2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(19)

権力が教育を破壊する(2)

戦後教育の民主化(1)


民主化の開始

 GHQは1945年10月11日に次のような民主化に関する5大改革を指令している。
婦人解放
労働組合結成奨励
学校教育民主化
秘密審問司法制度撤廃
経済機構民主化

 このうち学校教育の民主化に関してはGHQがアメリカに教育使節団派遣を要請(1946年1月4日)した。これを受けて日本側は使節団の来日に備えて、2月7日に「米国教育使節団に協力すべき日本側教育家の委員会」(委員長南原繁)を立ち上げている。そして、米国教育使節団は3月5日に来日した。

 その後、1950年8月27日に上記使節団の勧告事項の進行と成果を検証するためにもう一度使節団が来日している。前者を第一次米国教育使節団、後者を第二次米国教育使節団と呼んでいる。

 羽仁さんは第一次米国教育使節団から日本側代表の一人として追加指名されて、日本の教育の根本的改革のための討論に参加している。羽仁さんはこのときのことを次のように語っている。

 日本は永年軍国主義教育をやってきたのだから、民主主義教育と急にいわれても見当がつかない、そこでアメリカから教育使節団というのが来たんだね。これは、役人ではなくて大学とか高等学校の教育の専門家が、別に命令するのじゃなくアドバイスをするためにやって来た。それで、日本の新しい民主主義教育の立案をやった。日本の文部省がやったわけじゃない。それに文部省とその当時の教員組合が協力した。その時の文部省の代表は学術局長の田中耕太郎、教員組合の代表はぼく、その三者が会談して、戦後の日本民主化の原案を作ったわけです。この教育使節団の報告書は実に立派なものだから、今でも読んだ方がいいと思う。その中でも最も注目すべきことは、教育というものは自由でなければいけないということなんだ。教育と権力はあいいれない。つまり命令されて人間はいい人間になれるわけはない。自分でなろうとしなければだめだ。上から命令すればするほど自発性はなくなっていく。教育の根本はその自発性なんだよ。誰も見てなくても自分が許さないんだというような自主性だよ。その意味で日本の教育というのは、敗戦までは、教員なり生徒にストレート・ジャケット(狭窄衣きょうさくい)を着せているようなものだったんだね。このような痛烈な批判をこの報告書の一番最初に書いているんだよ。日本の教育民主化の第一の条件は、強制から解放することにあるんだ。教育というのはまず、自発性なんだ。人の見てないところでは何をするかわからないような人間を作ってはだめなんだとね。三者の会談で決定したんだが、およそ、教師とか校長を誰かが監視すべきものではない、教師とか校長は、自分で何をしたらいいかわからないはずはないから全部彼らに委せればいい。したがって、教科書についても文部省は口出しをしない、教師が勝手に選べばいいとね。

 その時に田中耕太郎が、
「そのように自由な教育を認めると、教壇から共産主義の教育をするようなことが起こったら大変だ、アメリカでは、その点どのようにしているか」
つて質問したんだね。ぼくは、国辱的質問をする奴だと思ってびっくりしちゃって、真っ青になってうつむいていたら、
「ご心配なく、アメリカにはそういった事実はまったくありませんから」
とあっさり答えたんだ。そしたら、まだ驚いたことに田中耕太郎は、
「もしあったら、どうするか」
としつこく、追及するんだよ。ぼくはいよいよ穴があったら入りたいという気になったね。まるで日本人の意識の低さを暴露してしまったようなものだ。そしたら教育使節団は居直ったよ、
「教師といえども人間だ、だから教壇から共産主義の宣伝をしちゃいけないという覚悟をいくら持っていても、人間である以上、たまには色に出、言葉に出ることを神様でもお許しになるだろう」
といったよね。田中耕太郎はギャフンと参っちゃった。ぼくはいかに日本では教育のことがわかっていないかと思ったね。教師がたまに間違いを犯すということをとがめれば、教師は本当の教育はできないですよ。これが教育使節団ないし日本の戦後の教育が文部省とは無関係に始められたというきっかけなんだね。

 制度としては国民の公選によって教育委員会を作り、文部省は教育基本法に書いてある通り、学校教育に関する予算の世話だけをしろということなんだ。つまり、先生なり、校長に委せてもらってやるのが一番いいのだが、それでも誰かの助言を必要とする時には教育委員会がその役目を担えばいいということね。ただ、教育委員会は命令したりしてはいけないんだよ。

 この後、田中耕太郎は第1次吉田内閣で文部大臣(1946年5月22日~1947年1月31日)を務めている。また、1947年4月20日の参議院選挙に立候補し、第6位で当選している。羽仁さんもそのとき参議院議員に当選しているから、腐れ縁は続くことになる。

 羽仁さんが「このような痛烈な批判をこの報告書の一番最初に書いている」と言っているのでそれを読むことにしよう(文部省サイト内の記事「米国教育使節団報告書」を利用します)。

「日本の教育の目的および内容高度に中央集権化された教育制度は、かりにそれが極端な国家主義と軍国主義の網の中に捕えられていないにしても、強固な官僚政治にともなう害悪を受けるおそれがある。教師各自が画一化されることなく適当な指導の下に、それぞれの職務を自由に発展させるためには、地方分権化が必要である。かくするとき教師は初めて、自由な日本国民を作りあげる上に、その役割をはたしうるであろう。この目的のためには、ただ一冊の認定教科書や参考書では得られぬ広い知識と、型通りの試験では試され得ぬ深い知識が、得られなくてはならない。カリキュラムは単に認容された一体の知識だけではなく、学習者の肉体的および精神的活動をも加えて構成されているものである。それには個々の生徒の異たる学習体験および能力の相違が考慮されるのである。それ故にそれは教師をふくめた協力活動によって作成され、生徒の経験を活用しその独創力を発揮させなくてはならないのである。」

こうした趣旨のもとに行われた教育制度の改革の成果を検証するために派遣されたのが第二次米国教育使節団である。このときの報告書の冒頭部分も読んでおこう。

「日本の将来は、公立学校教育制度の成否と緊密に連関している。日本の新憲法は国民に教育の機会均等と義務教育の無償とを保証し、教育基本法・学校教育法・教育委員会法・文部省設置法および教育職員免許法は、教育の組織を変革して、民主的教育制度の発展に一つの枠付けを与えた。」
「しかし民主的教育計画の実質を真に確保するためには、改革はなお継続されなければならない。日本国民は、国・都道府県・市町村の責任において六・三・三制を完遂するに必要な資金を用意すべきである。公立小学校および中学校は日本全国民の全児童に対して絶対無償であるべきである。このことは教科書学用品の無償配布をも含んでいる。義務教育費に対して父兄が多大の負担をするようなことがあってはならない。高等学校も就学希望者に対しては無償でなければならない。」

 第一次教育使節団が危惧していた「強固な官僚政治にともなう害悪を受けるおそれ」はやがて復権した大日本帝国のゾンビたちによって引き起こされる。長い時間をかけてゾンビがはき出す害悪が蒔かれ続け、今では「教育基本法・学校教育法・教育委員会法・文部省設置法および教育職員免許法」は醜悪なものに変わりはててしまった。

(戦後教育の民主化と、ぼ同時に始まった教育反動との攻防についてはいずれ取り上げる予定です。)
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