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ミニ経済学史(34)

現在の経済学は?(13):ゲーム理論による制度分析(2)


 「新しい古典派の時代(2)」で取り上げたように、ケインジアン派の基本認識「方法論的全体主義」(経済は全体としての構造によって決まっていくものであり、企業や個人はそれに規定されて振る舞う)に対して、新しい古典派は「方法論的個人主義」(企業や個人は自分に有利なことを合理的に選んで行動する)という基本認識をもとにして経済学を構築している。現在の主流派経済学は後者の立場に立っている。ゲーム理論はまさに方法論的個人主義に立った理論だが、その理論が全体論的な制度均衡の優劣を論じ、さらに社会変革提言の学問的根拠ともなってきているという。教科書⑦は、「彼と彼女の地震ゲーム」その1に条件を一つ付加した例を用いてその具体的な説明を試みている。

「彼と彼女の地震ゲーム」その2

 今かりに、彼女がオートバイを持っていたする。この場合には出かけても肉体的に疲れることはないので、かえってじっと待つよりも気晴らしになっていいかもしれない。すると、この場合の利得表は次のようになる。
「彼と彼女の地震ゲーム」その2
 この場合も「その1」と同様に、ナッシュ均衡は二つ(網かけの欄)ある。ただし、今度はこのうち片方がバレート最適ではなくなる。《右上》「彼:出かける/彼女:留まる」よりも、《左下》「彼:留まる/彼女:出かける」の方が、利得が二人とも「次善」から「最善」と大きくなっている。つまり、二重枠の囲った《左下》の方がパレート優位になっている。従って、今度は問題なくこちらを選ぶことになる。

 しかし、あの「女は黙って待っているもの」という観念が流布していたならば、やはり「その1」と同じ理屈により、《右上》の方が選ばれてしまう。二人ともそちらではなく《左下》の方がいいことがわかっていて、しかも「女は黙って待っているもの」などという観念を二人とも信じていなくても、そうなってしまう。結局はパレート劣位なナッシユ均衡が選ばれて、そこから逸脱できなくなる。

 これが制度が人間から自立すること(疎外)の弊害である。一度歴史的にある文化的行動様式が与えられると、社会の条件が変わってもっと別のやり方をした方が全員がよくなる場合でも、依然として古いやり方に人々が縛られてしまうことになる。個々人の利得から論じる方法論的個人主義の手法に立つことで、こうしたことの不合理さを「客観的」に表すことができるようになった。

 以上の「彼と彼女の地震ゲーム」はゲーム理論の手法を分かり易く説明するための例であった。ゲーム理論を用いた現実の制度分析の例として、教科書⑦は日本型雇用慣行を取り上げている。日本型雇用慣行は「終身雇用制・年功序列制・内部昇進制」という三本柱から成り立っていることはよく知られているが、この三つの柱は企業の戦略としてどういう意味を持っているのかを深く論じたものを私は目にしたことがない。教科書⑦は日本型雇用慣行には「非常に合理的な経済的根拠があった」ということがゲーム理論を使って明らかにされた言う。そこに入る前に、日本型雇用慣行について、少し詳しく学習しておこう。

 日本型雇用慣行の基礎にあるのは「企業特殊的熟練」と呼ばれる技能である。これの反対語を「汎用的技能」と言う。

 汎用的技能とは、看護師の技能・システムエンジニアの技能など、専門の教育を受けることで習得し、卒業と同時にどんな企業でもすぐ役立つ技能のことである。欧米の企業は汎用的技能を使って成長を遂げてきた。この欧米型型雇用慣行(以下では「アメリカ型雇用慣行」と呼ぶことにする)は「成果主義・流動的雇用」とまとめてよいだろう。

