2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(27)

権力が教育を破壊する(10)

教育反動(2)


戦後教育史年表(5)
 GHQの占領政策転換


1949年

10月1日
 中華人民共和国成立。

1950年

1月1日
 マッカーサー、年頭の辞で次のように述べる。
「憲法第九条は自衛権を否定していないから、日本が自由主義陣営の側にたって、武力を行使することを期待する。」

 これは下記7月8日の指令の下地作りだった。

6月25日
 朝鮮戦争勃発。


7月8日
 マッカーサー、日本政府に対して7万5千人の警察予備隊の結成と海上保安庁8千人の増員を指令。

8月10日
 警察予備隊設置。

 警察予備隊は52年10月には保安隊に、54年7月には自衛隊に改組され、日本はひたすら再軍備の道を進むことになった。

 このように、GHQは日本を「反共の防波堤」として位置づけ、日本の非軍事化という占領政策を放棄して、再軍備と独占資本の復活に力点をおくようになった。当然これは政府の文教政策にも直接反映されるようになる。

8月27日
 第二次米国教育使節団来日。

9月22日
 第二次米国教育使節団報告書を提出。

 第一次報告書が全体として教育の非軍事化、自由主義化に重点をおいたのにたいし、第二次報告書の基調は「教育投資論」と「人的資源」開発理論のもとに、反共のための教育を勧告した。最大の問題は、「極東において共産主義に対抗する最大の武器の一つは、日本の啓発された選挙民である」として日本の教育をアメリカの反共政策の道具とすることを要求していた。(教科書Aより)

 これを受けて、日本政府(第三次吉田内閣)はどのように応じただろうか。(以下、教科書Cによる)

 吉田は1949年5月に私設の諮問機関として「文教審議会」(翌年4月に文教懇話会と改称)を設けている。当時、首相直属の諮問機関として教育刷新委員会があり、GHQの占領政策にそって教育の民主化のための重要な建議をしてきていた。従って、文教審議会の設置は、占領教育政策に軌道修正を加えることを意図していたことは明らかである。

 文教審議会の会合の席上で、吉田は「教育勅語にかわる教育宣言のようなものをつくってはどうか」と提案している。吉田は次のように述べたという。
「教育勅語をやめて、かわりに教育基本法が制定された。しかし、この基本法は、民主主義国ならどこの国にも通じることを常識的にならべて法律にしたまでのことで、これだけでは不十分だ。歴史と伝統のある日本人全体に感銘を与えるような血の通った教育信条のようなものがほしい。」
 この提案は賛成を得られなかった。しかし、この発言には、GHQの占領政策の転換と符節を合わせたように、これまでの教育改革への吉田の不信感と不満が表明されている。

GHQの要求に応えるべく、吉田は、1950年5月の内閣改造にともない、文部大臣に政党人ではなく学者を選んだ。文教審議会の一員でもあった天野貞祐である。天野は初めは固辞していたが、吉田は三顧の礼をつくして説得したと言われている。この天野が以後の教育反動の筋道を作ったと言ってよいだろう。天野が文部大臣として行ってきた反動の道筋作りを年表風に追ってみよう。

1950年

5月6日
 天野貞祐、文部大臣に就任。

6月17日
 文部省、学生と政治集会・デモ参加禁止を通達。

7月25日
 文部省、学内集団行動及び示威運動について通達。

12月13日
「地方公務員法」を公布し、政治活動・争議行為を禁止

 上の二つの通達が学生運動弾圧を公言した初めての声明ではないだろか。学生運動を敵対視する日本の国家権力に対する羽仁さんの批判は
「裁判は階級的である(3)」
「裁判は階級的である(4)」
「裁判は階級的である(5)」
で紹介済みだが、「権力が教育を破壊する」でも学生弾圧について次のように言及している。

 戦後ぼくが、ヨーロッパに最初に行ったのは1952年だったが、その時はどこでも日本は民主的な平和な国家になっていくと思って、好意を持っていたよ。わずかに、ブダペストの郊外に戦争孤児の収容所があったんだが、そこへ行った時に、10歳くらいの男の子がやって来て、
「あなたは戦争中に何をしてた?」
と聞くんだね。
「牢屋に入っていた」
といったら、
「ローゼンベルグのようにならなくてよかったなあ」
というんだな。実に鋭い質問をするんだよ。子供だけはわれわれに対して厳格だったね。日本が民主的だとか平和国家になるからとかいって、うっかり信用はできない、いったい、日本は戦争中何をしてたかということでね。その子供らを除いて戦後10年間は、世界は日本の侵略主義からの脱却と民主主義国家建設への努力という点で好意的な目で見ていた。

 しかしその後、60年安保の直後ヨーロッパヘ行った時に、いたる所で聞いたのは

「やはり日本はもとの軍国主義、侵略主義の日本になっていく」
ということだったね。ただ一つ、もとの日本と違うかなと思えるのは学生だけという意見が実に多かった。

(中略)

 それから、日本だけですよ、学生を逮捕して裁判をやっているのは。ヨーロッパの常識では、学生は犯罪者ではない。大学の改革を要求し、社会の改革を要求するということは犯罪じゃないんだ。これらをすべて日本は無視しているんだな。

<管理人注>アルフレート・ローゼンベルク
 ナチ党の幹部。対外政策全国指導者・第二次世界大戦期には東部占領地域大臣も務めた。ニュルンベルク裁判で死刑判決を受け処刑された。


9月1日
 天野貞祐文相、教職員のレッドパージ実施を表明。各地の大学で試験ボイコット、反対ストが行われる。

 学生たちは、文部省の通達をものともせず、理不尽な悪政に対して抗議の声を上げた。

10月17日
 天野貞祐文相、「学校における『文化の日』その他国民の祝日の行事について」談話を発表し、学校の祝日行事に国旗掲揚・君が代斉唱を勧める。

11月7日
 天野貞祐文相、全国教育長会議で修身科復活、国民実践要領の必要性を表明。

 自民党は学校での君が代・日の丸の押しつけを機会あるごとに少しずつ押し出してきた。そして1999年、小渕内閣が国旗国歌法を制定して目的を達した。たぶん、石原慎太郎の東京都での悪政がその直接の引き金だったと思われる。その意味で石原の「東京から日本を変える」という傲慢な意図は自民党に引き継がれたことになる。国旗国歌法制定のときの首相談話で小渕は「国民の皆様方に新たに義務を課すものではありません」などと白々しいことを言っていたが、この手の「初め揉み手で後恫喝」は自民党政治の常套手段だ。現在、東京都が始めた君が代・日の丸の強制が学校にすさまじいほどの荒廃をもたらしている。

 また、道徳教育の問題でも、いまアベコベ政権があからさまに「道徳の教科化」を打ち出して戦前の「修身」復活を目論んでいる。

 9月9日に受信した「都教委包囲首都圏ネットワーク」さんからのメールに『「戦争は教室から始まる」を阻止する10・3集会』の報告記事があった。その中に現在の教育現場の荒廃ぶりを告げる報告がある。その中から2件を転載しよう。

 都立高に新任で赴任して正式採用にならず、 それを不当としたために「分限免職」になり、 いま裁判闘争を闘っている教員の方からの報告。

 着任した学校の校長は、ひどいパワハラを副校長にやっていた。彼は副校長に対し、『人間ヤメロ!』『死ね!』『退職しろ!』『土下座しろ!』などの言葉を投げつけていた。

 その副校長は自分と親しかった。そのせいか自分は不採用になった。それで裁判闘争を始めた。来る12月8日が判決日だ。教頭も証言に立ってくれた。

 しかし、都教委はそのような校長を全面的に擁護し、『120%正しい』とか、『何のミスもない』と言うばかりだ。

 自分は最初都教委で起きていることなど他人事のように考えていた。しかし、おおきな現実にぶつかり、とんでもないバカなことが起きていることに気づいた。このような都教委は積極的に潰して行かなければならないと思うようになった。

 次は、多摩教組の方による現在職場で起きている実態報告。

<道徳>の授業
 道徳の授業への介入が進んでいる。授業案のチェックがなされる。しかし、それは日本語も通じないようなひどいものだ。副読本の使用を強制している。都も文科省も作っている。まさに『国定教科書』が現場に配布されている。授業の流れも画一化し、最後に必ず『結語を入れろ』と言う(徳目の押し付けであろう)。

<学力向上>について。
 『東京ベーシックドリル』などというものが入ってきている。しかし、これは出来が悪い。子どもにやる気がでない。市販の方がよく研究されて作られている。しかし、『必ず取り入れろ』と言う。そうしてテストの結果をデータ調査している。要するに教育内容にまで口を出してきている。

<授業規律>について。
 若い教員もベテラン教員も同じように強制されている。「ハイと手を上げ、立って答える」などだ。したがって校長の授業観察も、子どもの様子などばかりで評価している。授業の内容は二の次だ。若い教員はすぐ校長に聞きに行く。指導要領が変わっても、疑問も持たず、それがバイブルのように思って授業をやっている。

<勤務実態>について。
 授業時間が多くなっており、自分は毎日5時間授業をやっている。その後すぐ会議が入る。教材研究などをやる時間はない。夜9時頃まで帰れない人も多い。休日出勤も当たり前だ。振替休暇も夏休みに取れという。過労死寸前だ。病休者も大勢いる。まさにブラック企業だ。

12月13日
「地方公務員法」を公布し、政治活動・争議行為を禁止。

 こういう法律を目にすると、私は「見猿、聞か猿、言わ猿」という「三猿(さんえん・さんざる)」を思い出す。この格言はもとは他人の短所や過ちを安易に非難してはいけないという戒めを意味しているが、上の法律は公務員に「政府の秘密を見るな、政府の不都合な言説は聞かなかったことにせよ、ともかく政府のやることに文句を言うな、つまり猿になれ」と言っているに等しい。この規制を最大限に広げたものが「特定秘密保護法」にほかならない。

追記:
「秘密保護 法で国民 みな三猿(みざる)」
という川柳に出会いました(「年頭のご挨拶 - マツモト印刷株式会社」というAdobePDF文書より転載)。
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