2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(39)

権力が教育を破壊する(22)

教育反動(14)


 教科書法案は6月3日に廃案となったが、清瀬文相はその代替措置として省令をもって教科書検定の強化を図った(以下は教科書Aによる)。

 清瀬は、6月5日の文部省記者クラブで、その正当性の根拠を次のように語っている。
「教科書法案は審議未了となったが、その予算は法規のわく内で執行し、できるだけ制度の充実と改善をはかりたい、予算の執行については、法律上は別に問題はない。政治的な問題であっても、教科書問題の重要性から、これをおしきるつもりである」(『日本教育新聞』1956年6月7日)

 つまり、法律によらずとも、行政措置や行政指導で教科書制度の改変を強行することを言明した。その代替措置は次のように矢継ぎ早に実行されていった。

 実際すでに文部省は、法案が成立することを前提に、56年度予算案に教科書関係のいっさいの予算措置を済ませていた。そして前回の年表に記載したように、まず

10月10日
 教科書調査官制度を創設した。

 以下、年表としてまとめると次のようになる。

10月19日
 教科用図書検定調査審議会令を改悪。
 調査分科会委員を16人より一挙に5倍の80人に増員。

11月10日
 文部省設置法施行規則一部改令を公布。
 常勤教科書調査官制の法制化をはかった。

 教科書検定強化の策略は1956年以降も続く。

1957年

7月
 「教科書の採択権は教委にある」旨の通達を発令し、検定、採択の両面から官僚統制を強化。

 このような一方的な通知による教科書検定強化(こういう手法で行う政治を独裁と言う。最近では東京都の教育を破壊した石原が使っている)の検定内容はは次のようなあきれ果てるとしか言いようのないしろものであった(教科書Aから引用する)。

 57年度用教科書の検定では8種類の社会科教科書が不合格処分を受けた。これらの教科書の監修、編集者の大半は日教組教研集会の講師団に属する人びとであり、またそのなかのひとつ、中学校用政経社『日本の社会』(岡田謙監修、日高六郎・長洲一二他編著、中教出版)は発行部数50万に達していたものだけに、ただちに世論の注意をひき起こした。

 同年度の検定過程の調査結果から、不合格にあたっては、F項という名の意見が決定的な役割をはたしており、これは従来、各一種の教科書にあたっていたABCDE5人の調査員とはまったく別の「第六の人物」の意見であり、教科書調査員の意見を無視した教科書検定審議会内の特定委員の意見であることが判明した。不合格理由として付されたF項意見のなかには、つぎのようなものが含まれていたことは、検定の本質を知るうえで重要である。

 すなわち、

 新憲法が国民の総意によって作られたというがごとき表現は一方的である。

 全体として科学的記述すぎる、とくに明治以後の叙述は、これが日本の中学生のための社会科か、はたまた某他国のための社会科か、ときどき見誤るぐらいはなはだしく日本の自主性がない。

 太平洋戦争については、日本の悪口はあまり書かないで、それが事実であってもロマンチックな表現にせよ。

 新聞記者の調査により、F項意見の持主は、前年9月、「検定を厳正にするため」として教科書検定審議会に新たに加えられた高山岩男(反日教組を旗印とする自由文教人連盟を結成した中心人物)であることがあきらかにされた(『週刊朝日』56年12月2日)。これは「F項パージ」と名づけられ、強い批判をうけた。

 高山岩男という名に初めて出会った。ウィキペディアで調べてみた。京都帝国大学哲学科卒の哲学者だった。高坂正顕、西谷啓治、鈴木成高と共に「京都学派四天王」と呼ばれているそうだ。どんなえらい学者か知らないが、知的退廃の見本みたいなお人だ。こういう御用学者が日本の教育を破壊している。

 教科書検定制度の強化とその検定の実態について、記録しておきたいことがまだまだある。すごく長くなりそうだが、1958年の動きも追うことにする(以下は教科書Cによる)。

1958年

 文部省は、学習指導要領を文部省告示として官報に公示した。その中に次のような検定強化政策を盛り込んでいる。

 学習指導要領に法的拘束力を付与する。

 教科書検定基準を全面改正し、検定基準の絶対条件の中に学習指導要領を組み入れる。

 1958年版学習指導要領を憂慮していた出版労協は、教科書対策会議を中心に検定結果の調査を行い、その結果を「報告書」として、日教組・日高教合同教研集会に提出した。この報告書は、次のような検定の現実を明らかにしている(『 』内が教科書調査官からの指示)。

