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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(37)

権力が教育を破壊する(20)

教育反動(12)


1954年

12月10日
 第1次鳩山内閣が発足し、安藤正純が文部大臣に就任。

 五期続いた吉田内閣(自由党)に代わって、 民主党と左右社会党の支持を受けた鳩山一郎民主党総裁が首班に指名された。この鳩山内閣は三次まで続く。それぞれの文部大臣は次のようである。

 第二次鳩山内閣(1955年3月19日発足)の文部大臣は松村謙三。
 第三次鳩山内閣(1955年11月22日~1956年12月23日)の文部大臣は清瀬一郎。

 1955年は戦後政治史上画期をなす年であった。この年の秋に、1951年に分裂した右派社会党・左派社会党が再統一した。この日本社会党の統一に危機感を覚えた財界からの要請で、日本民主党と自由党が保守合同して自由民主党が誕生した。「改憲・保守・安保護持」の自由民主党と、「護憲・革新・反安保」の日本社会党の二大政党体制ができあがった。いわゆる「55年体制」である。

 この新しい政治体制はとうぜん教育行政における逆コースの加速化をもたらした。55年体制下で中央集権的・官僚的教育行政機構が確立し、教員の管理・統制とともに教育内容に対する統制と学校制度の能力主義的再編が進行した。

 第三次鳩山内閣の清瀬文相はその就任の折、一般政策として「国民道議の確立と教育の改革」をとりあげ、さらに緊急の政策として「教育委員会を改廃し、教科書制度を改し、教育者の政治的中立厳守の措置をとる」と述べている。もちろん、これらの政策は保守合同以前からの既定路線であり、教科書制度改は1955年の初頭から動き始めている。教科書関係だけに絞って、その年表を追ってみよう。

1955年

2月12日
 文部省、小学校の改訂社会科の内容について通達。3月3日には中学校にも通達。4月から実施。

この通達は小中学校社会科学習指導要領の改訂案である。社会科を解体し、地理・歴史・社会として、天皇の地位を強調することを明示している。

 社会科は戦後の新教育(戦後教育改革)の象徴として位置づけられていたが、それだけ新教育のもつ矛盾と弱さが集約されたかたちで社会科に包含されていた。上の通達は、戦後初期社会科がもっていた「市民」的良識の性格の育成という教育目標から、また再び国家主義的愛国心や天皇親愛を強調する社会科への改悪が始まったことを示している。

 しかし、社会科に対しては、もちろん文部省の反動的な思わくとは対極の位置にある民間教育研究団体から、「無国籍的・没階級的・機能主義・現状肯定的である」という批判が出ていた。さらに、歴教協(歴史教育者協議会)などからは、学習方法としての経験的、問題解決方法が、結局のところ、系統的・法則的認識を育てず、あれこれの経験をさせて終るという、いわゆる「はいまわる経験主義」という批判も出され、新たな地理・歴史の系統学習の重要性が指摘されていた(以上は教科書Cによる)。

(ちょっと寄り道。昨日(11月25日)夕刊の訃報記事に久保義三という名前がありました。あれ、見たことがある名前だ、と思ったら、なんと教科書Cの著者でした。専門分野は「日本教育政策史」と紹介されています。教科書C『昭和教育史』は「天皇制と教育の史的展開」という副題が付されていて、大正デモクラシーから始まり1989(平成元)年まで、つまり昭和時代を網羅した1200ページの大著で、大変充実した本です。大変よい資料をありがとうございます、と改めてお礼を申し上げたいと思いました。)

3月16日
 民主党政務調査会、教科書の民編国管を検討。

 文部省は1953年10月30日に「教科用図書検定基準」を告示している。それに連なる動きである。(以下、引用文は教科書Aから。)

 55年2月の総選挙に際し、日本民主党は選挙綱領で「文教の刷新・施設の整備・国定教科書の統一」を公約、3月には、同党政務調査会で教科書を民間で編集し、国が管理するという「民編国管」案を検討しはじめた。これは、支配階級が教育費の父母負担が年々増加するなかで、国民の切実な生活要求から生まれた「教科書代が高い」という不満を「国営にすれば安くなる」という形でたくみに利用し、戦前の国定教科書制度の復活を企てたことを意味するものであった。当時の新聞も「……父兄の不満がもっぱら経済的理由にあって教育の内容や方向にあるのでないことは注意する必要がある。いわば、ソボクともいうべきこの不満を背景にして、国定復活をたくらむ風潮があるとすれば、大いに讐戒されねばならない」(『毎日新聞』55年3月17日「余録」欄)と暗に民主党の構想を批判した。

6月18日
 日本教育学会、教科書検定について声明。

6月21日
 総評、日教組、子どもを守る会等6団体が良い教科書と子供の教科書を守る大会を開催。

6月24日
 衆院行政監察特別委員会、不公正取引、偏向教育などの教科書問題で証人喚問を実施。

 衆院行政監察特別委員会(以下、行監委と略称)は教科書問題(教科書の不公正取引・偏向教育問題)をとり上げ、証人喚問を開始した。当時、行監委が優先的に追求すべき課題であった造船疑獄・政界汚職問題をタナ上げにして、教科書問題をとり上げたうらには、行監委を利用して、教科書の内容が偏向していること、このうらには日教組があること、を宣伝し、「教科書国定化」へ世論誘導をしようとする民主党の"政治的意図"が秘められていた。

8月13日
 日本民主党「うれうべき教科書の問題」第1集を刊行。(続いて、10月7日に第2集、11月13日に第3集を刊行している。)

 民主的な教科書に露骨な「アカ」攻撃をかけ、教科書の国定化の前提条件をつくる宣伝をおこない、青少年の思想の反動的な再編成を試みた。

 それは偏向教科書の四つのタイプとして、「教員組合をほめるタイプ」(宮原誠一編 高校『一般社会』)、
「急進的な労働運動をあおるタイプ」(宗像誠也編 中学『社会のしくみ』)、
「ソ連中共を礼讃するタイプ」(周郷博編『あかるい社会』六年)、
「マルクス・レーニン主義の平和教科書」(長田新編『模範中学社会』三年下)
をあげ、まったく非科学的なひぼうの口調をもって平和と民主主義の教育に攻撃をかけてきた。これにたいしては「戦時中の暴力的な思想統制」を想起させるものとして、いち早く広範な反対運動が展開された。

10月
 日本学術会議・思想の自由委員会、「うれうべき教科書の問題」で民主党に警告。

 「うれうべき教科書の問題」に対する抗議活動の詳細は次のようである。
 影響を重視した日教組は、8月30日、牧野良三、山本正一ら民主党幹部に会見、つづいて9月1日松村文相と会見し、その編集、刊行責任者、内容の問題点、配布の経路などについて質問書を手交、厳しく抗議を行なった。

 長田新(日本教育学会会長)、周郷博(お茶の水女子大学教授)、宮原誠一(東京大学教授)、宗像誠也(同左)ら関係教科書編著者有志23名は9月22日、「日本民主党の『うれうべき教科書の問題にたいする抗議書』を作成、 「説明書」を添えて民主党に厳しく抗議し、パンフレットの撤回を要求した。その抗議書にはつぎのようにのべられている。

「……いやしくも教育の問題を論ずるには、これにふさわしい誠実さと知性をもってしなければならない。しかるにこのパンフレットは、全体にわたり、学問上の誤りと事実の曲解による低級な中傷に終始し、国民の判断を誤らせようとしている。与党である大政党が、このようなふまじめな文書を党の名においてあえて公表したことは、教育を一政党の道具とするものであって、私たちは、深い憤りを感じないわけにはいかない。私たちは、学者としての自己の良心にもとづき、憲法と教育基本法の精神にしたがって、教科書の編集と執筆にあたった。万一このパンフレットに盛られたような主張が通るとすれば、学問の成果が無視されるだけでなく、憲法と教育基本法そのものも偏向として否認されてしまうであろう。このパンフレットは単に私たちの名誉を傷つけるだけでなく、学問と思想の自由ならびに民主主義教育全体を脅かすものである。このパンフレットは、政治の力によって白を黒と言いかえ、真実と自由を抑圧した戦時中の思想統制を思い起させるものである。私たちは教育に一生をささげている者として、またみずから子をもつ親として、このような恐るべき傾向にたいしては、どこまでも反対する。」

  さらに、10月7日には、同じく23名の連名で「日本民主党の『うれうべき教科書の問題』はどのようにまちがっているか」と題する小冊子を公表、パンフレットの虚偽性について、詳細な分析と批判を加えた。

 また、長田新ら四氏の申入れを討議した日本学術会議学問思想の自由委員会(委員長青木得三)は、10月22日「今回日本民主党の名において出されたパンフレットは学問・思想の自由をおびやかすおそれがある」と結論した。

 歴史学研究会(代表江口朴郎東大教授)も11月4日、「教科書問題に関する声明」を発表、「教科書にたいして加えた誹謗ならびに、このパンフレットを貫ぬいている歴史にたいする非科学的な考え方」は「教育や学問研究の自由を侵害するおそれ」があると鋭く批判した。

 また翌5日、同研究会は、財団法人史学会(理事長坂本太郎東大教授)、大塚史学会(代表家永三郎東京教育大教授)と連名で同趣旨の声明を行なった。

 このような抗議もなんのその、教科書制度の改悪は着々とすすめられていく。

12月5日
 中央教育審議会、教科書制度改善について、教科書調査官の設置などを答申。
 文部省、高等学校学習指導要領(一般編)を刊行。(試案の文字が消え、コース制の採用を明言している。1956年より実施。)

 教科書検定についての羽仁さんの見解を矢崎さんがまとめている一節があるのでそれを引用しておこう。

 今、高校、中学、小学校の教科書には、どれも"文部省検定済"という印刷がされている。

 教科書の著者や編集者の人たちがどんなに苦労してよい教科書、おもしろい教科書を作ろうとしても、文部省は"教科書検定"という関所を作りそれを邪魔しているのだ。羽仁五郎によれば
「それはまさに事前検閲で違法行為なんだよ。憲法違反だ。今の教育の基本にされている教科書においてさえも、文部省は脱法行為をしているんだ」
というわけである。

 文部省検定済の教科書を受験生が丸暗記させられる一方、悪質な教科書出版社は、教科書だけでなくテスト問題やアンチョコなどを作って先生や生徒たちにあの手この手で売り込み、大儲けをしたりしている。教科書や受験地獄の問題が教育界の腐敗につながっていることは、明治以来繰り返し"教育疑獄"として暴露されてきたところだ。腐敗は、やがては学校や教員組合にまで及ぶことになるだろう。
「あらゆるところに腐敗が及んでいる。その根本は、何度もいうようだけど、文部省なんだよ。文部省が教科書をいじくるということから始まってきているからね」

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