2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(25)

権力が教育を破壊する(8)

番外編:教科書裁判


②家永さんの「教科書裁判」

 家永三郎さんの教科書裁判は第一次・第二次・第三次と三回にわたって起こされている。そのうち1967年提訴の第二次訴訟(1966年の検定における『新日本史』の不合格処分取消を求める行政訴訟)の判決が「教育権というのは、政府にあるんじゃなくて国民にあるんだ」ということを明言した判決だった。「どうなってるの裁判官、分かりやすく、納得できる裁判を 教科書検定を追認、行政にフリーハンドのお墨付き」さんから、その判決について述べている部分を引用する。

 とくに1970年7月17日の第2次訴訟の東京地裁判決(いわゆる杉本判決)は、教科書検定制度の違憲性は否定したものの、家永教授が執筆した「歴史をささえる人々」など3件6ヶ所の記述に対する不合格処分は憲法21条、教育基本法10条に違反するとの画期的な判断を示した。

 この杉本判決への政府自民党ならびに最高裁当局の攻撃は厳しく、
a.
 この判決に関与した杉本裁判長らはその後の待遇面で不当な取り扱いをされた。
b.
 その後のいわゆる「司法の危機」等を経て、裁判所の中には違憲判断をする雰囲気はなくなり、教科書訴訟のその後の判決は、教科書検定制度ないし処分は合憲との判決が相次いだ。
C.
 こうした中で、教科書訴訟弁護団は、最後まで違憲論を主張し続けながらも、仮に検定処分が違憲とまではいえないとしても、この原稿記述に対する検定処分は裁量権を監用して違法ではないか、という「裁量権濫用論」の主張をも重視するようになった。
d.
 第1次訴訟東京高裁判決(いわゆる鈴木判決)とこの最高裁判決(いわゆる可部判決)は、行政裁量権について裁判所としての判断を示したものである。

 杉本判決は「不合格処分は憲法21条、教育基本法10条に違反する」と断じた。念のためそれらの条文を掲載しよう。

憲法21条
① 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

教育基本法10条
① 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
② 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

  ちなみに、教育基本法は2006年に第一次阿倍内閣によって改悪されたが、教育基本法10条①という重要な条文は次のように改ざんされている。
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり・・・」
 これでは何が「不当な支配」なのか、その時々の政権によって恣意的に決めることができる。そして何よりも問題なのは、下級の法律が上位の法律より幅をきかし、上位の法律を無視することになる。つまり、最も上位の憲法を無視することになる。第二次安倍内閣は憲法違反の閣議決定を続発しているが、改悪教育基本法も憲法21条違反の欠陥法律である。以前「米長の欺瞞」で紹介した美濃部亮吉さんが都知事であったときの発言を再録しておこう。

『仮に通達と法律とが矛盾しあうならば、法律に従うべきであり、法律と憲法が矛盾している時は、憲法に従うべきであるというのが私の行政官としての判断である。』

 さて、「どうなってるの裁判官・・・」さんは、「鈴木判決」「可部判決」の問題点を次のようにまとめている。

1.
 家永教授が提訴した第一次教科書訴訟は、1審の高津判決では、数ヶ所について検定の裁量権逸脱による違法を認定したが、
2.
 その後の鈴木判決、これに続く可部判決で取り消され、結局家永教授が執筆した日本史教科書に対する300ヶ所余りにのぼる検定意見は、すべて合憲合法と結論づけられたのである。
3.
 両判決の特徴は、行政の裁量権を極めて広く認め、結局は教科書検定当局の恣意的な検定処分をすべて追認するものである。
4.
 ここには、悪法が裁判所に課した国民の基本的人権を保障する役割を放棄し、行政に追随する裁判所の姿が明瞭に見てとれるのである。

 手元に三一書房が複製出版した『検定不合格日本史』がある。家永さんによる序文を転載しよう。

序文

 本書は、1956(昭和31)年に、文部省に高等学校用教科書として発行するために検定申請用の白表紙本として提出され、翌57(昭和32)年に下記のとおり不合格処分を受けた原稿の全体を、写真複製したものであり、原色口絵がモノクロームとなっているほかは、原本と全く同一の復原である。

 文初教第540号  昭和32年4月9日
  株式会社三省堂殿
   文部省初等中等教育局長  内藤誉三郎
  検定申請教科用図書の原稿審査の結果について(通知)
 昭和31年11月29日付検定申請の高等学校用日本史原稿は、遺憾ながら別紙の事由により教科用図書検定審議会の答申にもとづき、不合格と決定されましたので通知いたします。

