2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(45)

権力が教育を破壊する(28)

教育反動(20)




 「試案」を全区市町村教委・公立学校長・教職員組合などに送りつけた東京都教育委員会のその後の動きはおおよそ次の通りである。

1958年

1月
 小・中・高校長会に「試案」を提示し説明を開始。
2月6日
 都教組、都高教組に対し、勤評基準案を提示。

 この勤評基準案は、教育長協議会試案とほぼ同じものであった。都はこれを4月1日公布、9月1日実施したいので了解されたいと組合側に申し入れた。

 これに対し、勤評は教育の民主化をはばみ、教師の勤務条件を不利にするとの立場をとっていた組合側は、「勤務評定案は、いっさい受け入れることはできない。いずれ改めて回答したい」と返答した。都教組は最悪の場合はストライキも辞さない基本方針をすでに決定していた。日教組は全国から東京に動員をかけていたし、総評もこれを支援した。

(ここでちょっと愚痴。現在では日教組は全くの御用組合になってしまったし、総評は連合という御用組合に乗っ取られてしまっている。)

 このような組合側の強い反対を受けて、都教委は4月7日に予定していた勤評実施の決定を延期したが、4月23日、わずか27分の審議で勤評実施を決定してしまった。

 この都教委のごり押し対して、都教組は勤評反対10割休暇闘争を実施した。これに続いて
5月7日福岡
6月5日和歌山
6月26日高知
で10割休暇闘争がおこなわれるなど、全国で勤評反対闘争が激化していった。

 さて、4月23日の都教委の勤評実施の決定に対して、北区割船小学校長であった伊藤吉春校長は、勤評提出に疑問をいだき、本島都教育長に対し次のような書翰を送った(以下の資料として、教科書Cは伊藤吉春著『勤評闘争二十年』を用いている)。

 先日はお忙がしい所をお邪魔致しました。その後いろいろ考えましたが、やはり今のままで勤評を書くことはどうしても私の良心が許しません。良心を裏切ることは勤評の精神にも反することであり、教育者として致命傷だと思います。

 そこで勤評不存在確認訴訟を提起し、その結論がでるまでは勤評を書くまいと一度は決心しました。しかし私の学校の職員は、それは一人だけ犠牲になることだからどうしても止めて貰いたい、といってききません。

 折角の職員の志を無にすることは、将来の学校運営に良い結果をもたらさないと思い一応提出することにしました。しかしその前に次の点だけは明らかにして頂いて、気持よく出させて頂きたいと思います。

一 今後秘密性をなくし不当な評定に対する救済の道を開く用意がありますか。
二 憲法が保障する自由権を侵害する恐れがあると思われる点(例えば勤務状況の)を削除する用意がありますか。
三 あまりに抽象的であったり基準があいまいであるために被評定者にとって不当又は酷な結果になる恐れがある点(例えば特性能力のイ、ト)を削除する用意がありますか。
四 勤務時間外にまで評定が及ぶ恐れがある点(例えば職務の状況のホ、ハ)を削除又は根本的に修正する用意がありますか。
五 総評を削除又は根本的に修正する用意がありますか。

 右の諸点について十五日朝までに御面倒でも文書で御回答をお願い致します。

    九月 日 伊藤 吉春
 本島 寛様

 勤評は全否定するしかない悪法である。伊藤校長も勤評提出それ自体を良心に反するものと考えていたことが分る。しかし、未提出の結果招来するであろう懲戒処分を危惧する所属校の教員からの信頼や懲戒処分による学校運営の混乱を勘案して勤評を提出することにした。しかし、勤評内容のもっとも不合理な部分について、当局の改善意志の存否を確かめてから、その去就を決しようとしたのである。

 これに対する本島教育長からの返事は、次のようである。

 御書翰拝見しました。御照会の件については次のように考えています。

 一の非公開、秘密性の保持は大事なことですから変更する意図はありませんが、本人にだけは明示しても、その求めがあるならよいではないか、と云うことだろうと思います。その点については現在の事情のもとでは、本人にも見せない方がよいと考えています。然し『不当な評定に対する救済の道を開く』方法が、現在考えている調整以外に適当な方法としてあれば、検討したいと思います。

 二から五までの点について現在勤評に関する研究協議会で方法や内容について検討中ですから、そこでいろいろな問題点を出して頂き、更にその問題点については学識経験者の意思を聴く等審議検討をつくした上で、改めた方がよいと思えば改正したいと思っています。

 方法や内容について各種の意見はあるが、いずれも実施の経験のない者から出されていることですから、ともかく第一回の提出をまち、その実績に徴して経験に基づいた反省と研究によって、今後ともより良い評定ができるように努力をつづけるつもりです。十三日夜出張先から帰りましたので、少々遅れましたが悪しからず。

   九月十四日 本島 寛
 伊藤吉春様

 伊藤校長の質問に対してほとんどまともに答えていない。私は勤評はどんな修正しようと悪法であることを免れないしろものと判断しているが、それを置いて本島の返書を好意的に読めば、勤評内容の不十分さを認めていて、今後の改善を期しているようだ。ならばこんなに早急に実施することはないだろう。実際に実施して問題点を検討するというのなら、今回の実施は試行であることを明言すべきである。

 伊藤校長もこの教育長からの返書を、曖昧ではあるが改善の意思ありと好意的に受け取った。そして、教育長を信頼し、9月15日の午後期限ぎりぎりに勤評を提出した。

 この時に伊藤校長が提出した勤評の内容は、被評定者全員を好評価したものであった。都教委が提示した評価方法は五段階の相対評価であったが、伊藤校長はABの二段階だけで評価し、それもほとんどAをつけたものであった。これはまったく都教委が意図している勤評とはいえないものであったが、都教委は伊藤校長の提出した勤評を受理した。しかしその後、都教委は、総評が未記入だから記入せよ、と指示している。このときの総評は絶対評価と相対評価の二通りがあった。都教委との押問答の未、ABだけでもいいからつけてくれという、都教委のいうとおり、伊藤校長はこれもまたほとんどAをつけて提出した。都教委はこれも受理している。この一連の都教委の対応について、伊藤校長は次のように書いている。

「これが、科学的人事管理の資料にするというふれこみだった勤評の実態である」
「勤評がいかにデタラメかということは、これだけでも明白である。ただこのデタラメさというものは単に苦しまぎれにやっているのではなく、役人らしく形だけは整えたいという面子の問題もあろうし、更に重要なことは、これで彼等が勤評を実施した目的は達せられるというところにある。これは勤評の性格を示している」

 伊藤校長は、一年待ってみたが、翌年の勤務評定書も彼の良心を満足させるような改訂はされていなかった。このことを確認した伊藤校長は、
「教育は国民に対し直接責任を負って行われなければならない」
という教育基本法の精神と自らの良心に従い、勤評を提出しない道を選んだ。これに対し、都教委は、1959年10月14日、伊藤校長を、「地方公務員法第29条第①項第一号および第二号」を根拠に懲戒免職したのだった。

 地方公務員法第29条第1項は次のようである。

<第29条>
①職員が左の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。

 この法律若しくは第57条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合

 職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合

 全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合

 続いて第30条は次のようになっている。

<第30条>
 すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

 勤評は「公共の利益」とは真逆の悪法であり、これを強権力的にごり押しする都教委は「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」を行っている。懲戒免職されるべきは都教委だろう。

 伊藤校長の筋を通した進退を知って、私は以前に引用した美濃部都知事の次の言葉を思い出した。

「仮に通達と法律とが矛盾しあうならば、法律に従うべきであり、法律と憲法が矛盾している時は、憲法に従うべきであるというのが私の行政官としての判断である。」

 さて、勤評についてはここで終わりにしようと考えていたが、もう一つ取り上げたいことが出てきた。全国での反勤評闘争の中でも、校長たちが最後まで抵抗したという点で、高知での闘争が際立っている。この闘争のことを紹介したくなった。(次回へ)
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