2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(7)

世界同時ファシズムの脅威(3)

ファシズム化の契機(2)


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 読みたい本がたまっていたため、長らくご無沙汰をしてしまいました。
 《『羽仁五郎の大予言』を読む》(6)で、私の経済学についての知識不足のため羽仁さんの論旨がうまく理解できない部分があったので経済学の学習をしようと横道に入ったのでしたが、ずいぶん長い横道になってしまいました。今回から《『羽仁五郎の大予言』を読む》に戻ります。もう1年近くの空白があったので、はじめにこれまでの記事を紹介しておきます。

これまでの記事
第1788回 06月29日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(1):羽仁五郎とは何者か―生誕から敗戦時までの履歴

第1789回 07月04日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(2):チリのクーデター(1):革命前夜

第1790回 07月07日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(3):チリのクーデター(2):無血革命

第1791回 07月10日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(4):チリのクーデター(3):チリの9・11

第1792回 07月19日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(5):世界同時ファシズムの脅威(1):アジェンデの立往生

第1793回 07月28日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(6):世界同時ファシズムの脅威(2):ファシズム化の契機(1)


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 まず、前回の記事の時代的背景を確認しておこう。

 矢崎さんによる聞き書き「世界同時ファシズムの脅威」は1974年に行われている。この時期は資本主義がこれまでに例のなかった初めての世界的な不況に落ちいていった時期であった。いわゆる「スタグフレーション」であり、1974年はスタグフレーションが激化した年に当たる。この時の政府は田中内閣である。この不況には、それまで成功を収めていたケインジアン学派の経済政策では全く対処できなくなっていた(「ミニ経済学史(18):新しい古典派の時代(1):スタグフレーション」を参照して下さい)。

 前回取り上げられていた大内論文「インフレの第三期症状・国家独占資本主義の帰結」はこうした状況下で書かれた論文であった。その論文の中で大内さんは、もともと「国家独占資本主義」はスタグフレーションからの脱出ができない体制であって、スタグフレーションから脱出する方策は
「所得政策を中心に、経済に対するあらゆる権力的統制を強めていくことであり、また、それに耐え得るような、多かれ少なかれ、独裁的権力を確立すること」
しかないと述べている。この大内説を受けて、羽仁さんがまとめた論評は
「独占資本にとっては、インフレーションが唯一の政策なんだよ。大内力君の結論を、もっと早くいってしまうと、独占資本がインフレをやめることができるはずがない。もしやめるならば、非常な無理がでてくる。それがファシズムの独裁なんだ。」
であった。

 ここに出てきた「所得政策」とはどういう政策なのだろうか。矢崎さんが次のように解説している。
「所得政策とは、国民の所得を抑え、いわゆるコスト高の物価を凍結することにある。衣食住にわたって生活は貧しくなるが、インフレの抑止には、きわめて効果的である。ただしこの状態が長引けば、配給制度など物価の統制が厳しくなり、不平不満は増大する。結果的には強い権力によって、弾圧する必要が必然的に生じる。」

 ここで思い出したことがある。吉本隆明さんが大内さんと同じようなことを説いていた(「権力と反権力の現在(6):社会主義とは何か」より転載する)。

 現在の世界で、社会主義の理念と現実にとって、なにがいちばん緊急で大切な課題かと問うたとしよう。どんな反対に出あっても、わたしだったら国家を〈開くこと〉だと答える。国家が〈開かれる〉装置がない〈社会主義〉は、社会ファシズムあるいは国家全面管理の資本主義以外のものに収斂しない。また国家が〈開かれる〉装置をかんがえない資本主義は、永続的なスタグフレーションか、国家社会主義かへ収斂するほかないとおもえる。

 「国家を開く」という概念は吉本国家論の重要なキーワードの一つである。現在「国家が〈開かれる〉装置」を持つ国家は皆無である。では「国家を開く」とは具体的にどういうことなのか。『「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(3)』より転載する。

 国内的にいえば、国家つまり政府をつくっている者にたいするリコール権、いいかえれば無記名の直接投票で、多数を占めればいつでも政府をリコールできるようにしておくことです。代議員をとおしてではなく、民衆の無記名直接投票で過半数が現行の政府を否認したら、政府は代わらなければならないという法律を一項目もっていれば、たぶん国家は民衆にたいして開くことができるとおもいます。国家が開かれていれば、民衆が直接、政府を代えることができます。それは労働者がかりに直接政府のなかに参与していかなくても、労働者が解放されている国家といっていいんじゃないかとおもいます。

 また、国家間国家といいますか、国際国家のあいだでは国家を閉じないということです。いつでも開いていて、国家が存続していても、絶えず外の国家と交流できることです。たとえば現在、日本とロシアのあいだに北方領土問題がおこっているでしょう。具体的にいえば、これをおれのところへ返せとか、いや、おまえのところに返さないとかというのが、いまのロシアと日本の現状なわけです。国家を開くという観点がそこにあれば、北方領土だけは両方の国民がいつでも自由に出入りしたり、住んだりできるようにしようじゃないか、そこだけは国境なしにしようじゃないか、そしてそこでの行政的なことは日本とロシアと両方から委員を出して、四島の行政機能を行うという解決の仕方ができます。そういうことが国家を開く、国際間で開くということです。

 国内で開くということは、政府はいつでも、民衆が否認するという意志を示したらやめなければならないという法が制定されていれば、その国家は民衆にたいして開かれているということになります。それは口で言うのはやさしいですが、実現するのはなかなかむずかしいことです。いつかはそうしなければならないことですし、そうなるでしょう。しかしそれを言いだす政府も政党もいまのところないわけです。いってみれば国家社会主義(ファシズム)か社会国家主義(ロシア・マルクス主義)かのちがいで、国家ということがついて回って、すこしも開かれていないことが問題なんです。

 吉本さんが北方領土について述べていることは尖閣諸島についての敷衍できる。それは国家のものではなく、地域住民のものである。その周辺を漁場としている地域住民たちの自己管理に任せればよい。これまでの「棚上げ」という暗黙の合意をそこまで深めることが最も重要な課題だと思う。

 さて、羽仁さんは
「だから独占資本を倒すという考えに立たない限り、ファシズムの下で生きなくてはならなくなる。どちらを選ぶか。それほど、むつかしい選択ではないと思うが……。」
と述べていたが、それでは羽仁さん自身はスタフグレーションの打開策についてどう考えているのだろうか。(次回へ)
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