FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
07 354 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(7)
「日本書紀」がいう「一書」とはなにか
2005年8月7日(日)


「日本書記巻第一・神代上」は次のように書き始められている。

 古(いにしえ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れ ざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、 溟(ほのか)にして牙(きざし)を含めり。

 そして、その段落の後に次のように「異伝」を記述している。

 一書に曰く、天地初めて判(わか)るるときに、一物(ひとつのもの)虚中 (そらのなか)に在り。状貌(かたち)言ひ難し。……」

 この「一書」とはなにか。
 古田さんは「日本書記」中の「一書に曰く」を丹念に調べ上げている。 各段ごとにいえば、最少1個(第三段)から最大11個(第五段)の「一書」 が引用されていて、総計実に58個もあるという。これは『日本書紀』の成立 以前すでに日本神話を記録した古典が少なくとも11個くらい、成立していた、 という事を意味している。古田さんのコメントを引用する。

これは当然だ。しかし、不思議はこの直後に発生する。巻第三の「神日本磐余 彦天皇(神武天皇)」以降は、バッタリとこの「一書に曰く」が消滅するとい う事実だ。時に「一に云う」といった形のものはあらわれるけれども、質量と もに神代(巻一、二)の「一書」群の比ではない(ただし、書名を明記した外 国史料の引用としては、『三国志』や百済系三史料〔「百済記」「百済新撰」 「百済本記」〕の引用がある。「神代」については、これほど国内に古典がす でに乱立していたのに、神武以降、ピタリとそれがなくなるのはどうしたわけ だろう。

(中略)

 しかしわたしは、『日本書紀』研究史上のいずれの研究書においても、その 理由を明白にのべているものに出会うことができなかったのである。
 一つの史料をあつかう場合、そこに〝なにが書かれているか?″を論ずる前 に、その史料の成り立ちと素性、つまり「史料性格」を吟味しなければならぬ。 それをやらずに、内容だけ論ずるのでは駄目だ。 ― こう考えると、こんな に唐突な出没の仕方を見せている「神代」の巻々の「一書」を、その成立の謎 を解き明かさぬまま、その内容を論ずることは危険きわまりない。わたしには どうしても、そのように見えたのである。


 「一書」からの引用が「古事記」にはまったくないことを手ががりに古田さんは 次のような事実にいきあたる。(そこまでにいたる論証は省く。)
 『古事記』にない ― この事実はなにを意味するだろう。今まで辿り きたった論理に従えば、〝それは天皇家内伝承にはなかった!″ということ だ。
 では、天皇家内伝承の中にないものが、なぜ『書紀』にあらわれたのだろ う?これも、今までの論証のさし示すところ、〝他から取ってきて挿入され たもの″だ、 ― この帰結しかない。

 天皇家の神話伝承として、だれ一人今まで疑わなかった『書紀』の神代紀、 それまでが、他からの「接ぎ木」だとは!ある人は失笑しよう。ある人は怒り だすだろう。しかし、論理の筋道は厳としてその一点を指さしているのであ る。


 では「天皇家内伝承」でないのなら、「一書」はどこで創られたものなのか。 ずばり、それは「九州王朝発展史」なのだ。むろん九州王朝の神話も収録され ている。その「一書」の書名も「日本書記」に現れている。

 日本旧記に云わく。「久麻那利(こむなり)を以て末多王(またわう)に 賜ふ」と。蓋し是、誤りならむ。久麻那利は、任那国の下?埠呼?県 (あらしたこりのこほり)の別邑(わかれむら)なり。(雄略紀)

 この「日本旧紀」は「記・紀」以前にあったとされる天皇家の史書「帝紀」 や「旧辞」などとは、もちろん、異なるものだ。「日本古典文学大系」 (岩波書店)の頭注には「この書、他に見えず」とある。

 古田さんは「日本旧紀」という書物を分析し、文献資料として次のように 位置づけている。

 『古事記』や『旧事紀』と「日本旧記」との間には、大きなちがいが 一つある。それは前者が「古事の記」「旧事の紀」という書名をもつの に対して、後者はズバリ「旧記」である点だ。つまり、前者の場合〝古事 や旧事を今記した書″という意味だ。ところが、後者の場合、「旧」は 「記」にかかっている。つまり、〝古い時点ですでに記録された本の類集″ 〝古い記録類の集成書″という意味をもっているのだ(「古くから書かれ た一冊の本」そのものなら、今あらためて「旧記」と呼ぶ必要はない。もと の書名のままでいい。「旧記類の今の類集書」であるからこそ、今「日本 旧記」と名づけられたのである)。
 いいかえれば、この本の成立自体は先にのべたように六世紀中葉だ。だが、 その「六世紀中葉」という「今」において、旧来の伝承を記録した、そういう 本ではない。六世紀中葉から見て、より古い時代にすでに記録されていた資料 類がその内容だ。だから少なくとも五世紀段階に成立していた多くの記録類を 「今」(六世紀中葉)の時点で集大成した、 ― そういう性格を示す書名な のである。

 「日本書記」の「神代紀」の舞台は九州であり、九州王朝の神話である。だ から「神代紀」に頻出していた「一書」群が、神武以降つまり九州が舞台でな くなったとたんに、姿をけしてしまったのだ。つまり、この一線を境に依拠 すべき資料・史料がすっかりちがってしまったのだ。

 「日本書紀」は最も肝心なところで、「日本旧紀」からの接ぎ木、挿入、 改ざん、剽窃によって出来上がっている。そのように読むと、いままで「謎」 とか「矛盾」とかされながら解決されないまま放置されていた種々の問題が が濃い霧が晴れるように解決されてしまう。

スポンサーサイト



 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/190-e07b119e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック