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ミニ経済学史(18)

新しい古典派の時代(1):スタグフレーション


 教科書④の四つの時代区分によるとケインジアンの時代(1930年代半~1970年代頃)の次の時代は下記のようだった。

(4) 新しい古典派の時代
 1980年代~現在
  この時代の始まりは「反ケインズ革命」と呼ばれている。

 教科書①による「労働の包摂」による区分名は「スタグフレーションの時期」である。1970年代から1980年代にかけて、世界の政治経済状況に何が起こったのか。振り返ってみよう。

 第2次大戦後、アメリカを中心とする世界資本主義社会は、ケインジアンの経済政策運営のもと、未曾有の大繁栄を遂げた。特に、アメリカでケネディ大統領が登場する1960年代、ケネディは積極的に財政支出を拡大させて経済成長を図り、完全雇用を実現しようと、「ニュー・エコノミクス」と銘打った経済政策を打ち出した。ケネディは1963年に暗殺されたが、そのあとを継いだジョンソン大統領は、「偉大な社会」というスローガンを掲げてこの路線を推進した。その結果、1960年代半ばにはほぼ完全雇用を実現することができた。しかも、あまりインフレにならずにそれができたのだった。ケインジアン経済政策の大成功例だ。このアメリカ経済の繁栄の恩恵を受けて、世界中の工業国が高成長を遂げていった。

 一番恩恵を受けたのは日本だったかも知れない。単にアメリカが旺盛な製品市場になってくれたというだけでなかった。ベトナム戦争による戦争特需により厖大なドルが日本銀行に持ち込まれた。当時は固定為替相場制だったので、そのドルは1ドル=360円で円と交換することになっていた。それは円を増刷することにほかならなず、金融緩和をしているのと同じ効果を上げて大好況をもたらした。特に、1965年11月から1970年7月まで続いたいわゆる高度経済成長時代の好景気は「いざなぎ景気」と呼ばれている。

 1960年代の終わりから70年代の初頭にかけて、世界中で超完全雇用が続いた結果、賃金上昇のペースが高まった。その上、ドルの発行しすぎのため固定為替相場制という世界システムが崩壊する。1971年8月、アメリカのドル防衛施策で株価が大暴落。日本政府は変動為替相場制を採用する。12月、10ヵ国蔵相会議で多国間通貨調整が決着する(1ドル=308円)。

 この世界規模の混乱を、各国はこれまで同様、総需要拡大政策で乗り切ろうとした。この政策で、賃金コストが上がるとともに需要が拡大することとなり、世界中でインフレが高まっていった。そして、そのインフレの最中に、あのいわゆる「オイルショック」に見舞われることになる。
1973年
 2月 ドル売り殺到で東京外国為替市場閉鎖。円は変動相場制に移行して市場再開。円は急騰する。
 10月 第1次石油危機始まる。(~74年1月、狂乱物価・異常インフレ進行)

 石油危機の直接のきっかけは第4次中東戦争だった。この時、アラブ諸国はイスラエルに味方する国には石油を売らないという「石油戦略」を決定した。その結果、原油価格が急高騰し、異常インフレが進行したのだった。ここで戦後世界資本主義の成長期が終わった。日本も高度経済成長が終わって、これ以降は低成長時代に入る。1974年にはGNPが戦後初のマイナスとなった。

 さて、インフレは好景気の時におこり、不景気の時はデフレになる、というのがこれまでの経済動向の常識だったが、上のように1970年代は大インフレなのに大変な不況になってしまった。異常インフレと呼ばれる由縁である。この異常インフレは、不況下のインフレということで、英語のスタグネーション(不況)とインフレーションを合成して「スタグフレーション」呼ばれるようになった。このスタグフレーションは資本主義社会始まって以来初めての異変現象であった。スタグフレーションに対処して、これまでのように財政拡大政策や金融緩和政策をとってもインフレはどんどん悪化していき、失業問題も改善されなかった。つまり、ケインジアン経済学の処方箋では対処することができなかったのだった。ここで「反ケインズ革命」が起こることになる。

 ケインジアン経済学批判ののろしを上げたのは、かねてからケインジアン批判をして自由競争を擁護してきたシカゴ大学のフリードマンだった。彼の率いるマネタリストの主張が、俄然学会に受け入れられるようになっていった。さらにそのあとに、ラッファーやフェルドスタインらのサプライ・サイド派、ルーカスやバローらの合理的期待形成学派が続いて登場し、ケインジアンの理論と政策を攻撃していった。これが、「反ケインズ革命」と呼ばれる学説史上の大転換になった。

 彼らはみな、広い意味で新古典派の流れを継承していて、民間のやることへの政府の介入はなるべく減らして、財政削減して「小さな政府」を目指すべきだと言った。世の中のたいていのことは、民間ビジネスの自由な市場に任せれば、市場メカニズムが働いて自動的かつスムーズに均衡するんだと主張した。1980年代にはこうした考え方が学会の主流となり、ケインジアンは敗れ去る。

 この学会の新しい主流派は、新古典派(ネオ・クラシカル)とは区別する呼び名として「新しい古典派」(ニュー・クラシカル)と呼ばれている。「現代的な新古典派」(マクロ経済学を新古典派的に扱う学派)という意味合いがあり、直接にはルーカス達の合理的期待形成学派から始まるとされている。

 この「新しい古典派」の考え方は、実際の政策にも取り入れられていく。1980年代の初めから、イギリスのサッチャー保守党政権やアメリカのレーガン共和党政権など、いわゆる保守派の政権によって、国営・公営企業の民営化とか規制緩和とか財政削減とかいった政策がとられていった。日本でもこの頃、中曽根政権が国鉄を民営化してJRにしたり、電信電話公社を民営化してNTTにしたり、専売公社を民営化して日本たばこ産業にしたりと、国営・公営企業の民営化を強行している。

 このような市場化政策の正当性を主張するイデオロギーを「新自由主義」と呼んでいる。これ以降、基本的にはこういった新自由主義路線が世界中で遂行されていく。日本では小泉政権が「構造改革」路線を掲げて、規制緩和・財政削減・道路公団や郵政事業の民営化を強行した。新自由主義こそ現在の格差社会を作った元凶である。
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