2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(33)

権力が教育を破壊する(16)

教育反動(8)


「政治的中立」って何?(2)

(今回は『大予言』から関連記事を引用します。)

 大達文相のとき、羽仁さんは参議院議員だった。第三章「文部省を廃止せよ!」で、参議院法務委員会での大達文相とのやり取りを紹介して、「教育の政治的中立」の反教育性を次のように指摘している。

 1954年に、「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律」などいわゆる「教育二法」が出た時に、この時の文部大臣は大達茂雄だったがね、ぼくは参議院の法務委員会で、この大達文相に
「お互いに歳を取ったが、あなたは、小学校時代に教えを受けた恩師の顔を、覚えているかね」
といったんだよ。そしたら、
「覚えている」
というんだね。
「その恩師の顔を思い浮かべた上でこの法律を作ったのかね。この法律は、教師は中立を守れ、中立を破ったら警察がひっぱるぞ、という法律だよ。あなたは自分の恩師に向って、こういうことをいうつもりか。文部大臣は、こんな法律を作っていいのか」
といったら、
「自分は教育については、何も知らんもので……。しかし、決してこれは教師を刑罰でおどかすという性質のものではないと思っている。それに、これはいい先生にはかからないものです」
「馬鹿をいうな、君は法律を少しでも知ってるんだろう。法律というのはすべての人間にかかるんだよ。平等なんだよ。法律の前には、悪魔もなければ天使もないんだ。だから、いい先生だってその威嚇の下に立されるんだよ」
っていったんだがね。

 そして現にそういうことが起こるんだよ。例えばその時あった事件は、山形県かどこかの知事の選挙の時に、一年生の先生が、
「明日は知事の選挙で学校が休みだから、お父さん、お母さん、みんな棄権しないように頼めよ、いい政治ができるように」
といったんだね。そこでやめておけばいいのに、
「ところで、今、知事には二人の人が立候補している」
といって二人の名前を黒板に書いたんだよね、それで
「一方の人は百姓のことがよくわかる人なんだ」
といって○を書いた、
「一方の人は、百姓のことなんか全然わか らない」
といって、×を書いたんだ。するとこれを密告するものがあった。それで裁判所で裁判をやった時に、検察官が証人として一年生の子供を連れてきた。
「どうだ、嘘をいっちゃだめだよ、嘘をいうと、お前が罪になるよ、本当のことをいえ」
っていったら子供がウアーと泣いてしまった。これではしようがないというんで、今度は弁護士が出てね
「こわくないよ、先生は二人の名前を書いたかも知れないが、○書いたり、×書いたりしなかったんじゃないか」
というと、またウアーと泣くんだね。それで結局、両方ともウアーとうなずいて泣いてばかりいるんだよね。これはね、教育を受ける者を教育する人に対立する敵性証人の立場に立たせることなんだ。つまり、教育の中立法案というのは、教育の破壊です。

 生徒はいつ教師の敵になるかわからない、裁判所の法廷において、検事側の証人として、教師に対して敵性証言をするという可能性もあるということなんだ。この時に、矢内原さんに会ったら、烈火のごとく怒ったね。
「羽仁君が参議院議員をしていながら、こんな法律を通したら、ぼくはもう君とはつき合わんよ」
というんだね。つまり
「法律というものは、一連の法律でもって一つのシステムを作っていくんだよ。教育委員会の公選を廃止する、教科書は検定にする、ということは一体どこへわれわれを連れて行こうとするか、明白じゃないか。一つ一つでもって判断なんかしていたら、危険というものは絶対わかりっこない」
といって、矢内原さんは、その時この教員の中立に関する法律案に対して、本当に心の底から怒っていたね。

 つまり教育に権力が介入してきてはいけないんだ。政府なり権力は、現状維持が本質なんだ。ところが、教育の本質は、常に進歩なんだね、したがって、権力と教育とはあいいれない。

 「政治的中立性」については、第四章「権力が教育を破壊する」でも取り上げられている。こちらは、矢崎さんがジャーナリストの立場から問題提起をし、羽仁さんと交わした会話の記録である。

 政治家は"公正"とか"中立"といった言葉が好きである。不正ばかりやっている人間に限って、公正を気にし、偏向しているからこそ中立を叫んだりするのだろうか。羽仁五郎の話は一気呵成、それこそ一直線に論理が展開されるかと思うと、ポンとわき道にそれたりする。そのわき道の話の中に、意外な発見があったりして楽しい。次に掲げる対話は、そうしたもののひとつである。

矢崎
 さっきの教員の中立の話の時に、感じたのですが、ジャーナリズムの問題でいうと新聞の中立とか報道の中立とか、つまり日本人というのは割と中立とか公正とかが好きでしょう。ところがそんなものはない。
 例えば、ぼくは新聞記者を十年やって、それから自分で雑誌を作るようになったのですが、ともすると間違いを犯すんですよ。卑劣なこともしかねない、裏切りさえもするかも知れない。だけどいつも「お前はジャーナリストだよ。それでいいのかい?」ということを自分にいいきかせる。何となく、それはまずいかなという気持になる。つまり歯止めが、自分がジャーナリストかどうかということを問いかけるということなんです。
 ところが世の中のマスコミで働いているのに自分はジャーナリストだという奴がいる。そいつらの話を聞いているとどうもおかしい。よく中立とか公正ということを平気でいっている。つまり、さっきの教育の問題とまったく同じで、中立を守るということが非常に大切なことだと錯覚している。中立を守るというただ一つのことのために、その人間がやらなければならない大切なことを置き忘れてしまって、ごまかしてしまっている。「私は中立のジャーナリストだから、そんな事には加担できない」といいながら、結局、中立を笠に着て自分の生き方のやましさをごまかしてきているのではないのか。日本の新聞ジャーナリズムはその最たるものだという気がします。

羽仁
 そうね。十年くらい前に、東京で国際新聞経営者協会の大会があった。この新聞経営者の国際会議の席上で、西ドイツの代表が日本の新聞に向って、日本では選挙のたびにつまり世論調査のたびごとに、"わからない"という人の数が非常に多いというんだね。38パーセントに近いんだからね。それから、選挙のたびに与党が勝っちゃうんだよね。これが彼らにはわからない。その原因を彼は「日本の新聞の中立性にある」といって指摘している。つまり新聞は党派を明らかにすべきだとね。新聞が中立では、国民に判断の仕様がないんだよ。Don't Now「わからない」という率が日本では異常に高くなるのも当然なんだよ。そしてその一番の根本原因は文部省だ。文部省があると、みんな頭が悪くなっちゃうんだよ(笑)。そこで、前章の結論だけど、文部省を廃止すれば、日本の教育はその日から素晴しいものになるんだよ。国会図書館法の冒頭の前文に「真理がわれらを自由にする」と書いてあるんだが、同時に「自由がわれらに真理を認識させる」んだ。天皇制にしても、文部省にしても、人間を馬鹿にする根本原因なんだよね。
 例えば、中立性というのは、哲学的には、いわゆる現実概念ではないんだよ。世界のど こかに中立があるか、というと、これは無いんだな。昼があり、夜があるだけで昼と夜の中立なんてものはない。それで、中立というのはどんな概念かというと、課題概念なんだね。みんなで努力して実現する概念なんだよ。だから、中立というのは二つの対立するものがないところにはないんだよ。対立するものが自由に主張し合って初めて中立がでてくる。だから、実在する概念だという考えは独断論になってしまう。すなわち、「自分は中立だ」「自分は神である」「自分は天皇である」「自分は文部省である」「自分は総理大臣である」というふうにね。だから、田中角栄でも佐藤栄作でも自分が著しく不道徳であるとか、自分が著しく反動であるとは思ってないでしょ。自分は中立だと思っている。これは恐ろしいことだよ。ですから、反対党を認めない、強行採決をやるわけだよ。

矢崎
 そうですね。その強行採決をやることが国民の真意にのっとっているような感覚でやってる。

羽仁
 そうなんだ。例えば教育の中立に関する法律っていうのを、自民党は通したい、いや社会党は通したくないと、この二つが討論して初めて中立が実現できるんだということだね。だけど彼らは頭が悪いために、中立ということを言葉の上では知っているけれども実際に中立を実現する方法を知らないんだよ。

矢崎
 だから恐ろしいなあといつも思うのは、あの強行採決をやった時に、変にあの人達は使命感に燃えているでしょ。とても素晴らしいことをやっていると思っている。

羽仁
 そう、悪いことをやっているとは思っていない。これはヒットラーがアウシュヴィッツで何百万人もの人を虐殺した時に、その役人は立派な帳簿を作っているんだよ。これで戦争犯罪の証拠が残ってしまった。彼らは公務だと思っているから、ちっとも悪いことをしたなんて思っていない。
 したがって例えば公務執行妨害ということも成り立つんだな。公務執行妨害なんていうのは、本当ならば論理的には成り立たないんだよね。公務が妨害されるというのは、それが公務でないからなんだ。誰が公務を妨害するでしょうか。例えば警察が本当に中立であるなら、誰も妨害しませんよ。

矢崎
 日本の警察官が市民の側に立っていないことは明らかですが、せめて公正であって貰いたいといつも思います。ことに車の運転なんかしていると、一日に一度くらいは警察官からひどい扱いを受けるんです。いきなり停車を命じて「どこへ行くのか」「助手席にいる人とはどういう関係か」「この車の持ち主は誰か」と矢継ぎ早に質問してくる。理由もいわず、たずねるというより尋問するといった感じなんですね。素直に答えないと、「ちょっと来てくれ」ですからね。人権なんて、なんとも思っちゃいないんでしょうね、たぶん。警察手帳を見せる義務は彼等の側にあるわけで、正当な理由なしに免許証を提示することも質問に答えることも、われわれは義務づけられていないわけですから、警察官の態度にはうんざりします。

羽仁
 だいたい警察権力といったものは、弱きをくじき、強きを助けるためにあるようなものなんだよ。だから刑法が改悪されたりしたら、どんどん法の解釈を自分たちに都合のいいように考えて、その適用範囲をうんと拡大してしまう。極端なことをいえば、何もしない奴を、ただ気に入らないという理由だけで引っぱることだってできる。韓国の軍事裁判なんて、その最たるものだよ。こっち側に何ひとつやましいところがなくても、先方ににらまれたら、どんな目に合わされるか、わかったものではないんだ。

 このシリーズの第一回《『羽仁五郎の大予言』を読む》(1)で紹介したように、羽仁さんは大日本帝国敗戦直前に治安維持法違反で逮捕され、激しい拷問を受けている。そのときの逮捕理由は「YWCAの成人講座で共産主義を宣伝し、戦争に反対する言動があった」である。羽仁さんは「にらまれたら、どんな目に合わされるか、わかったものではない」ということを身を以て経験している。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1946-e37af19d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック