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ミニ経済学史(15)

ケインジアンの時代(2)―ケインジアンの系譜、セイ法則

 教科書④の「ケインジアンの時代」についての解説には大変分かりにくい点がいくつもある。困ったときの参考しようと思い、
滝川好夫著『ケインズ「貨幣改革論」「貨幣論」「一般理論」』
を借りてきた。これを教科書⑤とする。

ケインジアンの系譜

 教科書④に戻ろう。

 新古典派は、市場メカニズムが自動的に調和をもたらすのだから政府は民間の経済については自由競争に任せて余計な介入はすべきではない、という「小さな政府」論を主張した。先進資本主義国はおおむねその論を受け入れてきた。しかし、世界は「自動的な調和」とは正反対の大恐慌に見舞われてしまった。市場メカニズムに任せていては大量の失業を出して経済が破綻することも起こりうることがはっきりしたのだった。そのような破綻を避けるためには、政府が積極的に経済に介入すべきだという「大きな政府」論を主張し始めたのがケインズだった。

 ケインズの理論はたちまちのうちに世界に広がり、第二次世界大戦後の先進資本主義国の経済運営は、ほとんど全てケインジアンが担うことになった。ケインズの理論が受け入れられる過程で体系化されていったのが「マクロ経済学」である。

 世界を席巻していくケインジアンのおおよその系譜は次のようである。

ケインジアン派

 ケインズの理論は短期の分析の結果を体系化したものだった。ハロッドはこれを長期にわたる経済の動きの分析に応用した。ヒックスは、新古典派の一般均衡理論の枠組みで、ケインズ理論を体系化した。それを受けて今日のマクロ教科書の定番を作ったのがハンセン。この成果によってアメリカでのマクロ経済学教育が標準化され、ケインジアンの経済政策官が続々と送り出されて実際の政策を担っていくことになった。そして、そのアメリカ・ケインジアンのマクロ経済学と、新古典派のミクロ経済学をセットにして、世界的ベストセラー教科書「経済学」を出したのがサミュエルソン。ケインジアン型の政策でもって景気を良くしてやって完全雇用が実現できたならば、あとは新古典派理論が成り立つという理論である。これが「新古典派総合」と言われて、アメリカを中心とした戦後西側世界の押しも押されもせぬ主流体系として、その後四半世紀にわたって世界に君臨することになる

 一方、ヒックスの方の流れに対し、新古典派におもねったものは本当のケインズ経済学じゃないって言って反発した人達もいた。ジョーン・ロビンソンなど、主にイギリスで活躍した人達で、「ポスト・ケインジアン」と呼ばれている。ハロッドもこの中に含められる場合が多い。ヒックスも後年はこの立場に移ったという。しかし、このグループは結局世界的に見て主流にはならなかった。

 教科書④はケインジアン経済学の解説を「ケインズ」と「ヒックス・サミュエルソン」の二つの章に分けて行っている。「ケインズ」章は大恐慌をきっかけにケインズが行った古典派批判から始まっている。

セイ法則

 ケインズの古典派批判は「セイ法則」(教科書④では「セイの法則」ではなく「セイ法則」と表記しているのでこれに準ずる)をめぐって行われている。実はセイ法則については「古典派の時代(1)」で、その定義文をウィキペディアから引用している。
『セイ法則=「供給はそれ自身の需要を創造する」』
だった。この文の意味は「作った商品は作っただけ必ず売れる」という意味にとれる。現実をちょっと振り返れば、このようなことは成り立たないことは明らかだろう。売れ残りが出たり品不足になったりは日常茶飯事だ。しかし、ウィキペディアの解説は次のようになっている。

『あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。』

 「ほとんどの場合」という注釈がついているが、「作っただけ必ず売れる」という解釈だ。教科書⑤を調べてみたら、やはりそのような解釈をしている。【古典派のセイの法則VS.ケインズの有効需要の原理】と題して、次のように解説している。

