2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(34)

権力が教育を破壊する(17)

教育反動(9):番外編:アメリカによる日本占領は終わっていない(1)


 番外編というより、此まで主張してきたことの補充をしなければと思い至った。

 私は国家について、折に触れて二つのことを強調してきた。
(1)
 いわゆる先進国は民主主義国家を標榜しているが、たぶらかされてはいけない、それは真の民主主義国家ではない。それはブルジョア民主主義国家であることをはっきりと認識すべきである。(これについては「統治形態論・民主主義とは何か」、特にその中の(4)「議会制民主主義とブルジョア独裁の仕組み」を参照して下さい。)
(2)
 二つは、なかんずく日本はアメリカの属国であり、日本の歴代政府はアメリカの傀儡政権である。

 ところで、『週間金曜日』に白井聡さんが執筆している『「戦後」の墓誌銘』という連載論文がある。11月7日号(1015号)では「護憲ではない、制憲を」と題して、矢部宏治さんの新著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社 10月24日刊)を「3・11以降刊行された書物のうちで、私の知る限り最も重要なものの一冊である」と紹介し、それを下敷きに論文を展開している。この二つの事柄に関連して、私はこの論文から、上の(1)(2)について重要なことを二つ学んだ。それをまとめてみることにした。

 論文「護憲ではない、制憲を」は「合法的傀儡政府」、「占領の継続は当然」という二つの節から成り立っている。

 「合法的傀儡政府」では「合法的」という指摘に「あっ!」と思った。もしそれが確かな根拠をもつ主張なら、日本国憲法はあってなきがごときものであり、アメリカによる日本占領は終わっていない、ということになる。 「合法的」とはおおよそ次のようなことを指している。

 米軍基地をなくせないのは「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」(ダレス)が生きているからである。辺野古基地の建設を強権的に進めようとしているのも、オスプレイが日本上空を我が物顔に飛び回っているのも、その法的根拠となっているのが「日米安保条約」と「日米地位協定」である。

 現在、アベコベ政権は原発再稼働にもやっきになっている。傀儡政権には原発は止められないのだ。その法的根拠は「日米原子力協定」である。

 「日米安保条約」「日米地位協定」「日米原子力協定」が傀儡政権にとっての最高法規なのである。そして、これらを法的根拠にして、日米間のさまざまな密約を作り出して実質的に日本を牛耳っているのが「日米合同委員会」である。日本国憲法はあってなきがごときものである。

(これまでこの日米合同委員会については詳しいことを知らなかった。るいネットさんの「日米合同委員会~もっともらしい名称だが実体は、米軍が霞ヶ関を通して日本を支配するための機関」という記事がとても参考になる。)

 ところで、上の記事「日米合同委員会・・・」の中に「日米地位協定入門」という本が紹介されていたので、それを検索したら、前泊博盛編著『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』の初め40頁を無料でダウンロードできることを知ったので、ダウンロードして読んでみた。なんと、著者の一人に矢部宏治さんが入っている。

(ダウンロード先
「IWJ日米地位協定スペシャル」の下の方にダウンロード用バナーがあります。)


 さて、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を直接読んでみたいと思っていたが、とりあえず共有したい基礎知識としては「日米地位協定入門」の「はじめに」(執筆者は前泊博盛さん)で十分と判断した。ちょっと長い前書きだが、それを全文転載させていただくことにした。(ダウンロードファイルはDPFファイルでかつ縦書きなので、読みやすくするため横書きHTMLファイルになおした。)

はじめに

 きっとみなさんも、よくわかっているのだと思います。この数年、日本には大きな出来事が次々と起こりました。民主党政権の誕生と消滅、普天間基地の「移設」問題、東日本大震災、福島原発事故と原発再稼働問題、検察の調書ねつ造事件、尖閣問題、オスプレイの強行配備、TPP参加問題、憲法改正問題……。

そうしたなか、これまで、
「ひょっとして、そうなんじゃないか」
「でも信じたくない」
と思ってきたことが、ついに現実として目の前につきつけられてしまった。いくら否定しようとしても、否定しきれなくなってしまった。いま、そんな思いがしています。

 私は沖縄の宮古島で生まれ、沖縄本島の那覇市で育ちました。大学は東京に行きましたが、卒業後はまた沖縄にもどり、琉球新報という新聞社で27年間、記者をやっていました。 2011年からは沖縄国際大学という、米軍のヘリが落ちたことですっかり有名になってしまった大学に移りましたが、いまでも物ごとの見方や情報のとり方、生きるうえでの基本的な姿勢は、新聞記者時代とほとんど変わりません。沖縄で新聞記者として生きるということは、多かれ少なかれ、つねに日米安保や米軍基地のことを意識して生きるということです。

