2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(15)

裁判は階級的である(7)

スラップ訴訟(1):行政権力による恫喝


 前回引用した羽仁さんの次の下りを取り上げたい。

『田中耕太郎が「日本国民はどうも乱訴のふうがある」といったのを聞いたことがある。そんなことはないんだよ。乱訴するとすれば大企業やなんかであって、国民の方はどちらかといえば無関心なんだ。第一、訴訟を職業にしている奴はいないんだからね。』

 大企業の乱訴の代表的な訴訟は「スラップ訴訟」と呼ばれている。しかし、スラップ訴訟は大企業だけの専売特許ではない。行政機関もそれを得意としている。最近ニュースになった国家権力によるスラップ訴訟を記録にとどめておこう。東京新聞(2014年7月23日 朝刊)の記事を転載する。

スラップ訴訟 市民団体が最高裁に抗議 「国の提訴はどう喝

 沖縄県東村(ひがしそん)高江での米軍用ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設現場で抗議の座り込みをしていた住民を「通行妨害だ」と国が訴えた裁判で、国の勝訴が今年6月、最高裁で確定した。

 この判決に対し首都圏の市民団体「STOP SLAPP(スラップ)!高江」が22日、「表現の自由に対する侵害」として、最高裁に抗議文書や署名を提出した。

 文書では訴訟を、権力が弱者や個人をどう喝する「スラップ訴訟」と位置づけ、「表現の自由が通行妨害にすり替えられ、生活を守りたいという思いが国と司法によって弾圧されている」と批判した。

 今回提出した三千人を含め、抗議の署名は三万人に上る。

 国は当初、8歳の少女を含む15人に通行妨害禁止などを求めた仮処分を那覇地裁に申し立て。地裁は伊佐真次(まさつぐ)さん(52)ら2人に通行妨害の禁止を命令した。

 その後、国が起こした本訴訟では、一審、控訴審ともに伊佐さんが敗訴し、最高裁は6月13日付で伊佐さんの上告を棄却した。

 署名提出後、メンバーの鈴木祥子さん(38)=千葉県船橋市=らが最高裁前で「スラップ裁判は私たち一人一人に降り掛かる問題だ」などと訴えた。

<スラップ(SLAPP)>
 strategic lawsuit against public participation(住民の集団行動に対する戦略的な対抗訴訟)の頭文字


 行政と司法がぐるになって国民を恫喝している。そして、行政側の姑息な妨害(=恫喝)は訴訟だけではない。高江の闘いは続いているが、行政による嫌がらせがエスカレートしている。沖縄タイムス(2014.08.06)の記事を転載する。

高江反対派排除 国が県道通行制限を検討

 国頭村と東村にまたがる米軍北部訓練場内のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設で、沖縄防衛局は、反対派住民らが車を止めるなどして封鎖している県道70号沿いの路側帯を米軍専用区域に戻すなど、阻止行動の対策強化を検討していることが、5日までに分かった。7月1日に開始予定だった「N1地区」の二つのヘリパッド工事はいまだ着手できておらず、作業を急ぐ狙いがある。

 名護市辺野古の基地建設でも、沿岸部の立ち入り禁止区域を拡大するなど阻止行動の対策を講じており、「米軍施設の建設で日本側の権利が制限される」と反発は広がっている。

 防衛局は7月末までに完成した「N4地区」の二つのヘリパッドを今秋までには、米側に先行して引き渡す方向で調整を進めている。ヘリパッド建設は訓練場の半分以上を日本側に返還する条件で、返還前の引き渡しには「ヘリパッドが増えるだけで、負担が重くなる」と批判の声がある。

 ヘリパッド建設事業は2007年7月に着手、09年度内の完了を目指したが、六つのうち「N4」の二つしか完成しておらず、阻止行動でスケジュールが大幅に遅れている。

 「N1」の建設では、工事車両は県道70号に接続する提供区域内の林道を使用することが分かっている。

 反対派は林道の入り口部分にあたる未舗装の路側帯に車を止め、テントに座り込み、警戒を強めている。「N4」の建設でも同様の方法で建設現場への立ち入りを阻止されたことから、防衛局は対策が必要と判断したとみられる。

 県道70号と両側の路側帯は米軍への提供施設区域だが、日米地位協定4条2項aの規定で日米が共同使用。自由に通行できる上、路側帯は幅が広く、車を止めても道路交通法などの適用が難しいという。そのため路側帯を米軍専用区域に戻すことで、車やテントの撤去を求めることができるとみている。所有者に通告し、従わない場合に強制排除する手続きについても、法務当局と調整している。

