2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(46)

権力が教育を破壊する(29)

教育反動(21)


(以下、鈴木和久・二本柳実・松田勲共著『教育労働者の戦争協力拒否宣言 闘う日教組再生のために』(労働者学習センター刊)の「高知の勤評闘争」の部分をそのまま引用します。)

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「高知の勤評闘争」―地域反動との攻防にうち勝って」


◆高校生や部落大衆と共闘して九波のストを敢行

 愛媛の闘いでは、校長を前面に押し立てたところに弱点があったとされてきたが、高知県の勤評闘争は、その校長たちが最後まで抵抗し、免職処分を受けてまで闘いを貫いたところに一つの特徴がある。しかし、もっとも特筆されるべきことは、山村地域や漁村地域で地域反動の攻撃を受けながら、実に九波にわたる一斉ストライキを一年間の間に敢行して闘いぬかれたことにあった。

 そのような闘いが可能となった背景として、56年以来、県教組が先頭にたって、全県民とともに「高校全人運動」に取り組んできたことがある。これは、勤評闘争をはさむかたちで62年以降の教科書無償運動へと引き継がれていくのだが、県教組の闘いと部落解放同盟との共同闘争が大きな力となっていた。また、全国で唯一実現していた県立高校の「無試験全人制」を、県が財政難を理由に掘り崩そうとしてきたことにたいし、全県下から反対運動がまき起こり、高校生も立ち上がって高校生徒会の連合体として「高知県高等学校生徒会連合会」を結成していた。この闘いがあったことで、勤評攻撃を前に高校生を含めた全県民的な勤評反対の共闘体制があらかじめ準備されていたのだ。

◆激烈な地域反動との対決に

 高知での攻防は、58年の冒頭から始まっていた。

5月14日
 県教委がついに勤評試案を発表
5月31日
 県教組、県総評、解放同盟、それに大学、青年婦人団体が加わって勤評粉砕高知県委員会を結成
6月4日
 県民大会を開催し、4000人が結集
6月7日
 県教委が、警官180人に守られて早朝に突如勤評規則を決定
6月22日
 勤評粉砕父母大会、5000人が結集してデモ行進
6月22日
 県教組校長部が緊急総会を開催

 校長たちの態度は初めから決然としていた。
「私たち校長は、教師の良心にかけて勤評に絶対反対することを再度表明すると同時に、校長は管理職でなく、教師はもちろん、県民の皆様と共に民主的な教育を守り続けていくことを確信をもって再び声明いたします」

6月26日
 県教組が全一日ストに決起

 組合員7000人が休暇をとって全員高知市内に結集した。スト突入率は実に99%だった。

 この闘いに対して、反動がまき起こった。6月27日から、郡部の23校区で反動的な父母が子どもの同盟休校を行い、山村地域では、民有の教員住宅から立ち退き要求をした例まで起きている。地域ボスの扇動によって少数の教育労働者を村民がとり囲み、ストをやめろ、日教組をやめろ、教師をやめろ、とつるしあげる事例が相次いだ。しかし、それでも県教組は闘いをやめなかった。逆に、労働者・学生のオルグ団が高知市から山間部に分け入り、村民の説得活動が開始され、その先頭に教育労働者が立っていった。

7月18日
 県教組が第二波抗議ストを敢行
9月15日
 日教組の正午授業うちきりの全国統一行動に高知県教組は第三波スト

 この日は、全学連も全国でストライキに立ち上がった。その後も、高知では10・14第四波スト、10・28全国統一行動に第五波ストへと連続して立ち上がり、この58年の間に10数回の統一行動、そのうちストライキを9回打ち抜いたのだった。それだけに、反動も激しかった。

9月4日
 日教組の小林武委員長が不当逮捕
10月11日
 反動的な地域住民の同盟休校を受けた校長2人に停職処分
11月29日
 6・26ストライキをめぐって、校長431人など455人に行政処分

 この大量処分に対する抗議行動に警察権力が介入し、50人が逮捕されている。そして、12月に入ると、山間部である仁淀村に激励オルグにかけつけた日教組中央の小林委員長らに対して地域反動が襲撃をしかけ、多数の負傷者が出る大事件まで発生した。

