2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ミニ経済学史(40)

現在の経済学は?(18):欠けている視点(4)


吉本隆明の「歴史的産業構造の転換」論(2)

 第三次産業が総生産においても就業人口においても50%以上になった先進的な国家を軒並みに襲っている「重たいが輪郭の不明瞭な不況」の根源にあるものを、吉本さんは「できるかぎり常識にしたがって判断するようにこころかけて」と断りながら次のようにまとめている。

(1)
 金融の過剰な溜り、過少な流れだけが独行する不況
(2)
 物流の過剰な溜りや停滞あるいは逆に過少になる加速が独り歩きする不況
(3)
 金融の溜りあるいは流れすぎと、物流の溜りあるいは流れすぎとが連動しながら跛行状態に陥る不況

 続いて吉本さんは当時(1992年~1994年頃)の経済学者たちの不況に関する論説を取り上げて批判をしている。ここで取り上げている学者たちを私はほとんど知らないのだけれども、ネットで得られる情報だけで満足し、ともかく吉本さんの論考を読んでみることにする。

 まず、宮崎義一著『複合不況 ポスト・バブルの処方箋を求めて』(1922年刊)が論じている「不況の根源」を次のようにまとめて紹介している。
『アメリカや日本やイギリスの金融自由化の政策からはじまった金融の流れの不整脈化が物流の停滞に波及して、それが世界的な規模でひろがり、金融循環からはじまって生産物循環を跛行状態に陥れたのが、現在の不況の実体だというかんがえを、アメリカの不況現象と日本の不況現象を分析しながら結論づけている。』

 第三次産業化への目配りに欠けるが、これは吉本さんの(3)と同じ認識だ。吉本さんは「かくべつまちがった分析だとおもわれなかった代わりにかくべつ関心もしなかった」と感想を述べているが、その不況に対する「処方箋」に異を唱える。宮崎さんの「処方箋」は次のようである。
『(宮崎は)金融自由化の流れが一国資本主義的なケインズ政策では統御できなくなったことが、この複合的な不況が世界化した根拠だという考えを述べている。そしてこれをケインズ政策的に再構築するには、一国規模ではないグローバルなケインズ政策が必要で、巨額な資金の世界的な流れをコントロールできる強力な世界銀行を作って、世界共通貨幣が形成されるような基礎をつくらなくてはならないと結論づけている。』

 これに対する吉本さんの批判は次のようである。

 わたしには支配の政策の補助学としての経済学の旧い体質を見事に象徴した結論のようにおもえた。なぜこういう結論になるかはとてもはっきりしている。現在の先進地域国家をつぎつぎにおとずれている不況を、アメリカ、日本、イギリスなどの先進諸国の金融自由化からはじまった金融の流れの跛行状態が、ついに生産物の過剰である不況をまきこんだ複合不況としてあらわれたものだと位置づけたところから、そんな結論が導きだされている。わたしたちは宮崎義一の論旨にそっておなじことをいうとすれば、まったく逆立ちしたことを言うほかはないのだ。すでに消費が所得や収益の過半量を占め、また選択が可能な消費が全消費や総支出の過半量を占めるようになったために、経済政策のどんな担当者よりも、諸国民個人や企業体のほうが優位になった地域国家で、社会生産が第三次産業に主体が移ってしまったために、現在のような先進国の不況は起っている。この不況を離脱するには、ほんとうはすでに先進国では諸国民と企業体を経済と経済政策の主体においた方策をとるよりほかにはありえないので、ケインズ政策の信奉者やマルクス主義経済の信奉者が、すでにじぶんたちが先進諸国民や企業体本位の政策の代行者にすぎないことを自覚するよりほかにありえないのだ。

 続いて吉本さんは佐和隆光著『成熟化社会の経済倫理』を取り上げている。不況の根源については「ほとんど宮崎義一とおなじことを、別の言葉で語っているにすぎない」として、その部分の詳しい紹介は省略しているが、その処方箋についてはこれもまた厳しく批判している。
(長くなりそうなので次回で。)
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