 辺野古でも米国の傀儡政権は姑息な妨害(=恫喝)を始めている。目取真俊さんの「海鳴りの島から沖縄・ヤンバルより」というサイトの記事を二つ紹介しよう。(このサイトの記事は写真をふんだんに使っていて見応えがあります。文章だけ転載してもつまりませんから、直接ご覧下さい。)

「キャンプ・シュワブゲート前の鉄板は〈泥引き防止装置〉という沖縄防衛局の大嘘」
「「殺人鉄板」への抗議も続く」

 上の例は市民運動(私は「非暴力直接行動」と呼んでいる)に対する行政によるスラップだが、検察・警察が言語表現や美術表現に仕掛けるスラップがある。その一つがいわゆるワイセツ訴訟である。このスラップはただ単に「ワイセツ文書」をやり玉に挙げたものではなく真の狙いは表現の自由全体の萎縮効果である。代表的なものとして、前回羽仁さんがちょっとだけ触れていた「四畳半襖の下張栽判」がある。この裁判について、羽仁さんは最後の文節で詳しく語っているので、それを読んでみよう。

 新宿騒乱事件の法廷で一番印象に残っていたのは、待っているときに、看守が被告たちを連れてくるんだが、学生に手錠をはめて出てくるんだ。ぼくは不覚にも落涙した。とんだ長生きをしたなあと思ってね。手錠をはめられている学生を見るなんて、何という嘆きだろう。現在の裁判では、個々の裁判で勝つということがどれほど重要なのか、かなり疑問に思える。それより負けていくことを重ねて、歴史的には勝つということの方が正しいのではないか。新宿騒乱事件にしても、これは大切なことなんだね。しかも、個々の裁判で負けるにしても、負け方が問題なんだ。その負け方によって、相手がいかに本質的なことがわかっていないかを立証することが重要なんだ。

 野坂君の四畳半裁判にしても、一部の人は特別弁護人の丸谷才一君が証人を五木寛之君に頼んだことが矛盾しているというが、そんなことはない。五木君のいっているような方向でしか、この裁判の無罪を勝ちとる理由はないんだよ。条件つきの無罪ではだめなんであって、つまりワイセツそのものを国が裁判するということはできないんだということを立証しなければ、完全な無罪にはならない。丸谷君は、無罪を立証するというんだから、それはそれでいい。大切なことは、五木君が主張している読む側の問題にもあるんだ。

 イギリスで『時計じかけのオレンジ』を書いたアンソニー・バージェスが『ニューヨーク・タイムズ』に「ポルノに対する無条件の自由を要求する」という論文を書いているけれど、非常に立派な文章だった。つまり、問題はわれわれが自分で自分の読むものに対する判断力を持ち、それを選択する能力を持つようになれるかどうか。それとも、常に誰かに選択してもらい、誰かの判断によって読むようにしなければならないのか。ポルノについても、大衆が自分の判断によって選択する能力をのばしていくことが大事だとすれば、これに法的な規制を加えるのは間違いだというんだよ。

 もっとはっきりいうと、裁判が道徳の問題について触れるということはできないということなんだ。道徳の問題を政治上の問題にすりかえてしまってはいけない、道徳上の悪事というものは処罰されないんだ。つまり、道徳の問題は確定しないんだね。複雑な問題がありすぎて、一線を画するということができないんだよ。

 ワイセツ裁判では、判例に"猥褻というのは、その文章を読むと必ず劣情を起こす"というのがあるが、必ずでなくてはいけないんだよ。起こす奴もいるが起こさない奴もいるというんでは、法律上の判断の規準にはならない。したがって、ワイセツそのものを裁判することはできないという見解が正しいんだ。

 とにかく、裁判については、話は尽きそうにないが、アウグスティヌスは『懺悔録』の中で「自分は後に聖者に近い者になり天に昇ってそこで神を見たが、かつて地獄の奥底まで堕ちた時も、そこにも神がいたことを忘れはしない」といっている。つまり、犯罪というのは、人生に必ずあることなんだよ。それを、法律や裁判などで、なくすことなんてできはしないんだ。それが人間の原罪ということなんだな。そして、それと闘うことが、人生の意味だとぼくは思うね。

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