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ミニ経済学史(10)

新古典派の時代(3):限界革命トリオ

 前回の二番目の引用文に「メンガー・ジェボンズ・ワルラス」という三名の人名が挙げられていた。彼らのフルネームと生没年月日・出生国は次のようである。

ウィリアム・スタンレー・ジェボンズ(1835-1882 イギリス)
カール・メンガー(1840-1921 オーストリア)
レオン・ワルラス(1834-1910 フランス)

 さて彼らは互いに独立に「限界……」と呼ばれている概念の基礎理論を提出したので「限界革命トリオ」と呼ばれている。その基礎理論の内容は具体的には次のような理論である。

『消費者が自分の満足を最大にするように各財の消費量を決める決め方を検討することによって、「商品の価格の比は限界効用の比に等しくなる」ということを示した。』

 つまり、古典派が労働価値説や費用価値説など、価格を決めるもとになるものは客観的な生産条件だと考えたのに対して、彼らは各自の主観的な満足度が価格を決めるもとになっていると主張した。これがやがて経済学の全体系を作り直すことにつながっていった。この三人を源流とする経済学の潮流は次のように呼ばれている。

ジェボンズ …………………………―――→ケンブリッジ学派
メンガー  → オーストリア学派   ↑
            |          |
            | → スウェーデン学派
            |
ワルラス → ローザンヌ学派

 この学派のおおよその流れは次のようである。

 ジェボンズの後を「……」としているのは、彼は後継者になる弟子を作ることができなかったからである。ただ、彼の本を読んだウィックスティードという人が啓蒙書を書いて、「限界革命」の経済理論を普及させたという。

 メンガーは労働価値説や費用価値説に対抗して、価格を決めるもとは効用だと主張して、「効用価値説」あるいは「主観価値説」と呼ばれる立場をことさら強調した。メンガーの考えは、同じウィーン大学のベーム・バヴェルク、ウィーザー、シュンペーター、ミーゼス、ハイエクといった人々に受け継がれた。この流れが「オーストリア学派」と呼ばれている。この学派はメンガーの考えを徹底して、生産手段の価格も、最終消費財の限界効用からさかのぼって帰属させていく考え方をとった。そこで、最終消費財を生産するまでに何段階も時間をかけることの意味を考えるようになり、「資本理論」とか「利子論」とか言われる問題に取り組むことになった。

 ワルラスは、スイスのローザンヌ大学の教授だったが、後継者はイタリア出身の学者で占められている。この流れは「ローザンヌ学派」と呼ばれている。ワルラスは、「一般均衡論」を確立したことで有名である。「一般均衡論」とは「流通している商品全部の市場の間の影響関係を考える手法」のことである。その手法は、数学的には、商品すべての需要と供給が均衡する連立方程式を立てて、それらの式が全部イコールで成り立つように、いろいろな商品の価格が決まると考えた。この意味ではリカードもマルクスも一般均衡論の立場に立っていることになるが、ワルラスの場合、財への需要を効用最大化から導き出している点においてその理論の深化を遂げている。

 その後、ウィクセル(1851-1926 スウェーデン)が「限界革命」の最適化の考え方とオーストリア学派の資本理論とワルラスの一般均衡論を取り入れた経済学大系を作り上げた。この流れが、カッセル、リンダール、ミュルダールと続き、「スウェーデン学派」と呼ばれている。

 以上のような発展を踏まえ、新古典派の教科書大系(今日「ミクロ経済学」の教科書に見られる基礎)を確立したのがマーシャル(1842-1924 イギリス)である。彼は「限界……」という概念の意味を深く吟味した末、実はそれはリカードたちの古典派理論を否定するものではないことを見いだした。それ故に、自分の理論をリカードたち古典派を引き継ぐものと考えて、「限界革命」以後の経済学の体系の中に古典派経済学も位置づけて総合したのであった。これ以降、マーシャル経済学は、押しも押されもせぬ経済学の王道となった。この中から、弟子のピグーをはじめとする人材が輩出され、「ケンブリッジ学派」と呼ばれるようになった。新古典派を打ち倒して全く新しい経済理論を打ち立てることになるケインズも、この流れから出てきた学者である。

 さて、このように多くの流れをもった新古典派だがその主張するところの主要点は
『その市場がスムーズに自動均衡するとみて、「小さな政府」を唱えた。』
ということのようだ。もう少し詳しくは次のように解説されている。

 自由競争のもとでは価格メカニズムが働いて、必要なものが必要なだけ作られる均衡が自動的にもたらされる。しかも、その均衡のもとでは社会全体のトクの合計は最大になっている。おまけに、各自はその価格のもとで、効用を最大にしたり、利潤を最大にしたりしているわけだから、市場均衡においては、もうこれ以上みんなの境遇を良くすることはできない。誰かをもっと良くしようと思ったら、誰か別の人を犠牲にしなければならない。そういう意味で、ムダのない効率的な状態に至っている。

 これは要するにアダム・スミスの市場観と同じである。新古典派はそれを数学的に厳密に正当化したというわけである。従って当然のこと、政府は余計な介入をしてはならないってことになる。政府は、人々の個々におかれている状況などを全部把握することは到底不可能なのだから、均衡状態を設計することなんかできない。だから政府が生産や販売のあり方に口を出すとろくなことにならない。従って、政府は「小さな政府」でいい。

 市場均衡についてのイメージとしては、スミス以来の古典派の場合は、最終的には実際に均衡に落ち着いて動かなくなるというわけではなく、均衡に向かう力が常に働いているが短期的に見ればいつも変動している、というようであった。これに対して、新古典派の場合は、本当に市場均衡にスムーズに落ち着いていくというイメージが強くなっている。こういうこともあって、新古典派は、現実の資本主義経済の擁護論として使われてきたと言う言説もあるようだ。これは当時の政治状況と関係することだろう。

 「限界革命」の時期はちょうど、基幹産業が軽工業から重化学工業へと変わるとともに成年男子の労働力が資本のもとに包摂されるようになったり、初めて労働階級がひとつの階級として確立され時期であった。つまり、資本主義の害悪に反対する社会主義運動が大きく盛り上がってきた時期であった。1860年代後半には、マルクスもリーダーの一人だった「第一インターナショナル」という国際組織ができて、8時間労働とか賃上げとかを求めて、世界中でストライキを伴う労働運動が盛んになった。そしてその頂点の1871年、フランスのパリで民衆が蜂起して、普通選挙による自治政府を樹立した。世界初の社会主義政権「パリ・コンミューン」である。しかし、パリ・コンミューンは支配階級の軍隊によって弾圧され消滅する。ジェボンズとメンガーの「限界革命」の本が出だのが、折しもその1871年であった。この偶然の符合について、松尾さんは次のように論評している。

『気の早い人は、社会主義の脅威への対抗のために「限界革命」が起こったと言い出すが、これ自体は何の関係もない偶然だと思う。ただ、こういった理論が世間に受け入れられていく過程では、支配階級側から歓迎された側面はもちろんあったと思う。マルクス経済学とか社会主義運動に対抗して、現存経済体制を擁護する理屈として使える理論だったから。しかし、新古典派の経済理論そのものが本当にそういう体制擁護論なのかどうか。それはよく検討して判断すべき問題だろう。』

 さて、教科書④は続けて限界革命トリオの学説の解説を行っているが、それは必要が出てきたら取り上げることにして、いまは割愛する。次回は古典派と新古典派の総合者であるマーシャルの学説を学習を予定している。
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