『経済学には2つの考え方があり、ひとつは「供給は常にそれに等しい需要を生み出す」という古典派経済学のセイの法則,いまひとつは「需要は常にそれに等しい供給を生み出す」というケインズ経済学の有効需要の原理です。ケーキ屋さんが1日当たり何個のケーキを作ることができるかは、人、機械、技術しだいです。いまある人、機械、技術のすべてを動員して作れるだけのケーキを作れば,そのケーキは市場の価格メカニズムで必ずや完売するというのが「供給は常にそれに等しい需要を生み出す」という古典派経済学のセイの法則です。一方、このケーキ屋さんが実際に1日当たり何個のケーキを作るかは、お客さんが何個買ってくれるかに依存しています。売れ残ったときに価格を下げると、次回からお客さんは価格が下がるまで買いに来なくなるかもしれませんので、ケーキ屋さんは売れ残っても価格を下げず、廃棄しているのが一般です。売れ残れば、“お客さんが何個買ってくれるか”を下方修正予想して、減産します。これが「需要は常にそれに等しい供給を生み出す」というケインズ経済学の有効需要の原理です。』

 このような解釈が一般に流布されているセイ法則の解釈のようだ。しかし教科書④によると、「供給はそれ自身の需要を生み出す」という文には省略した文言があり不正確な文だったようだ。ケインズはセイ法則を
「諸財の供給はそれ自身の需要を生み出す」
と表現しているという。ここで「財」とは「生産された物品やサービス」を指しているが、「諸財」の意味は「個々のどの財」ではなく「全ての財総体」という意味だろう。つまり、社会全体の総供給と総需要についての法則だろう。しかし、これもケインズによる解釈であって、もともとのセイ法則の文はまったく違うそうだ。教科書④はセイ法則の正確な定義を
「諸財の超過需要の和は恒等的にゼロ」
としている。ここでまた私の頭は「?」で埋まってしまった。経済学にはこのような生煮えのような文章が多いと思うのは私だけだろうか。「超過需要」とは「ほどよい程度を超えた部分の需要量」という程の意味だろう。「その超えた部分の需要量の和が常にゼロ」? 私には「超過…の和が…ゼロ」という意味が分からない。しかし、教科書④はこの定義の後で
『「諸財の供給はそれ自身の需要を生み出す」と言い換えても同じこと』
と言っている。正確な定義文とケインズによる定義文が同値だと言うのだが、この判断が正しいとすると、正確な定義文の意味は「超過需要は起こらない」→「需要と供給は均衡している」という意味だと考えればよいようだ。

 このような解釈でよいことを示す論文に出合った。神谷傳造という方の「セイの販路法則と一般的過剰生産」である(販路法則とはセイ法則の別称)。該当部分を引用する。
 ケインズは『一般理論』第2章「古典派経済学の諸前提」第IV節において、J.S.ミルの『原理』(1848)とマーシャルの『国内価値の純粋理論』(1879)とからの引用をとおして、セイ法則は「生産費の全部が、直接および間接に、全体として、生産物の購入に支出される」ことであると書いている。ここで「直接または間接に」というのは、「消費または貯蓄を通して」ということである。家計が消費をすれば財または用役に直接に向かう支出が生じるのに対して、貯蓄をすれば、財または用役に直接に向かう支出は生じない。しかし社会的に見れば、貯蓄をするとは、将来の消費のために財および用役を購入することであると考えられる。セイ法則とは、生産費の総額がまず所得となり、このように直接間接に、その所得を発生させた生産物の全体に支出されるということであるというのが、ケインズの解釈である。

 第3章「有効需要原理」第I節では一層簡潔に、セイ法則とは「需要の総価値額と供給の総価値額とが等し」くなるということであると書いている。

 セイの販路法則とは何かといことについて、ケインズの解釈を表す最も分かり易いことばは「供給はそれ自身の需要を造り出す(『一般理論』第2章18ページ)であろう。

 これによると、ケインズは孫引きのセル法則を用いて解釈をしていることになる。ともあれ、以下はケインズによる定義
「諸財の供給はそれ自身の需要を生み出す」
をセイ法則とみなして教科書④を読んでいくことにする。
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