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ミニ経済学史(14)

ケインジアンの時代(1)―「労働力の包摂」から見る

 ケインジアンの時代は「1930年代半~1970年代」とされている。ジョン・メイナード・ケインズ(1883年~1946年)がその主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』(一般に『一般理論』と通称)を出版したのが1936年。これがケインズ革命の始まりということなのだろう。第一次世界大戦(1914年~1918年)後、1929年に世界大恐慌が起こっている。これがケインズ理論誕生の要因であった。第二次世界大戦(1939年~1945年)後、1970年代には「スタフグレーション」(のちに詳しく取り上げる)と呼ばれている大不況が世界的規模で起こる。ケインジアン理論ではこのスタフグレーションには対処できなかった。ケインジアンの時代の終りである。

 ケインジアンの時代は「労働力の包摂」という観点からは「国家独占資本主義の段階」と呼ばれている。この段階の時代状況を教科書①は次のように解説している。(原文は講演録なので文体を変えてまとめ直しています。「注記」は私が付けたものです。)

 第一次大戦後、社会主義の問題が従来のようなたんなる理念的な運動の問題ではなくなり、現実に社会主義革命が起きる要因が生まれてくる。東欧をはじめドイツにいたるまで社会主義革命の可能性はそうとう強く現われていた。

 1920年代のドイツのワイマール体制は、一応は資本主義体制ではあったが、10月革命を経過して社会主義との妥協の上に成立した体制であり、労働階級にたいして大幅な譲歩を必要とした。ただしこの譲歩は、ワイマール体制のなかではまだ国家独占資本主義体制としてほんとうに確立されたものではなかった。むしろ従来の社会政策を受けつぎながらそれを拡充してゆくという形をとっていた。

「注記」
 大内さんは10月革命を「擬似社会主義革命」と呼んでいる。


 この段階でとくに中心的役割を担うようになったのは失業保険である。これは第一次大戦前からイギリスで推進されていたもので、ワイマール国家はこれを大幅に拡充した。(この施策は日本では第二次大戦後までもちこされている。)

 このように失業保険がある程度完備されたということは、労資の関係のなかに直接権力が入りこまないで、国家による施策によっていわば外から労資関係を安定させてゆくという社会政策の最後の仕上げをするものであった。この点からいえば、ワイマール体制はまだ古典的帝国主義の最後の時期を示していると言えよう。

 しかし、そういう形で労資関係の安定を図るというやり方が最終的に破綻する要因が大恐慌だった。いずれの国においてもみられる状況が、とくにドイツで一番シャープに現われたと言ってよいだろう。この大恐慌によって失業者が大量に発生したため失業保険はゆきづまってしまった。資本主義の建て直しのためにはどうしてももう一段と高度な国家権力の介入が必要とされるようになってきた。

 以上が1930年代に入って恐慌対策として出発しながら、しだいに国家独占資本主義的な体制へと発展してゆく過程ということになる。

 この国家独占資本主義は、第二次大戦までの段階では、世界の国々の間で二つの型にわかれる。そのひとつは、ナチス型(ファシズム型)であり、これは強権的に労働運動を押さえつけながら対外的な軍備拡張で対応してゆくというタイプである。もうひとつは、いわゆるニューディールを典型とするタイプである。イギリスやフランスでは少し違ったタイプになるが、いずれにしても労働階級にたいする譲歩を拡大して、これをいわば柔軟な対応のなかで体制のなかに吸収してゆくというものである。

 このうち、さしあたりの恐慌対策としては、実は日本・ドイツなどの方が成功している。つまり強権的に押さえつけた方が早く恐慌からぬけ出せることになった。しかし、最終的にはそれは戦争をやらざるをえなくなる体制であり、実際に戦争へと突き進んでいった。そして、それらの国が戦争に敗れた後は、いずれの国もニューディール型の対策をとらざるをえなくなってくる。こういう経過のなかで、労働力の包摂は第三の段階に入ることになる。

