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ミニ経済学史(27)

現在の経済学は?(6):イザナミ景気(4):再び深刻な不況へ


 「ケインジアンの時代(4)」で取り上げたように、1930年代の大不況のとき、アメリカのルーズベルト大統領は中央銀行による金融緩和策と政府による財政支出(公共事業)の拡大策を実行した。いわゆるニューディール政策である。このときの経緯を少し詳しく見てみよう。

 金本位制をやめて行った量的緩和策により景気が回復に向かったのは確かなことだった。そこで、1936年にルーズベルト大統領は量的緩和を打ち止めにした。しかし同時に、財政支出の拡大により膨らんだ深刻な財政赤字を解消するため、政府支出を削減する動きが出てきて、大統領選の争点にもなった。こうした状況での量的緩和打ち止めは時期尚早だったと言うほかない。翌1937年に入ると利子率が上昇し、株価が急落した。その年の後半には実体経済もはっきりと不況に転落してしまった。

 量的緩和政策について、松尾さんは次ぎのように述べている。
「量的緩和政策は普通じゃない政策ですから、景気か本格的によくなったら、いずれは打ち止めになるものです。しかし、どんなタイミングで打ち止めにすればいいのかは、相当デリケートな問題です。」
 ルーズベルトはこのタイミングを計るのに失敗した重大なケースだった。

さて、イザナミ景気のとき、このような前例があったので、金融緩和の打ち止めは慎重にすべきという意見もあったが、日銀はデフレから脱却できたと判断し、金融緩和体制からの撤退を進めて行った。
2006年
 3月 量的緩和打ち止め
 7月 ゼロ金利打ち止め。政策誘導金利を0.25%にする。
2007年2月
 再び利上げ。政策誘導金利0.5%に。
 そして、日銀はその後も近いうちに追加利上げをすると、強く示唆し続けたのだった。

 「イザナミ景気(2)」で述べたように、日銀が金融緩和を始めた頃のマネタリーベースは1973年のオイルショックのころ以来の高い伸び率だった。そして、その後のマネタリー・ベースの伸び率の推移を示すグラフが次の図である。これを見ると日銀の金融引締めが「異常」だったことがよく分る。

マネタリー・ベースの推移

 松尾さんは次のように解説している。

 2006年3月に量的緩和をやめて以降、大幅な落ち込みが続き、一時は20%を超えるマイナスとなっていたことが、分かります。これまではマイナスになるといっても、それはごく稀なことで、しかも短期間でした。それに、その落ち込みが5%を超えることは滅多にありませんでした。本来なら、1970年代のような高インフレ期にこそ、おカネを引締める必要があるのですが、当時はこの伸び率がマイナスになることはありませんでした。

 量的緩和やゼロ金利期の金融緩和のことを「異常な」という形容詞をつけて語る人がよくいますが、それをやめた後の方がよっぽど「異常な」、急な引締めだったというわけです。

 この異常な金融引締めの結果はアメリカの場合とまったく同じような株価の下落をもたらした。

 勿論株価の問題に止まらない。予想インフレ率(ブレーク・イーブン・インフレ率)も低下を続け、2008年の春先には一時マイナスを記録するに至った。これは人々のインフレ予想がデフレ予想に変わってきたことを示している。そして、それは設備投資の低迷化に連動する。前回の図4-3に見る通り、2005年には9.2%もあった設備投資増加率は2006年・2007年には2%台に落ち込んでいる。個人消費がほとんど増えず、設備投資だけが支えていたような脆弱な景気が破綻していったことになる。企業の経常利益の伸び率も減り続け、2008年1~3月期には17.5%も下落している。

 景気上昇の兆しが見えてきた2003年頃に設備投資費に次いで寄与度の高かった輸出はどうなっていたのだろうか。輸出は2007年には8.4%の成長をし、2008年1~3月期には、前年同期比10.9%もの成長をしている。この時期の実質経済成長率(前年同期比)は1.2%だったが、マイナスの寄与度需要項目が目立つ中、輸出は寄与度が1.8パーセントと突出している。ほとんど輸出が独力で成長を牽引していたことが分かる。松尾さんの解説を引用しよう。

 日本経済を支える唯一の生命線が輸出である以上、日銀が何をどうがんばっても、追加利上げなどという選択肢はあろうはずがありません。この時期、アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会は、景気が悪化することを心配して、金利をどんどん引き下げていきました。アメリカで金融緩和が進んで利子率が低くなると、アメリカと比べて日本でおカネを運用することの有利さが前よりも増しますから、日本でおカネを運用しようと思ってドルを円に換えようとする動きが強まります。すると、円を買いたいという力が強くなって円高になります。円高になると、各輸出商品の円価格は変わらなくても、ドルで表した価格は値上がりすることになりますから、日本製品を外国に売るのが難しくなって、輸出が減ります。

 そんなことになったら、景気をもたせている命綱が切れてしまいます。ですから、本来なら日銀もまたアメリカに負けじと金融緩和して、日本でおカネを運用することが前より有利にならないよう利子率を下げるべきところでしたが、当時はまだ心配するほどの円高にはならず、しばらくは利上げしないというだけでもなんとかなっていたわけです。

 しかし、そうこうするうちに、景気後退はどんどん進んでいきます。2008年9月発表の「法人企業統計調査」で、07年春から08年春までの四半期ごとの売上げの前年比伸び率を見ると、資本金10億円以上の大企業では一貫して3パーセントを超える増加が続いているのですが、資本金1億円から10億円の企業では、逆にマイナスが続いています。一部の輸出関連部門だけが好調を維持し、あとは次々と脱落していく状況が続いていったわけです。

(中略)

 こうした中で、とうとう9月のリーマン破綻恐慌を迎えたのでした。世界中のおカネが、サブプライムで傷んだ欧米の金融機関を嫌って、比較的安全な日本の金融機関に殺到。外貨を手放して円を求めたために、急激な円高が起こりました。

 かくして輸出は激減。日本経済を支えていた唯一の命綱がぷっつりと断ち切られ、日本経済は奈落の底に落ちていくことになったわけです。

 次いで松尾さんは、リーマンショック後の自民党政府や日銀の対応のまずさ(失政)を取り上げている。現在進行中のアベコベミクスの行く末を見通す参考になると思えるので、少し長いが全文引用しておく。

 ここまでのお話の中で、これまでのマクロ経済学の理論にない話は何一つありません。まったくセオリー通り、「こんなことをしたら、こんなことになる」と予想されることが、一つ一つ起こってきたわけです。

 ただここで、セオリーにないことも起きました。こんな状況で、急激に円高になったら何が起こるか、誰にでも分かるはずです。ましてや政府は総選挙も控えて、経済運営に失敗するわけにはいかない身のはずです。だとしたら、2003年にも行われたように、円高を抑えるための大規模な介入があるだろう。日銀が資金を用意し、円を売り外貨を買う介入をして、大不況への転落を必死で防ごうとするだろう。私は当然そのように思っていました。

 ところが麻生首相は、円高は健全さの証拠でプラスの面もあるとか、円高で株価が下がるのは昔の話とか言って、いっこうに介入をしようとしませんでした。外国為替市場への介入は財務省のやることですので、政府が決断すればできます。なのに、とうとう一円たりとも介入が行われることはありませんでした。財務省のホームページ内の「外国為替平衡操作の実施状況」というところで、為替介入の実施状況が載っています。それを見ると、リーマン恐慌以降のどこを見ても「0円」となっています。こうして、クビ切り吹き荒れる大不況への転落が放置されてしまったわけです。なぜなのか。正直今でも理由はまったく分かりません。

 このときの財務大臣は、当時経済関係三閣僚を兼務していた与謝野馨さんです。与謝野さんといえば、リーマン破綻直後に、「日本にももちろん影響はあるが、ハチが刺した程度。これで日本の金融機関が傷むことは絶対にない」と発言されていたことも思い出されます。

 その後、ご承知のように不況が激化していきました。例のブレーク・イーブン・インフレ率は、図4-10のように、リーマンショック後、どんどんマイナスになっています。最悪期は-3%ほど、その後も-2%ぐらいが続きました。
ブレーク・イーブン・インフレ率3
この数値の全部が全部、人々のインフレ予想を正確に表しているわけではないでしょうけど、前回の不況時に匹敵するかそれを超えるデフレ予想が抱かれたことは間違いないでしょう。そういうわけで、実質利子率はそのぶん高騰し、設備投資は壊滅、深刻な不況になってしまったと説明できます。

 そしてその後、実際の消費者物価指数も下落に転じ、2009年2月から本書執筆時点で入手できる最新データである2010年1月まで、前年同月比は毎月マイナスが続いています。しかも09年10月には過去最大の下落率を記録しています。

 こうした事態の進行に対して、日銀の対応はまたも遅れることになります。さっき(日銀のホームページ内にある「金融政策」のコーナー)の日銀総裁の記者会見のページで、2008年9月後半以降のものを見てみましょう。総裁はもう白川さんになっているのですが、相変わらず楽観的な見通しを語っていることに、改めて驚きます。例えば10月8日に至っても、「次第に緩やかな成長経路に復していく」と予想しています。

 実はこの日、世界10ヶ国・地域の中央銀行が、同時利下げをすることを取り決めました。しかし日銀は、これに加わっていません。先ほども書きましたが、世界中が金融緩和しているのに日本だけ変わらなければ、日本でおカネを運用する有利さが前より増して、円が買われて、ますます円高になります。それではたまりませんから、結局は日銀もその月末に利下げに追い込まれることになります。でも、0.5%だった政策金利を0.2%引き下げて0.3%にしただけ。事態の深刻さは、前のゼロ金利のころを超えているというのに。

 そうこうしているうちに、アメリカもイギリスもさらに利下げを続けます。12月16日、アメリカはとうとう同国初のゼロ金利に突入しました。今まで日米の金利差はアメリカの方が多少高いくらいで、有利さはトントンとみなされていたのですが、「金利逆転」ですからね。1ドル87円まで円高が進んでしまいます。結局、日銀は12月19日に、政策金利を0.1%にまで再利下げすることにします。

 こんなふうに日銀の金融緩和はいかにも「しぶしぶ」という感じで、他国、特にアメリカの積極姿勢と比べると際立って消極的です。実際、リーマンショック以降の主要先進国のマネタリーベース(中央銀行が出したおカネ)の推移を比べてみると、アメリカやイギリスの大胆な増大ぶりに対して、日本だけは地面すれすれの低空飛行。欧州中央銀行は、ドイツ連銀以来のインフレ警戒姿勢のため、金融緩和に消極的で困ると批判されたりもしますが、日本銀行はそれよりもっと消極的です。

 この姿勢の違いがもたらす結果は、各国の鉱工業生産の水準を表す指数の動きに如実に見て取れます。日米英独を比べると、リーマンショック後、金融緩和に消極的なところほど、落ち込みが激しくなっています。アメリカはサブプライム問題の発生現場なのに、一番落ち込みが緩やかです。次に緩やかなのは、アメリカについで金融を緩和しているイギリスです。ドイツになると、かなり落ち込んでいます。日本はサブプライム問題の影響をほとんど受けていないのに、一番落ち込みが激しくなっています。

 結局、2008年10月から09年9月までの一年間で、23,2338人の非正規労働者が雇い止めになり、うち6割がその間に再就職できませんでした。完全失業率も増加を続け、09年7月に5.7%と過去最悪記録をつけました。そのときの完全失業者数は359万人。またしても横浜市の人口(367万人)に匹敵する数です。その後、失業率は少しだけ低下していますが、完全失業者数は執筆時点の最新データである一月まで、前年同月と比べたら15ヵ月連続で増加を続けています。

 以上まとめると、今回の不況の基本的な原因は二つあるわけです。
 ひとつは、小泉さんの「改革」を筆頭とする、歴代自民党政権と財界の反労働者的政策。なんだか3、40年前のビラの文句みたいで書くのに躊躇しますが、本当にそう言うしかないことがなされてきたわけです。
 そして二つめは、日銀の一貫した金融引締め志向です。
 この二つの要因のせいで、リーマン破綻前からすでに日本の景気は後退していて、ちょっとしたショックで、いつでもドカンと落ち込む状態になっていたわけです。リーマンショックはそのきっかけにすぎなかったのです。さらに付け加えれば、リーマンショック以降の、麻生内閣による円高放置も、不況を深刻化させた原因のひとつに数えられるでしょう。

 教科書⑥の書名どおり、まさに『不況は人災です』。深刻な不況を引き起こした張本人たちは誰一人責任を取ることなく、今も偉そうにふんぞり返っている。労働者受難の時代はまだまだ続きそうだ。
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