2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(29)

権力が教育を破壊する(12)

教育反動(4)


 1951年9月8日に日米が調印した「サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約」(対日講和条約)が1952年4月28日に発効した。これで日本は名目上独立を果たした。しかし、実質的にはアメリカの属国条約だった。よく知られているように、1951年2月26日に日米講和交渉のために使節団を率いて来日したジョン・フォスター・ダレスは使節団の会議で次つぎのような発言をしている。
「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか? これが根本的な問題である。」

 アメリカはこの「権利」を確実に獲得した。この「権利」のために一番被害を受けて苦しんでいるのが沖縄だ。だが、この「権利」はアメリカによる軍事的支配を意味するだけではなかった。以来現在に至るまで、自民党政権は立法・行政・司法の重要な局面で、時にはアメリカからのあからさまな圧力もあったが、それがなかった場合でもアメリカの意向を忖度し、アメリカの「望む」政策が取られていった。属国化した日本の教育反動もいよいよあからさまに大きく動き出す。その動きを追ってみよう。

1952年

1月18日
 日本私学団体連合会、文部省の標準教科書編纂計画に反対表明。PTA団体や日教組なども反対を表明。

 1951年11月16日の「教育制度の改革に関する答申」中に、
「教科書については、検定制度を原則とするが、種々バラエティをもった標準教科書を国家において作成すること」
という項があった。これは明らかに戦前の国定教科書復活を目論んだものである。上のような多くの反対を受け、文部省は1月23日にこの計画中止を発表している。


2月20日
 東大ポポロ事件起こる。

 この事件については「裁判は階級的である(5)」で取り上げた。

4月3日
 参議院文部委員会、学問の自由と大学の自治に関する意見書を発表し、憲法的保障をもつ基本権として重視、警察権の介入を戒める。

 これは明らかに東大ポポロ事件を念頭に置いた意見書である。この参議院文部委員会の中心となっていたのが羽仁さんだった。

4月28日
 対日講和条約発効

5月9日
 早大事件起こる。

 私はこの事件については全く何も知らなかった。正確には第二次早大事件と呼ばれている。「戦後学生運動の“最後の輝き”か」を利用させていただく。

 5月1日のメーデー事件に参加した学生の調査のために身分を偽って早大キャンパスに立ち入った神楽坂警察署の2人の私服刑事が学生に見つかった。学生たちは「警察官の大学構内無断立ち入りは、これを禁じた文部事務次官通達に違反する不法行為」として、始末書、陳謝文を書くよう要求。刑事がこれを拒否したため、学生側が抗議を続けたところ、9日午前1時過ぎ、300人を超す警官隊が実力行使を開始、座り込んでいた無抵抗の学生たちを排除し、学生26人を逮捕、学生・教職員100余人に重軽傷を負わせた。警官隊の大学構内侵入と無抵抗学生への暴行は社会的にも批判を浴び、国会でも取り上げられた。

6月6日
 「中央教育審議会令」を制定。

 この令にもとずいて文相の諮問機関・中央教育審議会(中教審)が発足したのは1953年1月6日である。

6月12日
 教育刷新審議会を廃止。

 戦後教育民主化の要の役を担ってきた教育刷新審議会は逆コースを歩み始めた文部省にとっては大きな目の上のたんこぶだった。それに変わって設けられたのが中教審だった。

 中教審は発足以来、日本資本主義の維持・強化のための教育「改革」(という名の改悪)答申をだし続けていく。ちなみに、1953年1月6日に発足した中教審の15名の中に、あからさまにも次の5名の財界人が任命されている。
 原安三郎(日本化薬社長)
 藤山愛一郎(大日本製糖社長)
 諸井貫一(秩父セメント社長)
 石川一郎(昭和電工社長)
小汀利得(日本経済新聞社顧問)

 この中教審に対して、羽仁さんはその偽善性を厳しく批判している。なお、「権力が教育を破壊する」は1974年6月に行われた対話であり、談話中には第2次田中内閣の文相、あのごちごちの改憲論者・奥野誠亮の名も出てくる。

 これ(中教審)は偽善のシンボルだよ。詳しく論じるまでもないが、最近遠藤周作君が辞任したことでもよくわかる。あの"ぐうたら"遠藤君でさえ、2年と勤まらなかったんだから。いかに中教審というところはひどいかということね。"ぐうたら"以上だね(笑)。あそこにいる森戸辰男などは、およそ"ぐうたら"じゃない奴なんだな。人間でぐうたらじゃないなんて、人間じゃないよ。すなわち、エコノミッ・アニマルだな。まあ、遠藤君にしても就任したことからしておかしくて彼の"ぐうたら"主義というのは宣伝にすぎないのかな、と思っていたが、やっぱり、"ぐうたら"の本領を現わしたね。いたたまれなかったんだね。その中教審の偽善性について述べてみよう。

 政府は、行政権が教育を動かしてはいけないということを、憲法にもあるように知っている。行政権が教育を動かすということは、すなわち政党教育をやるということなんだ。自民党が政府をとったら自民党教育をやるということね。これは罪悪だと、憲法は厳にいましめている。

 そのことを政府は知っているんだな。にもかかわらず、それをのがれる方法として、教育委員会、中央教育審議会を作った。だから「こんな日本人を作ってしまったのは文部省の責任だよ」というと、「とんでもない、文部省は行政権だから、教育には直接タッチしておりません。中教審、教育委員会等でやっていただいております。これは行政権ではございません」というんだな。こんな偽善が果たしてあっていいものだろうか。現に、教育委員長を集めて奥野文相が訓示をやっているんだからね。しかも、教育長の任命は文部大臣の承認がいるんだよ。公選の時の教育委員会なら、行政権が直接教育を動かしていないと、公明正大に主張してもいいよ。でもそうじゃないんだよ現実は。「行政権は直接教育に干渉しておりません。委員会、審議会でやっております」と。その委員会、審議会は、直接行政の下にあるじゃないか。これが今の政府のやり方なんだよ。

 教育だけの問題じゃなく、例えば、破壊活動防止法についても同じ論理なんだ。これは反対党を絶滅する法律だよね。ところが政府は「破防法には行政権は直接タッチしておりません。公安審査委員会がやります」というんだ。ぼくはこの時、参議院の法務委員会で、
「この公安審査委員会というのは、自分の調査機関を持っているのか、自分で強制調査ができるのか。もしそうならば、どういう調査をやり、どんな資料を集めて審査をするんだ」
といったことがある。全部政府が作った調査と政府の公安調査庁で作った資料でやるんだよね。こんな据膳を食わされている公安審査委員会に、紳士らしい紳士が一人でも就任すると思いますか。自分で調査もできなくて、人にこしらえてもらった資料で判断するんですよ。実に恐ろしいことだ。にもかかわらず政府は公安審査委員会には、直接夕ッチしていないという。これが政府のやり方なんだ。審査委員会とか委員会とかいうのだったら、独立して調査ができなければだめですよ。

 だから、森戸辰男なんていうのは、まったくの偽善者だよ。中教審がどういう独自の調査をやったことがあるか。全部、文部省の作った調査でしょ。だから、遠藤君はいたたまれなくなってきたんだよ。もう一人の作家で有吉佐和子もいたが、彼等が意見を述べても、文部省は爪の垢程も聞きやしない。つまり、中教審は偽善の道具だからですよ。自民党が財界の利益しか考えていない結果だよ。

 政治献金で成立する政府というのは国民の税金を財界のために使う政府なんだ。まあ、これは当然のことなんだ。猫に鰹節を食うなというのと同じで、やめろといっても無駄なんだ。独占資本から政治献金をもらって成立した政府は、国民の税金を国民のために還元しないんだよ。だから、そういう教育を彼等はやるんだよ。財界が使い捨てにするための労働者を作っているんだ。そのことを隠すために、中教審を政府は作ったということね。

 ただね、これは国民の側にも問題がある。政府がいっている「文部省が教育に直接タッチしているわけじゃなくて、教育委員会、中教審が決めたことをただ事務的にやっているだけだ」ということを国民は信用してるんだね。

 だから極端にいって、明治以来教育を受けない人ほど、人間が人間らしいですよ。田舎の小学校にも行かなかったようなおじいさん、おばあさんが一番人間らしい。例えば、三里塚のおばあさん達をみてもわかるでしょう。あのおばあさん達が「オラ達は、生まれてから小学校もやってもらえなかった。子守りをやらされたり、畑仕事をやらされたりして、毎日泣いて暮らした。でも今度、三里塚闘争をやって、初めて人間らしい喜びを味わった」といっているんだよ。それから、『ガンガンは鳴りわたる』という文集にも、あの三里塚で赤ん坊にお母さんが乳をやっている時に、機動隊が測量にやってくるとガンガンが鳴るんだよね、そうすると、赤ん坊が乳房を離すというんだよ。こんなことはぼくは信じられないくらいだね。つまり、赤ん坊は母親がどんな生活をしているか、直感的に支持してるんだね。ガンガンが鳴ったらお母さんは行くんだ。だから、もう少しお乳が飲みたくても乳房を離す。これが本当の教育なんだよ。これはぼくがいっているんじゃなくて、三里塚の子供達が学校に行かないで闘争をやっているので校長が子供を学校へ来させろといったら、親達が学校へ行くよりもわれわれと闘っている方が本当の勉強ができると思うといったら、校長は言葉なく引きさがったそうだ。これなんだよ、真の教育は。

 中教審なんてものは日本の教育を滅ぼしているんだ。『教育の泉』という個人の小さな新聞を出している人も書いているが、10年ほど前に、政府が道徳のための時間を作るといい出したが、真の意味での道徳教育なんて政府ができるのかとね。ある小学校で、車椅子に乗っている身体障害の子供がいたんだが、他のみんなが臨海学校で海へ行くという時に、学校側は、身体障害者は無理だから止めさせようとした。すると、同級生たちは、俺達が何とかするから一緒に行かせてくれといって、みんなで、車椅子をひっぱって、二泊三日の臨海学校へ連れて行ったというんだよ。こういう素晴らしい子供達に対して、いったいどんな道徳教育が必要だというんだね。文部省や中教審のいう道徳教育なんて、子供達をだめにするばかりだ。

 それと、この間の"モナリザ展"ね。これは文部省の文化庁がやっているんだが、最初は"身体障害者はお断り”だったんだよ。ところが批難がすごかったので、日を決めて見てもらおうということになった。つまり、文部省というものはこういうものなんだ。混雑するから身体障害者は"モナリザ"を見なくていい、ということね。人間を混雑の対象としてしか考えない。公務執行の方からしか考えないんだよ。これらのことはすべて、中教審などにあらわれている文部省の偽善性が原因なんだよ。

 引用文中に「三里塚のおばあさん」が取り上げられている。私も「三里塚のおばあさん」を取り上げたことがある。次の記事です。

「非暴力直接行動(4)三里塚のこと」
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