2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ミニ経済学史(5)

古典派の時代(4)―D.リカード(2)・地代と「穀物法」論争

 地代の決まり方を考えるに当っても、賃金の場合と同様、概略的な本質論を行うために投下労働価値により価格が決まるとする。またさらに、話を簡単にするために次の二点を前提とする。
(ⅰ)穀物を生産する土地だけを対象とする。
(ⅱ)世の中全体の穀物の需要量は一定であるとする。

 土地には、肥えた土地からやせた土地までいろいろある。従って、どの土地で生産するかによって、穀物1単位を生産するための投下労働量は違ってくる。肥えた土地では少ない労働で生産できるし、やせた土地ではたくさん労働量が必要となる。穀物の生産を始める者は当然一番肥えた土地から始める。そこから得られる穀物で需要を満たすことができなければ、2番目に肥えた土地を耕し、それでも需要に満たなかったら3番目に肥えた土地を耕し……と、穀物需要がちょうど満たされるところまで、肥えてる順に土地を耕していくことになる。

 それでは、投下労働量通りに交換価値が決まるとすると、この穀物の交換価値はどのように決定するのが合理的だろうか。

限界地

 穀物生産のための投下労働全部の量を、穀物の生産量全部で割った量、つまり、穀物全体の平均の投下労働価値が価格になる、とするわけにはいかない。なぜなら、そのような決め方では、平均よりやせた土地で作った穀物はたくさん投入した労働に比べて売り値が安すぎて引き合わないことになる。それではやせた土地で生産しようとする者はいないだろう。結局、平均以上に投下労働量のかかる土地では生産がされなくなり、穀物の生産量は需要量よりもずっと少なくなってしまう。すると、需要超過ということで、穀物の価格は上がっていくことになるが、その上限は何だろうか。穀物需要を満たすのに必要な土地が全部耕作されるまで価格が上がる。結局は、価格は一番やせて投下労働を一番多く必要とする土地での生産が引き合うまで上がることになる。つまり、穀物需要を満たすために耕さなければならない土地のうち、一番やせた土地での投下労働で交換価値が決まる。この一番やせた土地を「限界地」と言う。

さて、それでは地代はどのように決めればよいのだろうか。

差額地代説=「地代は、限界地での投下労働と、もっと肥沃な土地での投下労働との差から生じる」。

 以下の議論では、当時のイギリスにおける農業の仕組みが前提となっている。

 当時のイギリスでは農業も資本主義だった。地主階級が根強く残っていた。農業資本家は地主から土地を借りて、実際の耕作は労働者を雇って行っていた。他の産業の労働者と同様、農業労働者も生存ぎりぎりの賃金を得るだけだった。

 さて、下の図は土地A・B・C・D・E(肥沃度順)の穀物生産にかかる投下労働力の情報である。実線部分の各長方形の
横の長さは穀物の生産量
縦の長さは穀物1単位当たりの投下労働量
を表している。

地代の決め方
 従って、各長方形の面積が各土地で生産される穀物のために投下された全労働量を表わしている。

 社会全体の穀物需要がX(図の横軸に表示)だとすると、土地A、土地B、土地C、土地Dまでが耕作されることになる。土地Eは耕作されない。つまり土地Dが限界地であり、穀物の交換価値は土地Dの投下労働量Vで決まることになる。

 すると、土地A・B・Cでは単位投下労働量がVより少なのに、Vの交換価値で穀物が売れることになるのだから、A・B・Cでは「横(各土地の生産量)・縦V」の長方形から各土地の長方形を取り去った部分(余剰部分と呼ぶことにする)がそれぞれの土地から生まれる利潤という事になる。しかし、これが全て全部資本家の利潤ということにはならない。どうしてか。ここでまた「風が吹けば桶屋が儲かる」的理屈の登場である。

 土地Dではほかの産業と同じ正常な利潤が得られるのだから、A・B・Cでは、ほかの産業と比べて、異常に多い利潤を得ることになる。すると資本家達はAやBやCで農業事業をしたいと言って殺到する。意欲満々な資本家は、一番儲かる土地Aの地主と次のような取引をすることになるだろう。
「いまあなたの土地を借りてる資本家はほとんど地代を払ってませんが、私ならもっと多くの地代を払いますから私に貸してください。」
 資本家が殺到して「より多くの地代を払う」という競争となり、結局は資本家にとって、正常な利潤以上の特別の儲けがなくなるところで収まる。結局、資本家の側には賃金の分も含めて投下労働分、長方形の面積分だけが手元に残る。従って、各土地の高さVの長方形の余剰部分が「地代」ということになる。これを「差額地代」と言い、この地代説を「差額地代説」と言う。

「穀物法」論争

 当時イギリスには輸入される穀物に法外な関税をかけて、事実上輸入禁止にしていた法律があった。「穀物法」である。この法律によって、イギリスではヨーロッパ大陸よりずっと高い穀物価格が維持され、地主階級は厖大な利益を得ていた。リカードはこの法律に反対だった。一方、マルサスは賛成の立場だった。

マルサスの賛成理由の要約
 一つは安全保障上の理由だった。穀物を外国に頼っていると、戦争や不作という『もしも』のときに困るというのだった。
 もう一つは、国の産業のバランスが工業にばかり偏ってしまうといろいろな支障が出てくるというのだった。この後者を少し詳しく説明すると次のようである。

 穀物は絶対の必需品だから需要が安定しているが、工業はそれと比べて需要の動きが不安定なので、景気の差が激しい。労働者の賃金もそれに合わせて上がったり下がったりしてしまって、世の中が不安定になる。だから農業の割合もある程度あった方が経済は安定するし、しかも、穀物価格が高いおかげで地代が多ければ、地主が工業製品をたくさん買ってくれるので経済が良くなる。

 労働者はしょせん貧乏だからたいした需要を生まないし、資本家は吝嗇で消費をしぶる傾向がある。工業製品への需要を旺盛にしてくれるのは、優雅な地主階級しかない。…と言っているようだ。つまり「地主階級擁護」論である。突っ込みどころがたくさんあるが、それは置いてリカードの反対論を見てみよう。二点ある。

 一点目
長期停滞論=「耕作が進むと限界地の投下労働が増え、地代の上昇が利潤を圧迫して、やがて蓄積は停滞する」。

(教科書④は図2を改良した図を用いて詳しい解説をしているが、大変長い。そこで図2だけを用いて、その概略の紹介することにする。)

 人口と資本が増大しつつあった当時のイギリスにおいて、穀物を自給だけに頼った場合、どのようなことが起こるか。当然穀物需要が増大する。その需要を満たすために、穀物の耕作地はさらなる劣等地へと広がっていく。つまり、限界地がD→E→F……と移動して行き、Vつまり穀物価格が上昇していく。賃金は労働者が生存ぎりぎりの生活費で決まるのだから、当然賃金は上昇する。また、マルサスのご希望通り、地代(余剰部分)はどんどん増大する。逆に、利潤は投下労働価値から賃金と地代を引いた残りだから、利潤はどんどん低下していく。するとやがては、その利潤の中から賄っている資本蓄積が限りなくゼロに近づき、経済は停止してしまうことになる。

 逆に、穀物法を廃止して、自由貿易を行えば、大陸産の安い穀物を輸入することによって穀物物価が下がる。従って賃金も安くなり、利潤が確保される。経済は成長し続けることができる。

 二点目
比較生産費説=取引するとみんなのトクになる。

 自由貿易の利点については既にスミスが「絶対優位」という概念で指摘している。それぞれの国が相手の国よりも得意な財を交換する貿易である。例えば、領地の大半が砂漠である産油国と、石油は産出しないが、バナナが簡単に豊富に作れる南国が、その絶対優位の商品をやり取りする貿易をすれば、双方にとってどちらも利となる。これは当然の理屈であるがリカードは、
「あらゆるものの生産が他の国より優秀な国でも、貿易したほうがトクになる」
と言っている。具体的な例で説明すると次のようである。

A国とB国は共に携帯電話と綿布の2製品を生産できるとする。また、どちらの国でも一人の人が生きるのに携帯電話1台と綿布1反が必要であるとする。そして、それぞれの生産能力は次のようだとする。

A国
 携帯電話1台につき5時間の労働が必要
 綿布1反につき10時間の労働が必要
B国
 携帯電話1台につき2000時間の労働が必要
 綿布1反につき1000時間の労働が必要

 もし両国がそれぞれ自給自足したとすると一人の需要を満たすための労働時間はそれぞれ、15時間・3000時間ということになる。圧倒的にA国が経済優良国である。

 それでは、A国が携帯電話の生産に特化し、B国は綿布の生産に特化して、両国が携帯電話1台イコール綿布1反の比率で交換する貿易を始めたとする。この場合、一人の人が必要とする「携帯電話1台と綿布1反」を手に入れるために必要な労働量xはつぎのようになる。

A国
 携帯電話1台は5時間。綿布1反は携帯電話1台(5時間)と交換するのだから、「x=5+5=10」で、10時間である。自給自足の場合と比べると、5時間分の労働量が節約できたことになる。
B国
 綿布1反は1000時間。携帯電話1台は綿布1反(1000時間)と交換するのだから、「x=1000+1000=2000」で。2000時間である。自給自足の場合と比べると、1000時間分の労働量が節約できたことになる。

 各国の生産品の中で比較的得意なもの「比較優位」と言う。上の例ではA国はB国と比べて、携帯電話については「2000÷5=400」で400倍も優秀であるが、綿布については「1000÷10=100」で100倍に過ぎない。A国では携帯電話が比較優位品である。逆に、B国では綿布が比較優位品ということになる。上の例のように、各国がそれぞれの比較優位品に特化して貿易をすれば、自国も貿易相手国もトクすることになる。これが有名な『比較生産費説』であり、リカードが自由貿易を擁護した大きな論拠であった。

さて、以上でリカード経済学の概略を終えるが、一つ問題点がある。それは「自然価格と投下労働価値のズレはせいぜい7%」ということで、本質論では投下労働価値を用いて説明がされていた。つまり
「投下労働価値と均等利潤率で成り立つ自然価格とが、どちらも交換価値を説明するものとして同じ論理次元に混在している。」
のだった。この問題は後にマルクスによってすっきりと整理されることになるという。ということで、次回からはマルクス経済学を学習することになる。
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