2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(41)

権力が教育を破壊する(24)

教育反動(16)


『「日本史」「世界史」検定資料』
斜体文字は私の補記です。)

********************
〈白表紙本〉
 このような中国の内戦がつづくなかで、1931年日本の軍部によって満州事変がおこされた。中国東北部を占領した日本は、この地に満州国をたて、清朝最後の宣統帝溥儀を皇帝としてむかえた。この事件を調べるため、国際連盟はリットン調査団を派遣し、日本の行為を侵略と断定した。このため、日本は国際連盟を脱退した(1933年)。(山川・『要説世界史』256ページ)

〈見本本〉
・・・・・・日本の行為を正当なものでないと判断した。・・・・・・。(山川・『要説世界史』256ページ)

 「侵略」という言葉を忌諱している。暗に「侵略ではない」と主張している。

********************
〈白表紙本〉
  日本の中国侵略
 1920年代にはいってから慢性的な不況にあえいでいた日本経済は、世界恐慌にまきこまれてさらに深刻な打撃をうけた。1931年9月、日本の関東軍は瀋陽(奉天)近郊の柳条溝で、南満州鉄道爆破事件をおこし……『満州国』を成立させた。これを満州事変という。国際連盟は、中国の提訴に応じて、リットン調査団を派遣し、その報告にもとづいて満州国成立の不当性を指摘した。(実教・『世界史』315ページ)

<見本本>
 満州事変・上海事変
……………その報告にもとずいて、日本に『満州国』承認の取り消しを求める勧告案を可決した。(実教・『世界史』315ページ)

 「侵略」の外に「不当性」も忌諱。「正当」だと言いたいのだろう。

********************
〈白表紙本〉
 満州事変後、政治のファシズム化が進行した。戦争開始とともに、中国に対する排外主義の風潮が強まり、大恐慌の影響で生活に苦しんでいた国民の多くは、戦争による現状打破を期待し、戦争を支持した。(三省・『高校日本史232ページ』)

〈見本本〉
 戦争開始とともに、中国に対する排外主義の風潮が強まり、大恐慌下で生活に苦しんでいた国民の多くは、戦争による現状打破を期待し、戦争を支持した。(三省・『高校日本史』232ページ)

 「ファシズム」という言葉を恐れて、その一文を全部削除している。「大恐慌の影響」→「大恐慌化」の書き換えの意図は私には分らない。全く同意だろう。

********************
〈白表紙本〉
日本の東三省侵略
 日本でも恐慌のもとで、労働運動小作争議が激しくなってきた。こうした動きの中で兵士の供給源である農村の疲弊をおそれた軍部は、ときの内閣の軍縮政策を不満とし、天皇に直結した地位を利用して、政治にたいする発言力を強めようとした。特に東三省に駐屯する関東軍は、張学良と対立を深めていたが、1931年9月柳条溝事件をおこし、これを口実に東三省全域を占領し、翌年、かいらい政権として満州国をつくった。
 この侵略にたいして、中国の抗日世論はさらに高まり、中国政府も国際連盟に提訴した。国際連盟は、リットン調査団を送り、その報告にもとづき、満州国を否認する決議を可決した。これを不満として、1933年、日本は国際連盟を脱退し、さらに中国侵略政策をとりつづけた。

〈見本本〉
 満州事変・支那事変
 日本でも・・・・・・統帥権の独立という憲法に規定された地位を利用して、・・・・・・この間、上海にも戦火を拡大し(上海事変)、内モンゴリアにも出兵した。
 これらの軍事行動・・・・・・日本に満州国承認の取消しを求めるなどの勧告案を可決した。これを不満として、1933年、日本は国際連盟を脱退した。(三省・『新世界史』276ページ)

 軍部の独断的な動きを、「統帥権」を持ちだして、法的問題ないと弁解している。さらに「柳条溝事件→満州国」に触れることを避けている。

『「現代社会」検定資料集』

********************
〈白表紙本〉
 平和社会をめざして
 すでに警察予備隊の時代から、それが憲法九条の戦力不保持条項に違反するのではないか、また、自衛力の増強はアジア諸国に再び軍事的脅威を与え、その安全をおびやかすのではないかなどについて、大きな問題が提起されていた。しかし、安保条約にもとづく日米関係および現実の国際情勢の推移に応じて、軍備は増強を重ねてきた。そして、昭和30年代には、憲法の戦力不保持の条項を改正すべきではないかということが、議論になったこともあった。政府は憲法が自衛のために必要な最小限の実力の保持を認めており、自衛隊は憲法によって保持を禁じられた戦力にあたらない、という自衛隊合憲説の立場をとっている。
(学研 124ページ)

