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ミニ経済学史(19)

新しい古典派の時代(2):フリードマン(1)


 ミルトン・フリードマン(1912年7月31日~2006年11月16日 アメリカ人)はケインジアン全盛の頃から激しいケインジアン批判を行っていたという。いわば新しい古典派の元祖のような学者である。後年、彼は弱肉強食のような経済政策を肯定している新自由主義の元祖のように言われることがあったが、これは大変な誤解によるものだったようだ。このような先入観は置いて、ともかく彼の主張を聞いてみよう。

 ケインジアンはスタフグレーションにうまく対処できずにその権威を失っていった。何がいけなかったのだろうか。

 ケインジアンが理論形成に用いた基本資料にフィリップス曲線と呼ばれているものがある。フィリップス(ニュージーランド人)が1958年に発表したもので、1861年から1912年までの貨幣賃金率の年上昇率と失業率の関係をプロットしたものから得た曲線である。

フィリップス曲線

 ケインジアン全盛当時、ケインジアン派はこの図の縦軸を、賃金上昇率ではなく、物価上昇率(以下、インフレ率と呼ぶことにする)とみなして利用した。賃金上昇率とインフレ率は連動しているからどちらにしても同じような曲線にあるという理屈だろうか。前期より賃金上昇率が上がっても財の需要が前期より低ければ物価は下がる、というようなこともあるのだから、この変更自体が不当なのだが、ここでは縦軸が賃金上昇率の場合もインフレ率の場合も同様の曲線が描けるという前提で読み進めることにする。

 ケインジアンはこの曲線の中でどの点を選べば失業削減とインフレ抑制のバランスが取れるかを考えた。つまり、少しばかりインフレになってもいいから失業率を減らそうという考えで、総需要拡大政策をとったのだった。その結果どうなっていっただろうか。

 当初はケインジアンの思惑どおりに事態が進んだ。
「インフレで物価が上がる→企業は利潤が上がるから雇用を増やす→労働需要が増えるから貨幣賃金率が上がる→失業率は下がり完全雇用に近づく。」
 例えば、上のフィリップ曲線で言えば、縦軸座標の貨幣賃金率(またはインフレ率)が0%から3%に上がると、横軸座標の失業率が5%から2%に下がるというわけだ。当初は理論通り見事にケインジアンの政策が成功したかに見えた。ところが前回に述べたように、「インフレはどんどん悪化していき、失業問題も改善されなかった」のだった。何故なのか。この現象をフリードマンは次のようにとらえた。

 まず、フリーマンはフィリップス曲線が横軸と交わる点(貨幣賃金率あるいはインフレ率0%)の失業率(上の図の場合約5~6%)のことを、「自然失業率」と呼んだ。ここで「自然失業」とは「ケインジアンの時代(4)」で取り上げた「自発的失業」と「摩擦的失業」のことであり、不況の時に起こる「非自発的失業」だけを真の失業と考えた。従って、自然失業率の状態は実は完全雇用の状態だと言える。当時のアメリカではこの自然失業率は5%くらいだったそうだ。

 さて、ケインジアンが想定した現象は総需要拡大政策を始めた当初には思惑通りに進んだように見えるが、それはいつまでもは続かなかった。なぜか。フリードマンの理論によるとおおよそ次のような理屈になる。

 労働者は、当初はまだ物価の上昇にあまり気づいてないから、貨幣賃金率が上昇したのを実質賃金率(貨幣賃金で実際に買える財の量で見た率)も上がったものと勘違いして、労働供給を増やしている。しかし、労働者もやがてインフレで物価が上がったことに気づく。実質賃金率が上がったと思っていたが、実は実質賃金率は下がっていたことを知る。その結果、労働供給は減少し、労働供給と労働需要が均衡するように雇用量が減少する。結局、元の自然失業率のところまで戻ることになる。例えば、3%のインフレがあれば、やがて労働者はそれを予想に織り込み、3%の賃上げがあって当然と思うようになる。以前はインフレ率ゼロのときにとった労働供給行動と同じ行動を、今度は3%の賃上げがあったときにとるようになる。これをフィリップス曲線で言えば、貨幣賃金率(またはインフレ率)がO%の点が3%分上にシフトすることである。これはインフレ率3%のときの失業率は自然失業率のままであるということだ。インフレ率を何パーセント上げても同じである。つまり、短期的にはフィリップス曲線は右下がりとなるが、予想が現実と一致していく長期では自然失業率のところで垂直な直線となる。ケインジアン政策は短期的には効果があるように見えるが、長期的にはインフレが高まるだけで失業を減らす効果はない。

 上のフリードマンの理屈で言う長期・短期とは新古典派(マーシャル)の言う短期・長期とは異なる。新古典派の場合は、
短期…機械や工場などの固定資本設備が一定不変の期間
長期…固定資本設備が自由に移動や増減できる期間
という意味だった。これに対してフリードマンがいう短期・長期とは
短期…経済状況の予想が変わらない期間
長期…予想が現実に合わせて調整されていく期間
ということであり、この場合の長期は1年くらいのときもあり得る。

 以上のようなフリードマンの理論とケインジアン派の理論の違いはそれぞれの理論が前提としている基本的な現実認識がまったく正反対であることから起こっている。その違いは次のようである。

ケインジアン派の特徴

(1)  価格硬直性の前提
 価格や賃金は簡単には変化しないという考え。特に、下がることはほとんどないと考えた。この価格硬直性が市場メカニズムがうまく働かず失業者が生じてしまう原因であるとみなした。
(2)  予想の非合理性
 企業も個人(家計)も将来の経済状態を合理的に予想することをしない。流動性選好を優先する。

 この前提から
「政府は、不況での失業者の増加を放置することなく、財政支出の拡大により総需要を刺激するなど、経済に積極的に介入するべきである」
と主張することになった。つまり
(3)  市場への国家介入(大きな政府論)
である。そして
「経済は全体としての構造によって決まっていき、個人はそれに規定されて振る舞う」とみなすのだから、その構築する経済学は
(4)  マクロ理論一本の方法論(方法論的全体主義)
という方法論をとることになった。

 これに対して、フリードマン(新しい古典派)の基本的な現実認識は次のようである。

新しい古典派の特徴

(1)'  価格伸縮性の前提
 価格や賃金は市場メカニズムによりスムーズに上下する。
(2)'
 合理的期待・完全予見

 企業も個人(家計)も将来の経済状態を合理的に予想して経済活動をする。おおむね完全な予見をしているものとみなしてよいとしている。

 つまり、企業経営者も消費者も市場で合理的に行動するので、価格や賃金がスムーズに動いて、市場の不均衡は自動的に解消されるという立場である。需給は市場メカニズムにより自動的に均衡するのだから、当然政府は市場への介入をすべきではない、という主張になる。
(3)'  市場の自動均衡(小さな政府論)
である。そして、企業や個人(家計)は自分に有利なことを合理的に選んで行動するという基本認識をもとにして構築する経済学は
(4)'
 ミクロ的基礎付け(方法論的個人主義)

のもとに全体の分析を積み上げていく方法をとることとなる。

 それでは、フリードマンはスタフグレーション克服のための政策をどのように考えたのだろうか。(次回へ)
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