 そうした日々のなか、本書を読んでいただければわかるように、私自身、米軍基地問題に関してはかなり過激な取材や報道をして、ギリギリのところまで肉薄してきたつもりです。でも、27年かかってどうしても答の出なかった問題、このあまりにもムチャクチャな沖縄の現状の根源は、いったいなんなんだという問題に、最近、専門外の人たちから、こんな言葉をストレートにかけられるようになったのです。

「宗主国と植民地」

 これは『犠牲のシステム福島・沖縄』(集英社)を書いた東大教授の高橋哲哉さんの言葉です。高橋さんはこの本のなかで、日米両政府を「宗主国」、沖縄を「植民地」と位置づけています。高橋さんの専門は、政治でも国際関係でもない、哲学です。基地問題も米軍問題も専門ではありません。そうした外部の冷静でフレッシュな目には、はっきりそう見えるということです。
「あーあ、ついに言われてしまった」
失望と同時に脱力するような思い。

 たしかにこれまで私が新聞社の仲間といっしょに積み重ねてきた、膨大な事件取材やインタビュー、そこから論理的に考え、見直してみると、そう言わざるをえないのです。しかしこれまで自分から、そこまではっきりと言うことはできなかった。ひょっとしたらそうじゃないか、そうじゃないかと思いながら、最後の最後はちがうと思いたかった。それはやはり、そのことを肯定してしまったあとに広がる世界が怖かったからなのでしょう。

 最近では、学者でもジャーナリストでもない一般の人からも、
「結局、日本はアメリカの属国なんでしょう」
「海兵隊も、日本のほうが出て行かないでくれって頼んでるんでしょう」
などと言われるようになりました。

「そんな簡単な話じゃないんだ」
「ネットでちょっと読んだだけで、なに適当なことを言ってるんだ」
そう、言い返したい気持ちがあります。この問題に関しては、27年間、最前線で体をはっ て取材してきたという自負があるからです。しかし、そうした新聞記者としての体験をもとに、昨年からは研究者としての視点を加えて客観的に考察してみても、それはまぎれもない事実だと認めざるをえないのです。なぜなら本書を読むとわかるように、日米両国の「属国・宗主国関係」とは、たんなる外交上の圧力や力関係から生まれたものではなく、きちんとした文書にもとづく法的なとり決めだからです。その法的なとり決めの中心こそ、本書のテーマである「日米地位協定」です。 「戦後日本」という国家の根幹をなすもっとも重要な法律(法的とり決め)は、残念ながら日本国憲法でもなければ、日米安保条約でもありません。サンフランシスコ講和条約でもない。日米地位協定なのです。

 私はこれまで沖縄の基地問題について、何冊も本を書いてきました。そのときいつも胸にいだいていたのは、
「はたして沖縄は日本なのか」
という思いです。こういうと本土のみなさんは、少しうんざりされるかもしれません。戦後約70年にわたって、つねに沖縄から本土に対して訴えてきたのは、沖縄の住民の人権が米軍によっていかに侵害されているか、それをなんとか他の日本国民にも知ってほしいという強い思いだったからです。

 しかし、よく考えてみてください。法律というのは日本全国同じです。日米地位協定も日米安保条約も、すべて国と国のあいだで結ばれたものです。1972年の沖縄の本土復帰(施政権の日本への返還)以降、米軍が沖縄でできて、本土でできないことはなにもありません。そのことは昨年(2012年)7月、オスプレイ(MV22)という新型軍用機の日本への配備が決まる過程であきらかになりました。 この「未亡人製造機ウィドウメーカー」と呼ばれるほど危険な12機の軍用機は、沖縄の普天間基地に配備されたものですが、その前にまず山口県の岩国基地に運ばれ、普天間基地に配備されたあとも、沖縄と本土の上空で平均150メートルの超低空飛行訓練を実施することがあきらかになったのです。

 ここでみなさんに注目してほしいのが、「平均150メートル(500フィート)」で超低空 飛行訓練をするという、米軍発表の内容です。なにかおかしくないですか?そう。普通、飛行機はもっと上空を飛んでいますよね。それが超低空飛行をするから問題になっているのに、なぜ「平均」の高度で発表されているのでしょう。そもそもいつからいつまでの平均なのでしょう。よく考えると、一番問題なのは安全性なのですから、規制されるべきなのは「最低高度」のはずです。なのにそれをなぜ「平均150メートル」での飛行訓練と書くかといえば、

① 日本の航空法令で決められた人口密集地以外での最低安全高度が150メートルだから(→121ページ)
② 「平均」というのはそれ以下の高度で飛ぶことがあるから

なのです。事実、海兵隊の訓練マニュアル(「MV22B訓練/即応マニュアル」2010年3月)によると、オスプレイには最低高度60メートルでの訓練が求められています。絶対におかしいですよね。車におきかえてみると、「米軍の車両に関しては、高速道路の時速制限は『平均100キロ』とする」と言っているのと同じことなのです。つまり日本の法律を守るつもりは、初めからないということです。どうしてこんなことが許されるのでしょう。

