校の設立を容易にし多様化すること。

 そこでは学校設立に伴う規制や指導を緩和し、誰でも自由に学校を設立できるようにし、学校の種類を多様化することを主張している。

「提言2」
 通学区域制限を大幅に緩和すること。

 現在あるすべての通学区域の制限を大幅に緩和し、学校選択の自由を拡大すべきであると主張している。

「提言3」
 意欲のある人を先生にすること。

「提言4」
 学年制や教育内容、教育方法を弾力化すること。

 これまでの固定的な学年制を弾力化し、子どもの学力に応じて、飛び級制度を設けること、教育内容やその方法も、学校設置者によって自由に決定できるようにすべきであると主張する。

「提言5」
 現行の学制を再検討すること。

 例えば六・四制でも六・六制でも、あるいは五・四制でも、設置者が自由に選択できるようにし、さらに、標準学力認定制度に合格すれば、就学しなくてもよい、とすべきである。

「提言6」
 偏差値偏重を是正すること。

「提言7」
 規範教育を徹底すること。

 人が人であるための共通の規範があり、また人が社会人として生きていくため共通の規範がある、として、つぎの項目を挙げている。
① 自分自身の言動に責任を負う責任感。
② 他人の気持ちを思う心の優しさ。
③ 法を守り、ルールを尊ぶ公平な気持ち。

 要するにかねてから財界が強く望んでいたこと、つまり、多様化してきた労働力需要に見合った従順で便利な労働力を欲しているのだ。この提言についても、久保さんが適切な論評を加えている。次のようである。

 こうして見ると、提言は、教育の自由化、学校の多様化と弾力化を押し出し、教育の領域に市場原理を導入し、義務教育さえも競争原理に晒すことを強調したのである。

 したがって、この主張は、父母、地域住民に根を下し、教職員とともに、ひとりひとりの子どもの生長、発達をめざして、地域の学校づくりに努力してきた、戦後民主主義教育の体制を解体しようとするものであった。

 この京都座会の提言は、臨教審の場において、さらに、強力に展開されていった。


 それでは、その臨教審の審議内容を見てみよう。

 久保さんは臨教審の審議内容を
(1) 歴史観
(2) 教育基本法への対応
(3) 教育の自由化論
(4) その他
に分類して、検討している。

(1) 歴史観

 ここでの久保さんの論考はこれまで学習してきた「教育の反動化」の総まとめになっている。少し長いが久保さんの論考をそのまま転載しよう。

 まず、臨教審が明治以降、第二次大戦後の今日にいたるまでの教育史を、どのように認識しているかを見てみたい。過去をどのようにとらえるのかを知ることによって、現状認識を、そして何を改革しようとするのかを知ることができる。

 端的にその歴史観を示しているのは、
「明治、大正、昭和の日本の追いつき型近代化は、成功のうちにその百余年の歴史的役割を終えた」
という叙述である。

 そして、
「この『第二の教育改革』(戦後教育改革)によりもたらされた義務教育期間の延長、高等教育の大衆化なども、大局的にみるならば、明治以降の追い付き型近代化時代の教育の延長線上にあるものであり、その意味において、明治以降の追い付き型教育は、戦後の『第二の教育改革』により補完されたとみることができる」
とのべることによって、臨教審は、戦前・戦後の教育を連続的に追い付き型ととらえるという一面的、単純な史観におちいっているのである。しかも、それは、成功裡に歴史的役割を終えたととらえる歴史観でもあった。

 しかし、この連続説に対しては、厳しく批判されたこともあり、「審議経過の概要(その3)」以降は、戦前・戦後を連続と断絶としてとらえるようになった。

 「富国富民」という範疇においては、戦前・戦後を連続面ととらえ、「強兵」路線においては、「第二次世界大戦に至る不幸な歴史過程」の帰結が、「無謀で悲惨な戦争と敗戦であった」とし、その結果、
「軍国主義・極端な国家主義が否定されたことは、戦前と戦後の教育の非連続面として正確に認識しておかなければならない」
としたことにそれが現われている。

 これは、一歩前進として評価しておこう。そして、敗戦の結果として、
「『強兵』目標の否定、『富国』目標への集中を可能にし、それが、世界の奇跡ともいわれた戦後日本の高度経済成長時代をもたらした」
とのべているが、その基盤となっている日本国憲法第九条についての記述を欠いているのは公平ではないというべきである。

 しかし、「富国富民」の連続史観においては、強兵への道を、昭和の戦時期に限定することによって、明治以降の天皇制、国家主義、軍国主義、戦後の官僚支配、政党支配の強化の事実を免罪し、人類普遍の諸価値に根ざす戦後教育改革への積極的評価を作為的に無視しているのである。

 たとえば、明治期において、教育勅語に言及している記述がある。
「欧米化、近代化に伴う社会的統合の崩壊を防止するものとして、また欧米化との心理的均衡を図るために」
「教育勅語」が出されたことを「貴重な教訓」だとのべている。

 教育勅語が、日本の教育にとって如何なる負の役割を演じたのかをまったく問うことなしに、それが一方的に肯定的に取り上げられているのである。この「貴重な教訓」といっていることは、大変意味深長である。後述する教育基本法のところでふれるが、かつて「文教懇の報告」がのべた「不易」と「変化」と同様の発想で、ここでも「不易」と「流行」の用語を使用している。これからの教育においては、国民的合意を前提に、一定の共通目標、基準等を必要とするが、その際「不易」なるものを、それに対応させようとしている。その「不易」なるものを確定するのに、教育勅語が、貴重な教訓になるといっていると判断されるのである。

 戦後教育史においては、前述したように、戦後教育改革の民主主義的性格への評価を欠いていることから、その後の歴史的認識が、必然的に歪んだものにならざるをえなくなっている。
「第二期においては、占領期にほぼ骨組みのできあがった新教育制度に、……我が国の実情に即した手直しが行われた。その後、いわゆる……技術革新と経済成長に基づく教育への社会的需要が増大し、教育の著しい量的拡大が行われた」。
そして、「第三の教育改革」と謳われた中教審答申(1971年)も教育理念の検討を避けたために、不発に終わったのだと批判されている。

 戦後日本の「富国富民」路線にそった、理念なき経済成長が、さまざまな社会病理をもたらし、それが「学校」に集約されて噴出したことも事実である。その教育荒廃の諸要因の一つに、学校教育が画一性・硬直性におちいっている、としてあたかも客観的立場で指摘して、それで良しとしていることは、臨教審としては無責任の謗りを免れないのではないか。

 この教育の著しい量的拡大の時期に、文部省の権限も急速に拡大され、それが、高校以下の学校教育を画一化し、硬直化させたことに、一指もふれないことはどういうことなのであろうか。

 公選制教育委員会を任命制教委に強引に法改正をしたことから始まって、学習指導要領の法的拘束化、勤務評定、全国一斉学カテストの強行、教科書検定の検閲化と連続的に打ち出された教育政策の展開は、戦前以上の教育の中央集権化と教育に対する政治的介入を許容するにいたった。経済大国であることを誇示しながら、学級規模は、1991年まで上限45人学級という基準が継続し、諸外国の場合の現状で平均して小学校29人、中学校・高校26人と比較して、劣悪な状況におかれていた。こうした国家政策の結果によって、学校における硬直化と画一化がもたらされたのである。

 こういった歴史認識に立脚した現状分析においては、現実の諸問題を正しく反映することは困難である。

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