2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(40)

権力が教育を破壊する(23)

教育反動(15)


 次いで教科書Cは家永教科書裁判を取り上げている。これについては既に「番外編:教科書裁判」で取り上げた。そこでは1957年の検定で不合格になった教科書の覆刻版を用いた。そして、その序文に記載されていた検定不合格の理由書を紹介した。その文書には抽象的な不合格理由記載しかなく、「300ヶ所余りにのぼるという文部省の具体的な検定意見何も書かれていなかった。

 ところで、家永さんは高等学校用教科書『新日本史』を1952年以来申請している。教科書Cは1963年に不合格になった教科書を取り上げて、そのときの検定不合格通知文書について次のように述べている。

「1962年8月に申請した検定原稿は、8ヶ月後の1963年4月になって不合格となり、「正確性、内容の選択に著しい欠陥がある」旨の、きわめて抽象的な不合格理由の記載しかない文書が交付され、具体的な理由は、調査官から口頭でその一部が、つぎのように例示された。」

 この「不合格理由口頭告知」はなかなか目にしにくい。例示されたものは、たぶん、どこからも強い反論はないだろうと自信のあるものに限られたのだろうが、素人の私が読んでも厚顔無恥の見本みたいな不合格理由だ。貴重だと思われるので転載しておく(「原稿」とあるのは家永教科書の原稿文のこと)。

1963年家永教科書検定における不合格理由

(例一)
原稿
『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から始まっているが、『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために作り出した物語である。『古事記』『日本書紀』は、このような政治上の必要から作られた物語や、民間で語り伝えられた神話・伝説や、歴史の記録などから成り立っているので、そのまま全部を歴史と見ることはできない。

不合格理由口頭告知
『古事記』『日本書紀』をそのまま歴史とみることのできない点のみが説かれていて、これらが古代の文献として有する重要な価値が記されていない。

(例二)
原稿
 この憲法では、国民の公選する議員から成る衆議院を含む帝国議会を設けて、国民が政治に参与する道を開き、予算の確定および法律の制定、税制の改定などは必ず議会の協賛を要することとし、また司法権の独立も保障しており、一応は立憲政治の形が整えられてはいる。しかし、外交や軍隊の統帥、官制の制定、議会の協賛を経ないで発しうる命令の制定など、天皇の大権を広く残したばかりでなく、国務大臣の議会に対する責任を明記しなかったから、議会の権限は極めて狭く限られていた。また帝国議会には、皇族・華族および勅選議員から成る貴族院を設け、衆議院を牽制するしくみとなっており、さらに、天皇の最高顧問として枢密院を置き、これらの国民と結びつかない機関によって、立憲主義はいっそう制限されていたのである。
 憲法では、国民は天皇の臣民とされた。言論・著作・出版・集会・結社の自由が認められたが、それは法律の範囲内という制限つきであったから、これらの自由を制限する法律が引き続いて国民の思想とその表現をきびしく統制した。信教の自由も、安寧秩序を妨げず、かつ臣民としての義務にそむかない限りという条件のもとで許されたにすぎず、神宮・神社を崇敬することが国民の義務とされたので、信教の自由も無条件に保障されたわけではなかったのである。

不合格理由口頭告知
 明治憲法を否定的にのみ評価し、アジア最初の憲法という積極面に言及しないのは、一面的である。

(例三)
原稿
 戦争は『聖戦』として美化され、日本軍の敗北や戦場での残虐行為はすべて隠蔽されたため、大部分の国民は、真相を知ることもできず、無謀な戦争に熱心に協力するほかない状態に置かれた。

不合格理由口頭告知
 『日本軍の残虐行為』を書くならば、ソ連軍の暴行を書かなければ一方的である。また、アメリカのも」。

 これらの検定意見について、教科書Cは次のように論評している。

 これらの検定意見を見ると、前述の出版労協の「報告書」に明らかにされた、検定指示内容の基本的枠組を、そのまま踏襲しているのを知るのである。

例一は、記・紀神話を史実と混淆し、国体史観に立脚した天皇制と天皇観を強要するものであった。

例二は、例一と密接に結びついた天皇主権の明治憲法に対する礼賛であり、その背後には、国民主権・象徴天皇制を規定する日本国憲法に対する軽視の態度が見られるものである。

例三も例二に深く関係するものであり、戦争放棄を明示する日本国憲法尊重の精神を後退させるものでもある。

 家永さんによる教科書裁判は1965年・1967年・1982年と三度起こされている。家永さんの勝訴となったあの杉本判決(1970年7月17日)が出されて以後、検定の手はいくらか緩和されたようである。しかし、1980年頃から再び政府・自民党・民社党、財界、筑波大グループによる教科書「偏向」攻撃が行われ、その影響で検定は空前の厳しさをもって実施された。1983年度使用の高校社会科教科書の検定がまさにその最たるものであったという。教科書Cは1982年6月26日の『朝日新聞』の記事を掲載している。

文部省、高校社会中心に検定強化、『侵略』表現薄める

・・・・・・今年も社会科を中心に『偏向』批判の論理がさらに徹底して貫かれた。憲法・安保・自衛隊・北方領土・権利・義務・大企業・経済などの記述をめぐって、文部省は昨年に続き削除、書き換えを迫った。加えて今年は、歴史的な『天皇』『侵略』、現代は『現体制批判』などについて、とりわけ厳格な検定姿勢が目立ち、『戦前』の復権の方向が色濃く浮かび上がった。……

 検定申請された原稿本(白表紙本)に内容変更を求める文部省の修正意見(強制)と改善意見(要請)の指示は、最高の日本史の場合、610ヵ所に及んだ。社会科の平均では、一点につき300~400ヵ所だった。昨年の『現代社会』では一点につき200~600ヵ所の指示があった。……

 執筆者や編集者などの話を総合すると、とくに指示の多かった日本史、世界史、政治・経済で、各教科書会社にほぼ共通にチェックされた内容の特徴は、

 戦前の日本の『侵略』行為の記述を極力薄める、

 帝国憲法(明治憲法)の『民主性』を書く、

 天皇には奈良時代以前にさかのぼって敬語表現を使う、

 自衛隊の成立は、自衛隊法によっている、

 北方領土の領有権主張、

 国民の義務の強調、

 大企業、資本主義の擁護
 ― など。昨年の『現代社会』に適用した検定尺度を用い、その定着、徹底化を図ったとみられる。

 このうちで、とくに『侵略』にからんでは『進攻』といい換えるほか、『苛政→圧政』『弾圧→鎮圧』『出兵→派遣』『抑圧→排除』『収奪→譲渡』と、それぞれ表現の変更を求めるなど、一段ときめ細かな検定ぶりが目立つ。また『天皇』では、古い時代の『死』が『没』の表現へ、また『天皇の神格化』が削除されるなどの条件がついた。『国民感情を考えて、敬愛の念を育てる』という理由だ、という。

 国語Ⅱでも、朝鮮・満州支配を舞台にした作品が削除された。

 このほか『兵器開発』がもたらした技術の効用を説く記述が登場した一方で、『憲法九条の趣旨に反する防衛秘密』を削除。また『戦後の改革を行きすぎだとして憲法を改正する動き』に触れるなど、これまでより一歩踏み込んだと見られる改善、修正意見もある……。

 このあからさまな教科書の国定化の策動について、教科書Cは次のように追記している。

 この新聞の記事でも理解できるように、検定は、歴史的事実を歪めたり、特定の歴史観に立脚して、社会現象や事実を解釈させようと強制したりしているのである。これらの側面を、出版労連の『「日本史」「世界史」検定資料』・『「現代社会」検定資料集』により正確に確認しておきたい。白表紙本の枠内の箇所は削除された部分を示し、見本本の枠内の箇所は、白表紙本で削除された部分のいいかえ部分である(原文で「枠内」とある部分を「赤字」で示した。また、ふりがなは省略した)。

(歴史修偽主義者の思想と手法がよく分ってくるので、全文転載することにしました。すごく長いので、次回に。)
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