 これに対して、日本は企業特殊的熟練によって企業成長を遂げてきた。企業特殊的熟練は、どんな企業でも役立つというものではなく、その企業だけで役に立つ熟練技能である。典型的なものとしては、ファイルの整理の仕方・根回しのかけ方などなど。例えば根回しのかけ方。「こんな種類の案件なら、誰と誰の了承をとっておくべきかとか、誰と誰は仲が悪いからこれはこっちのルートから通そう」とかいう判断技能も企業特殊的熟練の一つであり、こういうことは企業が変われば全然役に立たない技能である。もちろん、こうした技能を学校で学ぶことはできない。会社に就職してから、身近な先輩に教えてもらって、仕事をしながら覚えていくものである。オン・ザ・ジョブ・トレーニング、略してOJTと呼ばれている。「終身雇用制・年功序列制・内部昇進制」という日本型雇用慣行はこの労働者の企業特殊的技能を高めるための制度だったのである。

 では、「終身雇用制・年功序列制・内部昇進制」が企業特殊的技能を高める仕組みとしてどのように機能しているのか。これについては原文をそのまま引用しよう。
 たとえば終身雇用制度を考えてみましょう。もしどこかの会社で勤めているとして、将来いつ解雇されるかわからないとしたらどうしますか。企業特殊的技能を高めようとしますか。しませんよね。努力してその企業の企業特殊的技能を覚えても、クビになったらみんなパーです。そんなバカバカしい努力はしません。それくらいだったら、ひそかに英会話の勉強するとか何とかして、汎用的技能を磨くことになります。

 だから、企業側としては、労働者に企業特殊的技能を高める努力をしてもらうには、将来勝手に解雇はしませんと、保証してあげる必要があったわけです。だから終身雇用制になりました。

 しかし、いくら企業側から勝手に解雇しない。と言っても、労働者のほうから勝手にやめられたら元も子もありません。企業特殊的熟練というのは、学校では習わないのですから、卒業したての若者は本来ものになりません。にもかかわらず仕事をさせることによって覚えてもらうのですから、覚えるまでの間は、企業にとって給料はタダ払いみたいなものです。研修費のつもりで投資しているのです。それなのにやっとかせぎだしたと思った頃に途中で辞められては、費用をかけた分が無駄になってしまいます。

 そこで、年功序列制がとられるわけです。入社してから年数が経てば経つほど給料が上がって出世もするという仕組みですね。仕事を覚えてバリバリかせぎはじめた頃は生産性に比べて給料が低く、やがて年配になったら生産性以上の高い給料を出すようにするのです。そうすると、労働者は比較的若い頃に辞めたら損になります。年配になるまで辞めずに働いてモトをとるのが最適になりますから、勝手に辞めるのを防ぐことができます。

 ですけど、解雇にはならない、年数が経てば誰でも給料が上がるとなったら、労働者にとっていちばんトクになる戦略は、適当に手を抜いて怠けながら働くことですよね。そうならないためにどうするか。出世を手段に使うのです。欧米の企業では外部から幹部を招いたりしますが、そういうことは原則としてしませんと。その企業の従業員の中から昇進させて役員にしますと。こういうルールにするわけです。そうすると、まんまと出世のためにガンバるようになる。

 ただし、業績であんまりすごい格差はつけません。同期入社の正社員たちの間で、数年の差という挽回可能な差で出世させるのです。なぜなら、四十代の部長も五十代の平社員もフツーなんて、あんまりすごい格差をつけると、負けたと思った人々は、出世競争を降りてしまいます。もういいやと思って仕事に責任を持たず適当に過ごすようになる。しかも、企業特殊的技能は日頃すぐ上の身近な先輩から教わって身につけるものですが、後輩がライバルになって自分を追い越すかもしれないと思ったら、先輩は後輩に仕事を教えなくなります。だから、あくまで年功序列の枠内でビミョーに出世競争させるわけです。

 さて、雇用制度問題をゲーム理論で分析する場合、利得表を構成する登場者は企業と労働者である。企業の戦略は「日本型雇用慣行」と「(アメリカ型の)成果主義、流動的雇用」の二つである。労働者の戦略は「汎用的技能を身につける」と「企業特殊的熟練を身につける」の二つとなる。どのような利得表になるだろうか。(次回に続く。)
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