2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ミニ経済学史(38)

現在の経済学は?(17):前回への追記


《その1》第二次産業の空洞化

 現在の政府は苦し紛れの詭弁と見え透いたウソを次々と恥じることなく巻き散らかしている。そのお粗末な詭弁やウソを考え出すのはチャート式知識官僚と御用学者であるが、アベコベ政権はそれをそのまま使うしか能のない最悪のウソツキ政権である。かつて巻き散らかした詭弁とウソは枚挙にいとまがない。直近の詭弁とウソを挙げれば、集団的自衛権の根拠に砂川判決を持ちだした詭弁、「貿易赤字の主因は原発停止」というウソ。またまた説得力皆無の詭弁を弄し、見え透いたウソをついている。後者は原発再稼働を強行するためのウソであるが、昨日(4月12日)の東京新聞朝刊がそのウソを暴く反論記事を掲載していた(「原発停止が主因じゃない 貿易赤字」)。

 なぜこの記事を紹介しているかというと、前回「こんな言い方適切かな」とちょっとためらいながら使った「産業構造の空洞化」という言葉が一般に使われていることを知ってうれしかったからだった。

 政府のウソは次のようである。 『(政府発表の)エネルギー基本計画は、東京電力福島第一原発の事故後、全国の原子力発電所が停止し、火力発電のために必要になった原油やガスなど「化石燃料の輸入が増加」したことが、貿易収支を悪化させたと強調した。』

 これに対して、新聞記事は4人の方の反論を紹介しているが、その中一つ、大和総研の反論は次のようである。

『大和総研はリーマン・ショック後の急激な円高をきっかけに進んだ産業空洞化が主因だと指摘する。材料費や人件費などの費用を少なくしようと国内のモノづくり拠点が海外に移ったため輸出が減る一方、海外からさまざまな製品の輸入が増え、試算では原発が稼働していても収支を七兆円も押し下げている。』

《その2》日本型雇用慣行

 松尾さんは教科書⑦の最終章(第8章)「疎外なき社会を求めて」で、目指すべき社会として「アソシエーション」を論じている。松尾さんが描くアソシエーションは吉本隆明さんの「真の社会主義のモデル」(『「吉本隆明の「ユートピア論」』を参照して下さい)と別物ではない。

 松尾さんはアソシエーションへの道筋を次のように描いている。

 資本主義というのはたしかに疎外に満ちたものです。搾取も抑圧も貧富の格差も環境破壊も過当競争も不況や恐慌もインフレも起こります。しかし、そのような問題のない新しい社会に変わるとしたら、やはりそれは上から一気にもたらされるようなものではないと思います。

 企業での搾取や抑圧が問題だと言うのならば、そのようなもののない民主的に運営される企業を自分たちで作ろう。福祉や医療にあずかれない人が出るのが問題だと言うのならば、誰にでも福祉や医療を行きわたらせる事業を始めよう。環境破壊が問題だと言うのなら、環境を守る事業を自分たちの手で始めよう。政治が変わらなければと言って政治が変わるまで何もしないのではなくて、今、目の前のここで、新しい社会を自分の手で実際に作っていこう。

 そうやって、草の根の日々のくらしの場面から少しずつ、疎外によらないアソシエーション的な社会関係が作られていくのだと思っています。

 この動きが十分に発展して、やがていつの間にか世界中でアソシエ-ション的な経済がメジャーなシステムになったならば、そのときはじめて、資本家階級の政治体制が時代遅れの邪魔ものになり、もっと現実経済にとって都合のいいものに取り替えられることになるでしょう。

 そのときには、華々しい革命事件が起こるかもしれません。しかしそれは、100年後とか200年後とかの将来のことなのだと思います。今生きている私たちが経験できるものではないと考えるべきです。今私たちにできることは、子孫の世代の収穫のよろこびを想いつつ、毎日一生懸命目の前の土を耕すことです。

 それが唯物史観から言えることです。どんなに政権をとったあとの未来像が美しく、精緻であったとしても、その理念をかかげることで目の前の生身の人間がどこかで傷つけられるのであれば、そんな理念が天下をとった暁に人々を幸せにすることができるはずがないではないですか。

 自分の考えていることが正しいかどうか。何百年後かのアソシエーションが主流になった地球にいささかでもつながるかどうか。それは、今、目の前の課題と格闘することで確証するしかありません。自分の想いが、誰も傷つけることなく、出会う人たちに受け入れられ、活き活きとした参加のもとで、よりよいくらしを現に事業として作っているかどうか。それを見てとりあえず確認するしかないのです。

 もしそれが誰かのくらしを傷つけたならば、事態が深刻化しないうちに潔く反省し、別のやり方を考えればいいだけです。もしそれが誰も傷つけずに、わけへだてない多くの人々の賛同を得て事業が広がっていったならば、とりあえず自分のやっていることが将来の全地球的変革につながっているのだと安心できます。そしてその誇りと自信を胸に、明日もまたチマチマした日常の活動に一生懸命はげめばいいのです。

 これが、疎外を少しでもなくすためにはどうすればいいのかということについて、今私か考えていることです。

 今できることの一つとして、松尾さんは「企業での搾取や抑圧が問題だと言うのならば、そのようなもののない民主的に運営される企業を自分たちで作ろう。」と言っている。では、その企業はどのようなものであるだろうか。それは日本型雇用慣行に限りなく近いものでしかあり得ないと、私は考えている。

 日本型雇用慣行は歴史的にはナッシュ均衡として定着してきたとしても、それが内包している意義は極めて重要である。「企業経営の社会主義化」「企業経営の社会主義化・日本編」で紹介した優良企業は全て日本型雇用慣行を基盤にして、さらにそれを超える経営を目指していた。松尾さんが「水平的組織の企業」と呼んで紹介している企業もまたそれらと別物ではない。  

 松尾さんはIT革命によって従来の熟練労働の多くが不要になったことを踏まえて、次のように述べている。

 そもそも、ばらばらな熟練への閉じこもりこそ、資本家による企業支配をどうしても生みだしてしまう原因だったわけですから、それが今や解体されてきているということは、資本家の企業支配の根拠そのものが崩されているということでもあります。

 しかし反面、現実に熟練解体の結果当面見られるであろうことは、労働者個々人が互いに足を引っぱりあう、みにくい争いでしょう。職を失い、熟練の誇りを失い、みずから低い賃金に身を落として雇用を奪いあい、犯罪も増えるでしょう。そして悪くすると、ファシズムに走り、テロや戦争も起こって、さんざん互いに傷つけあった末に、ようやく互いに争いあう愚を悟って団結を形成していくことになるでしょう。いくら生活が自由になれるといっても、やっぱりこんな犠牲の多い回り道は避けなければならないと思います。

 ではどうすればいいのか。そのヒントはやはり、現代資本主義がもたらしているもの自体の中にあるのだと思います。19世紀の技術と今日の技術では、熟練技能を解体するという点では同じかもしれませんが、違いもあります。

 たとえば、W・L・ゴア・アンド・アソシエイツ社という会社があります。防水繊維「ゴアテックス」で有名ですが、ハイテク繊維、電子部品、医療機器などを作っていて、2007年時点で、世界45ヵ所に工場や事業所を持ち、年間20億ドルの売り上げをあげています。ここでは、社長と財務担当役員の二人を除いて社員にいっさいの肩書きがなく、みな「アソシエイツ(仲間)」と呼ばれているそうです。そして、誰かが事業を提案してそのつど賛同者でチームを作り、開発、製造、販売まで行うそうです(『日本経済新聞』2000年3月27日)。

 また、世界の三大補聴器メーカーの一つ、デンマークのオーテイコン社(経営コンサルタントなどでは「オティコン」と呼ばれることが多)でも、一部幹部を除き社員に肩書きも所属部署もありません。やはり、事業の提案者がそのつど賛同者でチームを作り、開発から販売まで行います。この組織を導入してから4年で売り上げ、利益は倍増、株価は9倍になったそうです(『日本経済新聞』1998年8月17日)。

 このような組織は「アメーバ型組織」などと言われて、IT時代の流行になっています。20世紀型のピラミッド組織はIT時代には合わない。水平で融通無碍なアメーバ型こそがこれからの組織形態だ。と言われたりしています。情報通信手段の発達で、現場どうしの直接の連絡で事業が進められるようになったことが、この背景にあります。これは、実際に働く人々の外に支配階級が遊離する疎外が、事実上薄まっていくことを意味します。

 ところで、東京新聞朝刊に「時代を読む」というコラムを内山節さんが連載している。今日(13日)は「共に生きようとする倫理観」と題して日本の現状(アベコベ政権)への批判と私たちが目指すべき社会を論じている。その社会とは松尾さんが言うアソシエーションと同じである。

 内山さんは、現在の日本の社会は「倫理観のない、すさんだ社会が広がっている」と慨嘆し、いまこそ「ともに生きようとする倫理観が必要」と説いている。そして、かつて日本の社会に存在して倫理観を思い起こしている。その中に次の一節があった。

「以前の企業にもともに生きようとする雰囲気があって、それがそれぞれの企業の倫理観を醸成していた。もっともそれは、企業人間を生みだすという負の側面ももっていたのだが。」

 先に私は日本型雇用慣行が「内包している意義は極めて重要である」と書いたが、その意義とはまさに内山さんが言う「ともに生きようとする倫理観」のことである。そして、これまで見てきた優良企業は「企業人間を生みだすという負の側面」をも克服していることを付け加えておこう。
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