2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(49)

権力が教育を破壊する(32)

教育反動(24):中曾根臨教審(2)


 これまでに見てきたように、自民党の教育政策は国家主義・能力主義・民族主義・天皇崇拝主義を基本イデオロギーとして国民の全体的統合をはかろうとしてきた。もちろん中曾根はそれを踏襲しているが、さらにその右傾化の流れを強力に推し進めようという意図をハッキリと打ち出した。その論拠の一つとして、1970年代に顕著になってきた教育荒廃現象があった。第一次中曾根内閣の瀬戸山三男文相が、1983年2月、次のように語っている。

「日本の道徳・伝統・風俗・習慣などを破壊することが占領政策の指令だった。校内暴力や青少年の非行の一番深い根は占領政策の影響だ。」

 教育荒廃問題の核心をすりかえて、自民党が推し進めてきた反動的教育政策をまったく顧みることがない。自民党にはここで表明されている「占領政策への怨念」とも言えるようなトラウマがはびこっている。内務官僚出身の中曾根首相にとってはその思いがひときわ深かったと思われる。

 中曾根といえば、すぐ思い出すのは「日本列島=不沈空母」論である。私にはたいへんな驚きだった。日本がアメリカの属国であることをこれほどハッキリと表明するとは! しかし一方では、靖国神社公式参拝を強行してアメリカの顰蹙を買っている。アメリカへの拝跪と国粋主義への執着というジレンマに陥っている。このジレンマは小泉→安倍としっかりと受け継がれている。安倍の集団的自衛権を核とする憲法破壊政策も、昨年10月に発表された「日米防衛協力指針(ガイドライン)改定に向けた中間報告」に忠実に反映されている属国政策にほかならない。靖国神社公式参拝も強行している。中曾根・安倍の精神構造は一卵性双生児のようにそっくりである。

 中曾根と同じ「占領政策への怨念」というトラウマを安倍もわずらっている。昨日(1月29日)の衆議院予算委員会で、安倍は「憲法改正」について次のように答弁している。
「占領されている時代に基本的な大きな仕組みがつくられた。21世紀にふさわしい新たな仕組みを自分たちの手でつくっていくべきだと考えている。これは私の信念だ。どこから改正をしていくか憲法審査会で活発な議論が行われている。国民の議論が広がり、深まっていくことを期待したい。」

 ところで、瀬戸山が占領政策に責任をなすりつけた1970年代の教育荒廃の原因とその現象はどんなだったのだろうか。これについては羽仁さんの談話を転載しておこう。

 次の問題が学習指導要領、最初は文部省も教育基本法が規定するように、教育の条件の整備に専心すべきで、教育の内容にタッチすべきではないということを自分でいっていたんだよ。ところが、今では教育の内容のスミからスミまで、口を出すようになった。これがいわゆる詰め込み教育になったわけだ。とても小学校ではこの文部省のいうことを教えこもうとすると教員はこなせない。したがって市販テストなんていうものを使うんだよ。するとこの市販テストで儲ける奴があり、文部省は汚職をするようになる。まったく、あらゆる罪悪の渦の中に教員を放り込んだんだね。

 そこに入試地獄というのも出てくるんだ。これは実際想像する以上にひどい。一つの実例だが、ある音楽学校で、自分よりよくできるバイオリン科の学生の指をつぶしたという例があるんだよ。これが文部省教育なんだ。また、自分よりよくできる子供が、中学へ進学する時、あいつ病気になればいいと思っているんだよ。今の入試地獄というのはここまできている。中学から高校へ進学する時は、死ねばいいとさえ思うようになっている。日本では、教育を受ければ受けるほど、人間じゃなくなってくるんだよ。教育を受けない人間がいちばん、人間的だなんて、実に皮肉なことじゃないか。戦争中でも、小学校へ行って教育勅語を聞いたら、もうそれだけで、頭がおかしくなってしまう。こんな教育を幼稚園から小学校へ行く時、小学校から中学へ行く時、中学から高校へ行く時、高校から大学へ行く時、都合四回やるんだからね。四回もこんな教育を受けてきた人間がまだ人間であるというならば、その方が奇跡ですよ。

 これらのことは『読書人』の"四角三角"でもいっているが、今東京近郊のある県で50日以上の長期欠席が小学校では15パーセント、中学では35パーセント、実数約700人をこえる子供達が"学校嫌い"になっている。小中学生の自殺も、一つの自殺事件のかげにはその3倍か4倍の自殺未遂がある。教師の過労も、東京では小、中、高あわせて、36パーセントの教師が、岩手では実に76パーセントの教師が健康をそこね、病院通いをしている。千葉のある市では10人の退職者のうち、2人がノイローゼ、徳島では7人に1人、東京と関東6県では16人に1人が神経系障害をおこしている。これが学制百年、国家主義による文部省の教育荒廃の現実だ。

 これでもまだ足りないというかのように、今度は教員の大学院計画だという。今、全国の小中高の先生は120万人、これに対する文部省の大学院の入学定員は400人。子供の入試地獄よりも、また深刻な入試地獄に教師がつきおとされる。その入学には任命権、すなわち教育委員会の推薦を得たものというのが条件だ。教育委員会の御墨付を取るには、同僚をおしのけて、校長の思召しをよくしなくては、ということになりかねない。どんな教師ができるか、同僚をおしのけて120万の中の400人、3000人に1人の特権、差別に献身する教師、考えただけでもぞっとする。こんな恐ろしい文部省は廃止よりほかない。

 さて、中曾根が臨教審を設置するまでのいきさつを追ってみよう。

1983年1月24日
 中曾根は初めての施政方針演説で、「戦後政治の総決算」という政治姿勢を打ち出した。
「私は、日本が、戦後史の大きな転換点に立っていることをひしひしと感じる。今こそ、戦前戦後の歴史の中から、後の世代のために何を残し、何を改めるべきか、そして我々はどこに向かって進むべきかを真剣に学びとり、新しい前進のための指針とすべきであると思う。……時代の激変に対応して、我々は従来の基本的な制度や仕組み等についても、タブーを設けることなく、新しい目で素直に見直すべきでもあると思う。」

 上に掲載した安倍の答弁となんとよく似ていることか。

 この決意の中にはとうぜん「戦後教育の総決算」も大きな比重で含まれていたはずだ。中曾根はすでに行政管理庁長官時代(1981年7月27日、国策研究会会員懇談会の席上)に、
「第二臨調の次に必要なのは教育大臨調だ。文部省の中教審程度のスケールの小さい技術論による教育改革ではなく、教育体系の基本的なあり方まで掘り下げるような教育大改革があってしかるべきだと思う。行革はいわばその精神的な先駆である」
と、いささか唐突に「教育大臨調構想」を打ち上げている。

 1983年夏の参院選で、中曾根は「教育改革」を公約にかかげた。選挙遊説で教育の話をすると、聴衆が熱心に耳を傾けてくれたことから、その年末に行われた総選挙に際しても、教育改革を国民に強く訴えていた。

 しかし、教育改革で集票を目論んだ総選挙は敗北に終った。第二次中曾根内閣は新自由クラブとの連立政権として発足した。

1983年12月27日
 組閣後の記者会見で、中曾根は次のように力説している。
「先祖をおまつりする。親に孝行する。兄弟仲良くする。礼儀を守るなどの儒教の精神はどこへ出しても恥ずかしくない。仏教の慈悲、キリスト教の愛、神道の清き明らけき心、そういう美徳はやはり美徳だ。日本の民族の精神的土壌を考えつつ、新しい教育体系を考えるべきだ。……日本人が愛国心を持ち、かつ実行することは日本をさらに前進させるために絶対に必要な条件だ……、教育とは民族の個性や歴史や風土や社会体質を無視して適合するものではない。」

 このように、中曾根の教育観の根底には復古的な国家主義教育理念への強い固着観念が随所に現れている。

1983年6月14日
 中曾根は首相の私的諮問機関として、井深大(ソニー名誉会長)以下7名で構成される「文化と教育に関する懇談会」を設けて、
「六・三・三・四制の教育制度の見直しにも触れていろいろ論議があるがメリツト・デメリットを自由に議論し、検討してほしい。」
と諮問している。

1984年2月15日
 中曾根は、臨教審設置の方針を決めた後、衆院予算委員会で次のように述べている。
「教育基本法の解釈は、私の考えが中曾根内閣としての解釈であり、愛国心や親孝行を教育目的として教えてしかるべきだ。」

 ここで中曾根が「教育基本法の解釈」言っているのは「第一条(教育の目的)」の解釈である。その条文は次の通りである。
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、[真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた]心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」([]は私が付した。)

 [・・・]の文が「心身ともに健康な国民」が身につけるべき素養を示している。中曾根はこれを「愛国心や親孝行」で置き換えて解釈したいと言っているのだ。これは第一条の目的条項を、このように解釈を変えることによって、保守党の教育観や教育理念を教基法に定着させようとする政治手法である。中曾根には憲法改悪の野心もあった。しかし、憲法改悪も教育基本法改悪も抵抗が多く実現が困難であることから、条文の解釈を変更することによって、実質的に改悪の効果を得ようというわけである。

 つまり、現在アベコベ政権がやっている解釈改憲の手法はここに先例があった。第一次阿倍内閣は教育基本法を強引に改悪したが、いま解釈改憲をてこにして、憲法の全面的な改悪も視野に入れた動きを始めている。

 ちなみに、安倍が改悪した教育基本法の第1条は次の通りである。
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として[必要な資質を備えた]心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

  [・・・]の部分を、[愛国心や親孝行]で置き換えたいのだが、そうしたあからさまな変更をはばかって[必要な資質]と、その時々の国家権力の都合に合わせてどうにでも解釈可能な抽象的な玉虫色の文に変えている。お二方ともに「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身」がよほどお気に召さないようだ。
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