  (別紙)高等学校日本史196
 この原稿は、構成・記述・表現等において特色があるが、高等学校社会科日本史の教科書としては、下記のような欠陥が認められる。
 第一に、事実の取捨選択に妥当を欠いているところが少なくない。すなわち日本史にあっては「常に具体的な史実を重んじ、実証的、客観的方法に基づいて、日本史の発展を科学的に理解しようとする能力と態度とを養う」(検定基準、絶対条件(三)の3の(1))ことが求められているのであるが、この原稿では、特に第4編第4章(274ページ~296ページ)などにおいて史実選択の上に妥当を欠くものがある。「日本史の研究方法」(318ページ)の記述において説かれていることは、生徒の学習態度にのみ求めるべきことではなく、教科書自体のとるべき態度である。
 第2に、記述が往々評論に流れ表現や語調に教科書として適当でないところが認められる。
 第3に、過去の史実により反省を求めようとする熱意のあまり、学習活動を通じて祖先の努力を認識し、日本人としての自覚を高め、民族に対する豊かな愛情を育てるという日本史の教育目標から遠ざかっている感が深い。
 以上のような事由を勘案し、総合的にみて、この原稿は高等学校社会科日本史の教科書としては適当とは認め難い。

 教科書訴訟において、被告国または文部大臣は、教科書検定はけっして思想審査・思想統制のためにやっているのでないとくり返し弁解しているが、上記の不合格理由は、検定が思想審査・思想統制以外の何ものでもないことを明白に示している。不合格理由として、誤記・誤植が多く不正確であるということが一言も記されていない点に注意していただきたい。

 従来、不合格理由と白表紙本全体とを対比させて教科書検定の具体例の全貌を公開する企画はなされなかった。たまたま三一書房の竹村社長から「検定の実態を天下に公表して文部省の真意を明らかにするとともに、今日なお国民の熟読に値する日本史の通史を世に送るために、この不合格原稿を複製出版した い」旨の申し入れがあったので、私としては現在の学界・教育界の水準からみて一般読書用の通史としては多くの添削の必要があるとは考えるものの、せっかくのこの機会に、教科書検定が憲法違反の思想統制であることの明確な証拠を全国民の前に公開したいと思い、高校の教室で使ってもらうために全力投球で書きあげながら闇に葬り去られた20年前の旧稿を、一切手を加えないでそのまま覆刻することにした次第である。

  1974年4月19日   家永三郎

 「日本史の研究方法」(P.318)で説かれていることを教科書執筆者も心掛けろと説教をたれているが、その文は『日本史の研究方法』と題した巻末の参考論説中の「6 参考書の読み方その1(現代学者の研究書)」(P.317~317)を指しているようだ。このような論説を掲載する教科書がほかにあるだろうか。私は寡聞にして知らない。検定官が「構成・記述・表現等において特色がある」と一つだけ評価しているが、この論説もその一つであろう。「6 参考書の読み方その1」の全文を転載しよう(段落のない文章ですが、私の判断で段落をつけました)。

 諸君が日本史を研究する場合、いちばんの手がかりは、まず学校で使う教科書であろう。それからもう一歩突っこんで深く研究しようとする人は、教科書にあげてある参考書目の中から読みたいものを見つけ、図書館などへ行って読むがよい。自分の深く研究したいと思う問題について、現代の専門学者のりっぱな研究がある時には、まずそれを読み、現代の学界で,どんなことが問題として採り上げられ,どんな材料によって,どんな方法で研究され,どんな結果が出ているかを知る。その場合,著者が何を求めているか,何を言おうとしているかを虚心に読み取り,著者の研究の趣旨を誤解しないように注意すること。結論ばかりを見ないで,その結論が導き出されるまでの議論の進め方をよく検討する方が,もっとたいせつである。

 専門の学者の研究に対等の批判を加えるのは,諸君に向かって少し無理な注文であるかもしれないけれど,いくら専門家でも,人間である以上まちがいもあれば,考えの足りないところもあろう。「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず。」ということわざもあるとおり,どんな偉い人の本でも,盲目的にその議論をうのみにしてはいけない。たとえまちがいの見つからなかった場合でも,自分の頭でよく理解し,自分の納得できたことだけを採り入れて自分の知識とする心構えが必要である。

 もし重大な問題について,学者の間に二つ以上の意見の違いがあることがわかったら,それぞれの立場の意見を冷静公平に検討し,他の意見を顧みないで一つの立場の意見だけにとらわれないようにするのが,正しい態度である。

 科学的な研究態度を述べていて、どこにも問題はない。検定官は最後の段落を指して「教科書自体のとるべき態度」と説教しているのだろう。「他の意見を顧みないで一つの立場の意見だけにとらわれ」ているのは検定官の方だろう。家永さんは「自分の頭でよく理解し,自分の納得できたことだけを採り入れて」教科書を編纂したのであって、なんら問題はない。二つ以上の見解があるのならそれらを全て併記せよ、というのなら、それはそれで生徒に考える機会を与える面白い教科書ができるだろう。しかし、文部省にはそんな発想のかけらもあるまい。文部省は教育内容に口を出すな、と言いたい。