 これまでこういう問題は、たいてい沖縄だけの問題として考えられてきました。戦争に負けた結果、沖縄をとられたんだから、返してもらっただけでありがたいじゃないか。少しくらい米軍基地の問題が残ったって、沖縄ががまんするしかない……。こう考える人が多かったような気がします。でもちがうのです。非常に危険な軍用機オスプレイは、沖縄だけでなく、本土の六つのルートで超低空飛行訓練をすると、すでに新聞でも報じられています。その訓練ルートの下にある県や町は、全国で21県138市町村にのぼります。すでにのべたとおり、最低高度は60メートルですから、飛行訓練ルートにあたる町の住民の方々は、心配でしかたがないでしょう。しかも、問題はオスプレイだけではありません。本土にあるこうした飛行ルートは、みなさんがご存じないだけで、昔から米軍機の低空飛行訓練ルートとして、ずっと使われてきたのです。(→117ページ)

 さらに新聞が報じていないことがあります。公式にはそうやって飛行ルートが設定され、その下に住む人たちだけが心配しているようですが、米軍の軍用機は「基地間移動(基地と基地のあいだの移動)」という名目で、事実上、日本のどの地域の上空も飛ぶことができるのです。しかもオスプレイの最低高度は「平均150メートル」、つまりどれだけ低空を飛んでもいいということです。これほど理不尽な話があるでしょうか。

 それだけではありません。現役の日本国首相の発言によって、さらに理不尽な話があきらかになりました。それは、もしも日本政府をふくむ日本人全員がオスプレイの配備に反対したとしても、安保条約が存続しているかぎり、アメリカは「接受国通報」(ホストネーション・ノーティフィケーション=米軍基地の受け入れ国への通達)という名の通達を一本出せば、日本全土の上空で、アメリカ国内では絶対にできない危険な超低空飛行訓練を行なう権利があるという事実です。いくら住民の危険が予想されても、日本政府にそれを拒否する権利はないのです。2012年7月16日、民放のTV番組に出演した野田首相(当時)は、「〔オスプレイの〕配備自体はアメリカ政府の基本方針で、同盟関係にあるとはいえ、〔日本側から〕どうしろ、こうしろという話ではない」とのべました。

 アメリカ西部ニューメキシコ州にあるキャノン空軍基地では、オスプレイなどの夜間・低空飛行訓練について、住民のあいだで反対運動が起きたことから訓練の開始を少なくとも翌年以降に遅らせる事態となりました。またハワイでも、予定されていた訓練が、「空港周辺の歴史的遺産〔カメハメハ大王の生誕地〕にあたえる影響や、騒音に関する住民の意見など」を考慮して、事実上、無期延期になったことがわかっています。ところがアメリカにとって他国のはずの日本では、いくら住民が反対運動をしても、「米軍にどうしろ、こうしろとは言えない」ということを首相が公式に認めてしまったのです。

 この言葉を聞いて、心ある日本の人たちはみな激怒しましたが、もっとひどい事実があるのです。それは、「実は法的には、野田首相の言っていることが正しい」という衝撃の事実です。旧自民党政権時代なら、おそらく実態が国民にばれないよう、「これは、けしからんことだ」とか、「アメリカに厳重に抗議する」などと言って政治的な演技をしたと思います。しかしそうした政治的経験のまったくない野田首相は、驚くほど率直に真実を話してしまったのです。そうなのです。いくら危険でも、これまで出された最高裁の判例によれば、日本国民にオスプレイの超低空飛行訓練の中止を求める権利はまったくないのです。

 さらにみなさん、驚かないでください。くわしくはこのあと本文のなかでふれますが、もしも本土を飛ぶオスプレイが東京大学の安田講堂に激突し、墜落・爆発事故が起きて機体の破片が広範囲に飛び散ったとき、米軍は東大の敷地内を封鎖し、警視総監の立ち入りを拒否する法的な権利をもっているのです。信じられないかもしれませんが、すでに日米で合意文書(→112ページ)も作られた、まぎれもない事実です。

 つまり米軍基地に関して、本土には沖縄となにも変わらない現実があるのです。この本を読んだみなさんは、おそらく、「沖縄は日本なのか」「沖縄はまだ米軍の占領下にあるんじゃないか」という思いは共有してもらえると思います。それはだれの目にもあきらかな現実だからです。

 でも、そこからもう一歩踏みだして、
「では、日本は独立した主権国家なのか」
「もしかしたら、日本全体がまだアメリカの占領下にあるんじゃないか」
という問題に向きあってもらえればと思います。米軍基地やオスプレイの問題だけではありません。冒頭でのべた原発事故やその再稼働問題、TPP参加問題、検察の調書ねつ造事件など、多くの問題を生みだす構造的原因が、そこに隠されているからです。

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