 この段階の特徴は、ひとことで言えば「高度な国家権力の介入」である。少し詳述すれが、次のように言えよう。

 一つは、ここではじめて景気対策が事後的な対策から事前的な対策に変ってきた。つまり、以前には恐慌が起こったあと失業者が出ればそれにたいして対策をとる、あるいは破産する企業が出ればそれを救済するという対策であった。そういうやり方が大恐慌で失敗した後は、恐慌をなるべく起こさないようにしようという対策に変ってくる。これは、初めは恐慌に落ち込んでしまった経済をいわゆるポンプの呼び水でもって復活させるというところから始まり、やがて調整政策という形に変っていく。そのいちばん中心をなすのはフィスカルポリシーを中心とした財政金融政策である。いずれにせよ、それは恐慌にたいする予防的な措置を強め、大幅な恐慌が起こることを予防して、大量の失業者が生ずることをできるだけ回避するという狙いをもった政策と言うことができる。

(注記 広辞苑より)
フィスカル‐ポリシー【fiscal policy】
 財政的手段によって国民経済の動きを制御し、完全雇用と安定成長を達成しようとする政策。主にケインズ的な立場に立った財政政策をいう。


 しかし、そのための政策は総合的にならざるをえない。その中でも特に次の事が重要になってくる。すなわち、恐慌の回避のためには資本のもとに労働力を包摂してゆけるように、時々の生産性に応じて賃銀水準を調節してゆく必要がある。この施策は、ある場合にはインフレ政策をとり、ある場合には引締政策をとるというようにして、労賃を適当な水準に調整してゆくことによって果される。もちろんこれは政策の骨格であって、実際にはさまざまな追加施策が必要となる。公共事業を拡大する・金利を動かす・減価償却を促進する・免税をする……などなど。

 総合的な対策に変ってくるという点に関してもう一点指摘しておくべきことがある。それは直接的な労働対策にしても、社会政策のように個別的に農民を保護し、中小企業を保護し、失業対策や労災や健康保険などで労働者を保護する、……などなど個別的な対策にとどまらなくなる。もちろんこのような社会保障も、ひとつひとつ個別的な対策から成り立っているに違いなが、そこにもうひとつ総合的な狙いが入ってくる。たとえば社会保障は単に失業とか病気とかにたいして対応するだけでなく、それ自体が社会的消費の拡大や景気維持などに役立つことを狙いとしている。さらにそのほかの国の経済政策も、それ自体の直接的な目的のほかに景気対策のためにそれが使われるようになってくる。

 上述のような現象を政策の二重化と呼ぼう。この二重化は財政政策についても言える。一例として公共事業を取り上げると、公共事業は一面では道路をつくるとか橋をかけるとかいうこと自体が目的であり、それが民生の役に立つとか、あるいは産業のために役に立つといった目的をもっている。しかし同時に、公共事業費を膨脹させたり、あるばあいには縮小させたり、あるばあいには繰り延べたり前倒しをしたりするということ自体が景気対策になるという側面をもっている。

 そういう二重化を示しながら、より総合的な形で権力の作用がおこなわれ、その力で景気を安定的に維持しながら経済成長を促進して失業が生じないようにする。そして、そのなかで労働力を資本のなかに包摂してゆく。つまり、労資関係がもはやたんなる資本と労働者との直接的な関係にはとどまらなくなり、また政策がたんに外枠として機能するものではなくなり、むしろこの関係自体が権力の介入を通じて維持されるという段階になったと言うことができる。これが国家独占資本主義の本質である。

 上述のような第三段階の体制が破綻したことを示す現象が70年代以降のスタグフレーションである。スタグフレーションはただ資本主義の体制的な危機に止まらず、むしろ経済体制を越えた人間社会全体のあり方が危機に直面している。資本主義はそういう意味でいよいよ歴史の最終局面に入ったと言ってよいだろう。
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