〈見本本〉
  平和社会を目指して
 このように自衛の軍備が維持されているのは、わが国が独立の主権国家として自衛権を有し、自衛の戦争が放棄されていない以上、外国からの武力攻撃に備える必要最小限の実力は憲法の否認する戦力にあたらないという憲法解釈に基づいている。その背景には、前文にいう『諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持』できるような国際社会のしくみができていない現在、完全非武装の思想はあまりにも理想主義的だという認識と判断がある。しかし、この理解と運用には、憲法第九条は一切の戦争を放棄し、しかも目的のいかんを問わず、すべての軍備の廃止を定めるものであって、自衛隊の存在は違憲である、という見解が今日なお対立している。
(学研 124ページ)

 全文書き換えさせられている。耳にたこができるほど聞かされている憲法九条の解釈改憲を正当化している。

***************
〈白表紙本〉
明治憲法の特色と日本国憲法
 日本国憲法が成立する以前の憲法は、いうまでもなく大日本帝国憲法であり、一般に明治憲法ともよばれる。それは、1889(明治31)年に発布されて以来、約60年間、一度も改正されなかった。この憲法はいわゆる欽定憲法で、その作成に国民が参加することは、まったく許されなかった。もちろん、それが作成された当時、日本にはまだ議会がなかったから、その憲法草案は、議会の審議にも付されなかった。
 明治憲法の内容は、当時のドイツの立憲君主制の憲法に似たものであった。立憲君主制の特色は、絶対王政の場合とは異なり、君主は国民にたいして無制限な支配権をもたず、憲法に従って、統治権を行使するところにあった。その意味で、明治憲法が制定されたことは、憲法のない時代にくらべると、一つの進歩であった。 けれども、明治憲法の前文に、統治の大権は天皇が祖先からうけて子孫に伝える、と書かれていることでもわかるとおり、日本国憲法の民主主義的な諸原理にくらべると、明治憲法のそれは、いちじるしく保守的な色彩をおびていた。そのため、明治憲法の定める政治の基準は、日本国憲法のそれとは本質的に違っていた。
 まず第一に、明治憲法では、主権は天皇に属し、天皇は立法・行政・司法などに関するいっさいの統治権を総攬していた。『総攬する』とは、一身に集中するとか、一手に握るという意味である。現行憲法の国民主権の原理とは、きわめて対照的である。
 第二に、帝国議会は設けられていたが、議会は天皇の立法権に協賛するだけで、国政にたいする審議権も多くの制限を受けていた。この点は、国会が国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である、と定める現行憲法とは大きな違いである。また議会は、二院制をとっていたが、貴族院は、民選の衆議院とは異なり、皇族・華族と、学識者・多額納税者などの勅任議員とで構成されていた。それでいて、衆議院優越の原則はとられず、貴族院の権限は衆議院と対等であった。(自由 10~11ページ)

〈見本本〉 明治憲法の特色と日本国憲法
 日本国憲法が成立する以前の憲法は、……………。この憲法はいわゆる欽定憲法で、天皇が制定して、それを国民にあたえる憲法であった。したがって、その作成に国民が参加することは、許されなかった。その憲法草案は、天皇の諮問機関である枢密院の審議をへただけであり、それが作成された当時、日本にはまだ議会がなかったから、議会の審議にも付されなかった。………少なからぬ進歩であった。………立法権は議会の協賛によっておこなわれ、司法権は、裁判所により天皇の名においておこなわれ、行政権は、国務大臣の輔弼によっておこなわれることになっていた。……………貴族院は、民選の衆議院とは異なり、皇族・華族と、国家に勲労のあった者・学識者・多額納税者などの勅任議員とで構成されていた。……。(自由 10~11ページ)

 大日本帝国憲法の起草過程に関して、従来は、それが密室で進められた事実を隠蔽しようとしてきたが、最近は「欽定憲法だから国民には秘密に作られたのは当然である」というような方向をとっていることが知られる。それと関連して、大日本帝国憲法に対する評価において、日本国憲法とは原理的にその性質を異にしているにもかかわらず、その先進性を強調しようとしている点が注目される。(教科書Cより引用した)

***************
〈白表紙本〉
 しかし、昭和にはいってから、満州事変をはじめとする戦争につぐ戦争のなかで軍部および国家主義者が勢力を強め、天皇制を基礎としたファシズム化が進み、戦前においては大日本帝国憲法のしくみは変わることなく、それゆえ近代国家の憲法原理も、ついに根づかずに終わった。(三省 131ページ)

〈見本本〉
 しかし、昭和にはいってから…………軍部および国家主義者が勢力を強め、これらの勢力が極端な国家主義と軍国主義の政策を強力に進めたため、大日本帝国憲法下においては近代国家の憲法原理も、ついに定着せずに終わった。(三省 131ページ)