〈皇国史観ないし天皇主義にかんするもの〉
○ "大和朝廷がまわりの国々を従えていった"という表現に対して、『まとめてしまったというような悪い表現を使わず、大和朝廷の成立過程をきわめて正しく述べなければならない。』
○ 『奈良の大仏は、聖武天皇の御威徳とそれをしたう民衆によって建造されたことがわかればよいので、その費用や労働の苦しさ、人命まで失った、などと書く必要はない。』
○ 『建武中興は長いあいだの国民の朝権奪回の夢が実現されたものであるとせよ。』
○ 『天皇は、古来国民の"讃仰の的"としての精神的なよりどころであるということを、教科書全体を通じて子どもたちにわからせなくてはいけない。』

〈戦争にかんするもの〉
○ 日清・日露戦争については、二つの戦争に勝ってからの日本の躍進ぶり(領土の拡大と産業の発達、五大強国の一つになったこと)の記述の不足について、ほとんどの教科書が注意されている。
○ 満州事変について『その原因は、大陸市場説も一説にはあるが、より重要な原因は、排日運動に対抗するために軍人の力が必要になったことだ。』『日本の中国大陸侵略は進出とせよ。』
○『日本国憲法第九条の"戦争放棄"の戦争は"いかなる"戦争ではなく"しかける"戦争である。』

〈民衆の歴史創造あるいは民衆の生活にかんするもの〉
○ 『奈良時代の特色は、奈良の都の繁栄と貴族の生活であるから、農民の生活にふれる必要はない。』
○ 『江戸時代の農業の特色は、幕府の農業政策 ― 勧農の精神という側面で出すべきである。百姓一揆・飢饉・生活の苦しさなど、暗い面を子どもに教える必要はない』

 中には吹き出したくなるようなものもある。このような検定意見を大まじめで出す人たちの頭の中はどうなっているのかしら。人ごとながら心配になってくる。

 しかし、このような噴飯ものの検定が現在まで執拗に続けられているのだ。教科書Cは上の検定の指示内容がその後の検定の基本的枠組みの基となていると言い、その枠組みを四点にまとめている。

第一
 国体史観に基礎をおいた天皇観の強制。
第二
 近・現代における日本の侵略戦争を認めず、中国大陸侵略を進出にせよと指示。
第三
 日本国憲法第九条の「戦争の放棄」を「自衛戦争」許容の方向に誘導。
第四
 歴史を通じて、社会の底辺に生活する民衆の困苦の状況の記述の拒否。

 歴史修偽主義の手に成るいま評判?の『新しい歴史教科書』(西尾幹二編、扶桑社発行)は上の四点をクリアして、めでたく文部省の御眼鏡にかなった立派な教科書である。ネットではこの教科書を自画自賛あるいはべた褒めしている記事が結構あるが、まともな批判をしている記事をあげておこう。

 歴史学研究会さんの
「まちがいだらけの『新しい歴史教科書』」

 もうひとつ、現場の先生からの報告。
「扶桑社「新しい歴史教科書」の問題点」
(ネトウヨの批判、いやお決まりの無意味な「罵声」が読めます。)

 さて、前述の「報告書」は、大きな社会的反響を引き起こしていった。日教組が進めた教科書総点検運動のほか、1960年5月3日に歴史関係九学会(大阪歴史学会、大塚史学会、史学会、史学研究会、社会経済史学会、土地制度史学会、日本史研究会、歴史学研究会、早稲田大学史学会)が、文部大臣に対して次のような要望書を提出している。

「文部省は最近あたらしい学習指導要領に基づいて、社会科歴史教科書の検定を実施しているが、これについては種々の議論がなされている。たとえば、検定の過程においてとられている口頭による修正意見の伝達もそのひとつで、この方法には少なからぬ検討の余地がある。またわれわれは、現在の検定方針が史実検討の枠をこえて、歴史事象の解釈にまで及んでいるのではないかとの疑念をもつものである。このような傾向は、歴史解釈の多様性に制限を加え、教科書を画一化するおそれがある。このことは、次代の国民の思想の貧困化をまねき、また研究と思想の自由を脅かす懸念があるといわざるをえない。われわれは、右のような危険がおることを指摘して、ここに、文部当局の反省と、検定制度の再検討とを強く要望するものである」。

(この項、さらに続く。)
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