12月15日
 高岡郡仁淀村で「流血の森事件」起こる
12月20日
 第九波実力行使として10割休暇のストライキ。組合員参加は8000人

 評定書の提出期限は12月10日だったが、実際に提出されたのはわずかに17校、2%以下であった。土佐清水市の教育委員会が勤評規則の撤回を決める動きまでおこって、全県下で提出期限を延期せざるをえなくなっていった。

◆長期の不提出に校長への大量処分

1月30日
 校長434人をはじめ、455人に再度処分攻撃

 このような攻防をへて、高知県ではその後、数年にわたって評定書提出を阻止し続けることとなる。その間、校長に対する処分がくり返され、懲戒免職4人、分限免職10人、教頭への降格27人、停職は9人にのぼった。

 この勤評闘争以後も、高知の校長たちの中央統制に対する抵抗感が伝統的に継承され、91年からの「日の丸・君が代」攻撃の際にも、校長に対して大量処分がくだされる構図が続くことになる。高知では14人の校長免職は見せしめとはならなかった。勤評闘争を体験した当時の青年教育労働者たちが、管理職になってからも教育者としての生き方を変えることができなかったということだろう。しかし問題の核心は、教育委員会が管理職すら支配できないような力関係を58年勤評闘争の階級的な実力ストライキがつくり出したということなのだ。

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 以上が『教育労働者の戦争協力拒否宣言』が記録した高知県における勤評闘争のあらましである。この中に「流血の森事件」という聞いたことのない事件名があった。どんな事件なのか知りたいと思ってネット検索したがこれを直接解説した記事は見つからなかった。しかし、それに代わる資料として、「第031回国会 文教委員会 第2号」という速記録に出会った。この文教委員会での議題の中に勤務評定があって、その中で「流血の森事件」が取り上げられていた。高知県選出の参議院議員(社会党)・坂本昭氏の質問の中で語られている。およそ次のような事件である。

「この高知県で行われました事件については、もうすでに十月の終りからの事件でありまして、このことについては当然文部当局としても十分な調査をしてこられたと思うのであります。私はその間における適切な指導を欠いたためにこのような流血騒ぎを起したと考えまして、非常に遺憾にたえない次第でございます。特に報ずるところによりますというと、重傷八名、軽傷二十名、しかもこの重傷八名の中には教員組合の委員長並びに問題の起っておる学校の教員七名が入っている。しかも重傷を負った状況を見ますと、教育父母会議の会長初め全員約三十人が酒を飲んだ上、トウガラシの目つぶしや火ばち、消火器を投げつけて一時間にわたって集団暴行を加えた。大臣としても、当然この教育父母会議というものがどういう成り立ちで起ってきたかということはよく存じているはずであります。私もよもやこの教育父母会議が暴力団体であろうとは実は知らなかった。そうしてそういうものの存在を今まで大臣が黙認といいますか、認めてきたということはこれはまことにゆゆしき事態であると考えざるを得ません。」

 この事件について何人かの議員や文部官僚が発言をしている。もちろん、文部大臣はじめ文部官僚や自民党議員は教員を悪者扱いし、「教育父母会議」を擁護している。例えば、文部大臣(灘尾弘吉)は次のように答弁している。

「私はお話になりました高知県の森小学校と申しましたかの事件のごときも非常に遺憾な事態であると、かように考えるのでありますが、何がゆえに善良なる森の住民諸君がそういうふうな状態になったかというふうなことも、これは一つ考えなければならぬ問題だと思うのであります。お互いに勢いのつのるところ、ついいさかいの激しいということになりがちなものでありますけれども、私は森小学校の事態は私の承知いたしておりますところによれば、学校の教職員諸君がその要求を貫くために、いわゆる職場放棄と申しますか、教壇放棄というふうなことをあえてする。それをしてくれるなというふうなことの話がだんだんこじれてきて、こういうふうな状態になってきたのじゃないかと、教員諸君がいろいろな要求を持つということをかれこれ申すのじゃございませんけれども、やはり職場を大事にしてもらいたい、教壇の放棄というふうなことは避けてもらいたいということは、前々から私の申し上げておるところでございます。地元の教育を愛する住民諸君がさような点において憤激をしてこういうふうな事態になったのではないかと、こういうふうに私は承知するのであります。」

 もう一つ、自民党参院議員・大谷贇雄(よしお)の発言。

「教壇を放棄して勤評反対闘争に終始しておるというような事態は、私ども一体日本の教育者の師道が確立をされておるかという点につきまして非常な憂慮を実はいたすのであります。先般来すでに二ヵ年にわたって各地で教育問題をめぐっての反対闘争騒ぎが起っておりまするが、私どもは先生というものは七尺去ってその影を踏まないというような尊敬の念を持って常におるのであります。この年になっても私どもは先生の恩はそれこそ山よりも高いと実は考えておる。そういうふうに国民から尊敬さるべき先生がねじりはち巻をしてすわり込みをやったり、あるいは腕を組んで貧乏ゆすりか何か知りませんが、スクラムを組んでやってなさるというふうな事態が一般の世人、ましてや教育を受けておる学童たちに与える印象というものは、私は一生拭い去ることのできんようなおそるべき印象を与えておると思う。そういうようなことをあえてしてまで反対闘争に終始をしておられる一体そういう先生方の反省がなされぬということがこの高知県のまことに悲惨な状況を生み出したものだと思う。」

 勤評という教員支配のための悪法をごり押ししながら、なんともそらぞらしいお説教をたれている。鉄面皮なお人たちだ。

 ところで、この後の坂本議員の発言の中に次のような指摘がある。
「教育父母会議を結成させたところの裏、さらにまた高知県におきましては自由文教人連盟という組織があります。」

ここに出てきた「自由文教人連盟」という組織名は実は「権力が教育を破壊する(22)」に現れている。その部分を転載する。

『「検定を厳正にするため」として教科書検定審議会に新たに加えられた高山岩男(反日教組を旗印とする自由文教人連盟を結成した中心人物)であることがあきらかにされた(『週刊朝日』56年12月2日)。これは「F項パージ」と名づけられ、強い批判をうけた。』

 この「自由文教人連盟」という組織について詳しいことを知りたいと思ったが、ネットにはそのような記事はなかった。しかし、当時の文部大臣は知っていたようだ。坂本議員の指摘に対して灘尾文相は次のように答えている。

「自由文教人連盟が教育のことをいろいろ心配いたしまして活動しておられるということは私は承知いたしております。別にこれが不都合な団体とも考えてはおらないのであります。何か不都合な事例でもあれば別でありますが、私としては今格別不都合な団体である、あるいは暴力的な団体である、さようには承知いたしておりません。」

 これに対して、坂本議員はこの組織の本性を次のように指摘している。

「自由文教人連盟のことについて若干話がありましたが、まだどうもいろいろな点で御認識が足りないのじゃないかと思いますので、一つ実例をお話いたしたいと思います。それは、いろいろと問題を起しておりますが、安芸の高等学校で二人の教員が停職十ヵ月という処分を受けております。ところが、この停職の理由が実は一つも明らかにされていない。しかも、そのための調査も十分されていない。調査が十分されていないことは、教育委員会自身も認め、また安芸の高等学校の校長自身も認めているんです。そうした中で停職十ヵ月という非常な強い処分がなされている。ところが、これの内幕を見ますというと、安芸の高等学校の前PTAの会長が、これが高知県の教育委員会の教育委員の一人に任命されたんです。そして、この人は自由文教人連盟の幹部であります。そして、この自由文教人連盟と県の教育委員とはかなり密接な結びつきを持っているのであります。いい意味での教育効果の向上のためならいいんですが、こうした理由のない停職処分をやる、こうした点にこの自由文教人連盟というものが活躍をしている。またいろんな、森小学校の場合でも私は相当な金額を使っていると思われる節があるんです。たとえば、六人も七人も先生を雇う。そしてこの先生たちは、まことにお恥しい話でございますけれども、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗」のあの昔の古い教育勅語を教えておったのであります。これは、さすがに父兄たちが腹を据えかねて、おれたちにわからないようなことを小学校の生徒に「朕惟フニ」を教えることは困る、こういう教師はやめてくれというので、自由文教人連盟差し回しの教師を、この父母会議の人たちが首を切ったという事件も実はあるんであります。」

 このような大日本帝国のゾンビのような組織が教育問題の裏で暗躍しているのだ。

 思いがけず長くなってしまったが、以上で「高知の勤評闘争」を終わろう。
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