 羽仁さんは教科書検定について
「それはまさに事前検閲で違法行為なんだよ。憲法違反だ。今の教育の基本にされている教科書においてさえも文部省は脱法行為をしているんだ」
と言う。また
「教科書は教師が自由に選べばよい」
というのが羽仁さんの持論だが教科書ついては次のように述べている。

 教科書ということに関しても、教師が自由に選べばいい。ただ、あまり間違いがあるとまずいから、多少、技術的な点で誰かが調べるといった程度のことは問題になるがね。例えば、言葉の間違いとか、年代の間違いとかね。

 これはね、さっきの話じゃないけれど、今だに自由学園では教科書を使わない。羽仁もと子はしょっちゅういってましたが、教科書というのは実際ふざけたものだってね。一番わかりやすい例は国語なんだけど、いろいろ名家の文章をて1ページか2ページくらいをとってそれを集めて読ませるでしよ。あんなに性質も文章も違うものを少しずつ読んだって、どうしようもないんだよ。

 やはり、一つの本を初めから終りまで読んで初めて、わかるものなんだよ。ぼくが自由学園で教えた時も、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を半年くらいかかって読む。教科書がこれなんだな。『レ・ミゼラブル』なら歴史の教科書もいらないし、道徳も政治も経済学の教科書もいらないんだな。つまり人生すべてがこの中に入っている。ユゴーが序文でも書いてるように、大人が子供をおどかして、子供が怖がるということがないように、女性が自分の身体を売らなければならないということがないように、男が貧しいために虐待されることがないようにこの三つの問題がある間は、この本が読まれる必要がある。つまり、人生とはこの三つでしょ。これが、経済学であり、政治学であり、道徳であり、文学であり、芸術だろう。

 たしかに、自由学園は創立の頃からとは大分違ってきているが、今だに教科書を使ってない。しかも自由学園が日本の戦後の教育民主化の模範になったという事実を考えてみても、いかに文部省が本当の教育にとって百害あって一利もないかは明らかなんだな。

 家永さんの教科書に対する文部省の検定意見は「300ヶ所余りにのぼる」そうだが、特に検定不合格の理由として、「史実選択の上に妥当を欠くものがある」と具体的に「第4編第4章(274ページ~296ページ)」を挙げている。現在日本国を牛耳っている財閥(とその傘下の経団連)・官僚・自民党がその中の何を恐れているのかを知りたいと思った。少し時間がかかるが、いずれそのページの全文を紹介してみようと思っている。とりあえず「番外編:教科書裁判」はこれで終わることにします。

 追記
 毎日10件ほどのサイトを点検しているが、その中の一つ「ちきょう座」の今日の記事「『「日本会議」84%、「神道議連」95%、「靖国議連」84%・・・チャートで一目瞭然「第2次安倍晋三改造内閣の超タカ派の大臣たち」(俵義文氏提供)』」を見てびっくりした。何にびっくりしたかというと、右翼巨大団体「日本会議」傘下の政治団体として「日本会議国会議員懇談会」とか「靖国議連」とかは知っていたが、「神道議連」というのがあるとは知らなかった(のはわたくしだけかな)。上記記事に掲載されている政治団体を転載しておこう。

日本会議国会議員懇談会
日本の前途と歴史教育を考える議員の会
神道政治連盟国会議員懇談会
みんなで靖国神社に参拝する議員の会
憲法調査推進議員連盟
新憲法制定議員同盟
創生「日本」(「戦後レジーム」からの脱却、改憲をめざす超党派議員連盟)
教育基本法改正促進委員会(自民・民主による超党派議連)
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
正しい日本を創る会
中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会
日教組問題を究明し、教育正常化実現に向け教育現場の実態を把握する議員の会
親学推進議員連盟(伝統的な子育て普及を推進)
人格教養教育推進議員連盟(道徳の教科化などを推進)

 転載していて背筋が寒くなってくる。「日本会議国会議員懇談会」はその設立趣意書で「誇りある歴史、伝統を持つ日本を次代に伝える」とのたまっているが、その復活を目指している伝統とは「神道」つまり「天皇を中心とする神の国」というわけだ。全てはその推進をはかるための団体だ。それらの団体はそれぞれに着々と成果を上げてきている。

 これらの団体を維持するためには膨大な資金が必要だろう。もちろん、その財源は財閥(とその傘下の経団連)である。私は、現在世界を牛耳っている先進国、自称「民主主義国家」は実は「ブルジョア民主主義国家」だと何度も指摘してきたが、それが間違いではないことを再認識した(ブルジョア民主主義については『統治形態論・「民主主義」とは何か』を参照して下さい)。
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