 ここでも「ファシズム」の抹消が行われている。

***************
〈白表紙本〉
教育勅語
 憲法公布の翌年、1890(明治23)年10月30日、これまた天皇の名において教育勅語が発布された。そこでは、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相相シ、朋友相信シ」などの基本的道徳が臣民の守るべき徳目であると宣言され、これらの徳目を教えることが教育の基本原則であるとされた。こうして、私的道徳が国民の公的義務とされることになった。
 もともと道徳は、それ自身を目的として、個人の自発的意志によって守られてのみ道徳的価値をもつ。この自発的意志という内面の自由の領域にまで公的義務が入り込んだことによって、国民の自由と権利の意識は内側からも掘りくずされた。この勅語は、学校で祝祭日に朗読され、大部分の国民は憲法を知らなくても教育勅語についてはよく知っていた。(教出 59ページ)

〈見本本〉
 (削 除)

 全文削除されている。教育勅語に対する批判は道徳への公的介入の批判に通じる。道徳の教科化を狙っている自民党にとっては不都合な批判なのだ。

***************
〈白表紙本〉
平和的生存権
 日本国憲法は『われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すること』(前文)を確認している。戦争は人間の尊厳を侵し、基本的人権をじゅうりんする行為である。従って『平和のうちに生存する権利』あるいは平和的生存権は、すべての基本的人権の根底をなす権利であるといえ、これを基本的人権の一つとして認められるべきであるという主張がなされるようになった。(東学 142ページ)

〈見本本〉
 (削 除)

 ここでも全文削除。憲法が謳う平和的生存権まで不都合として抹消させるとは、全くあきれるほかない。

 以上のような事例について、教科書Cは次のように論評している。

 以上の僅かの実例であるが、検定の実態を窺い知ることができよう。

(大日本帝国憲法の起草過程に関しては上に引用したので省く。)

 そして、教育勅語に対する、その道徳の公的介人的性格を批判する記述には、削除をもって対応しているのも、この検定の特色である。中国に対する侵略の記述も、このような具体的諸事例を見ることによって、文部省の検定姿勢が明確な特定の政治的立場に立脚していること、学問の成果を意図的に無視していること、さらに加害者としての戦争責任を回避していること、などを明らかにしてくれるのである。このことは、憲法の第九条規定、戦争、自衛隊問題、平和的生存権に関する問題についても、同じことがいえる。

 このように歪んだ教科書検定に対しては、当然多くの批判と反対の意見表明が出させている。もちろん、それは国内だけではない。近隣アジア諸国からも厳しい批判が出され、重大な外交問題に発展していった(このことについては、今回は深入りしない)。

 「学問の成果を意図的に無視していること、さらに加害者としての戦争責任を回避していること」。これこそが歴史修偽主義の手法であり、それを文部省が率先して行っている。このような破廉恥な言論がまかり通るようになってしまったのはどうしてだろうか。

 12月8日付け東京新聞朝刊に「問い直す戦争 70年目の視点」という特集記事があった。保阪正康さんの談話を二面にわたって掲載している。その中に「歴史修正の危険」という一節を転載しておこう。

歴史修正の危険
  ●史実を見極めよ


 70年もたつと、それまで「同時代史」だった見方が「歴史」に変わる。同時代史は、時代を知る人が社会にいる中で史実が語られるが、その社会の空気が薄れ、新しい歴史上の解釈ができるようになる。戦闘体験者は当時20歳でも、もう90歳。自らの経験で語ることのできる人がほとんどいなくなった。

 東条英機元首相がA級戦犯として巣鴨拘置所に入っていた時、同じ部屋にいた、という虚言を弄する人がいる。東条元首相が「戦争をするべきではなかった」と語ったとか、戦争責任を一手に引き受けたので特別扱いを受け、房内に専用電話があったとか言いたい放題。現実にはあり得ない話ばかり。基礎的な知識がなければ、こんないいかげんな史実が出回ってしまう。

 こうした歴史修正主義が政治的プログラムの下で意図的に行われたら、大変なことになる。日本では終戦時に膨大な公的文書が焼却され、戦後は史料収集から始まった。アカデミズムやジャーナリズムが苦労して集め、その史料とともに歴史と向き合ってきた。

 ところが、歴史修正主義者はそういう面倒な作業をしない。「大東亜戦争は聖戦」などと最初から旗を立てて、都合の良い史料を適当に集める。歴史修正主義は欧州にもあるが極右扱いで、場合によっては犯罪とみなされる。

 ここでちょっと横道へ。
 一昨日「次世代の党」のちらしが郵便受けに投函されていた。下の図のようなとてもシンプルなちらしだったが、私はつい吹き出してしまった。
次世代の党の選挙ちらし
 この党の近代史は、とうぜん歴史修偽主義による近代史である。これだけで支持をえられると考えているようだ。国民もずいぶんとなめられたものだ。もっとも、なめられて当然の者たちが結構たくさんいるから歴史修偽主義者らが大きな顔をしているのだけどね。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1954-b68b44b0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック