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ミニ経済学史(22)

現在の経済学は?(1):スタフグレーション後の経済動向


(松尾匡著『不況は人災です』を教科書⑥として追加します。)

 ところで、スタフグレーション後の日本での経済状況の大きな変動は二つにまとめられると思う。一つは「バブル景気」であり、もうひとつはその崩壊後に陥った長期にわたる「デフレ」不況である。次のようである(主にウィキペディアの記事を利用している)。

バブル景気
1986年(昭和61年)12月~1991年(平成3年)2月
 平成景気とも呼ばれている。資産価格の上昇(主に都心)にともなって起こった好景気とそれに付随して起こった社会現象を「バブル景気」と呼んでいる。1987年には都心外での地価も高騰し始めている。1988年頃には多くの人が好景気感を持つようになっていった。しかし、この景気も1990年頃から下降し始めた。1990年には株価の下落、1991年には地価が下落し、1991年2月に経済企画庁は景気後退との判断を下した。

デフレ不況
1991年~現在まで
 バブル崩壊は雇用や消費に悪影響を及ぼした。1992年にはフリーターが百万人を超えている。1997年4月の消費税率引き上げを機に景気はさらに後退し、不況は長期化する。その後の景気の動向はおよそ次のようである。
1999年 不況に下げ止まり感
2000年 景気回復
2001年 再び不況
2002年 景気回復
2004年 景気回復から景気拡張へ
2005年・2006年 好景気継続(イザナミ景気)
2007年 景気後退
 7月にアメリカでサブプライムローン問題(低所得者向け住宅ローン証券焦げ付き問題)が発生。金融機関が多額の損失を被り、金融危機となり、さらに株価が下落し、深刻な不況になっていった。
2008年 景気はさらに悪化
 リーマンショック(アメリカでは金融危機の中、名門証券会社リーマンブラザースが経営破綻)が引き金となり、世界的金融不安となる。さらに世界的な株価下落、世界同時不況の深刻化へと進む。
 1990年代から2000年代初頭までの経済は「失われた10年」と呼ばれている。しかし、バブル崩壊以後、途中にいくらかの好景気があったが、経済の低迷には十分な改善は見られなかったため、イザナミ景気の期間も含め、「失われた20年」と呼ばれるようになっている。「失われた20年」での株と不動産の損失は1500兆円と言われている。

 さて、上の長期にわたるデフレ不況では、賃金や価格が下がってもまったく失業は減らずにかえって事態が悪化している。つまり、価格や賃金は下からないものだ(価格硬直性)というケインジアンの原理に反して物価も賃金も下がり、市場に任せれば価格や賃金は均衡するのだとする新しい古典派の理論にも反して不況はますますひどくなっていった。つまり、このデフレ不況はケインジアン派の理論でも新しい古典派の理論でも説明ができないのだった。この問題に経済学はどう対応したのだろうか。

 新しい古典派が席巻したスタフグレーション以後の経済学に失望して、理論経済学研究をやめてしまった人たちの失望の中身は次のようである。

 経済学会の研究報告は「どんな政策をとっても無効」というような新しい古典派の理論ばかりである。そもそもそれらの理論の前提になっている「合理的期待」とか「完全予見」などは荒唐無稽な前提である。その荒唐無稽な前提から、「市場は万能だ」という結論をだして、やりたい放題の利潤追求をさせた結果が世界サブプライム恐慌だった。そして、日本での学会の議論は、アメリカの新しい古典派学者のモデルを下敷きにして、この前提をちょっとこう変えましたみたいなことしかやっていない。全然現実の経済問題と切り結んでいなかった。

 これに対して、松尾さん(教科書④⑥の著者)は最近の経済学の状況を次のように説明している。

 現在の学会では「政策はなにしても無効」と言ったような研究はほとんどない。「市場の自由に任せれば完全均衡してパレート最適になる」という研究もほとんど見られない。一般に、合理的期待モデルの初期提唱者たち(ルーカス等)が、「合理的期待」という前提をもとに「政策無効」というような結論を出したと理解されているが、これは誤解であった。

パレート最適(管理人注)
 或る集団が資源の配分をするとき、誰かの効用(満足度)を下げなければ他の誰かの効用を高めることができないという誰もがハッピーな最適状態のこと。(パレートは限界革命トリオの一人であるワルラスの後継者)


 合理的期待を理由に政策無効だとルーカスたちは言った。批判者たちもそう思い込んで、合理的期待という前提が非現実的だと一生懸命に批判した。しかし、実はルーカスたちは合理的期待の他に政策無効になるような前提を入れていた。ルーカスたちの真の意図は、むしろ、誰が見ても絶対に政策無効になって当然の理論モデルを立てて、それでも予期されない介入があれば政策有効性が観察されることを示すことの方に力点があった。実際その後、合理的期待や完全予見を前提にしても、不均衡が累積したり、政策介入の余地があったりするという理論がだされているという。その理論の骨格は次のようである。

 新しい古典派の切り開いた方法論的前提は
「価格や賃金は需給に応じて動く。また、家計や企業は現在から将来にわたる最適な振る舞いを合理的に計画する、つまり、将来の経済変数は完全予見とか合理的期待で予測することができる」
だったが、この前提に「人々が貨幣を持ちたがるという想定(流動性選考)」を前提として加えると、デフレ不況が説明できる。つまり、デフレ不況の根本的な原因は流動性選好にある、というわけである。この理論は、手法の上では新しい古典派同じに見えるが、ある意味で「ケインズ原理主義」への回帰の側面もあると言えよう。この理論はニュー・ケインジアン理論と呼ばれている。

 では、ニュー・ケインジアンはデフレ不況をどのように説明しているのだろうか。(次回に)
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