2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ミニ経済学史(4)

:古典派の時代(3)―D.リカード(1)・賃金の決まり方

 リカードはスミスが構築した経済学の矛盾点を論理的に解明発展させた。そして、その理論体系が大変論理的で筋道の通ったものだったので、後の学者たちはリカードの理論を踏まえてしかものを言えなくなったと言われている。20世紀のイギリスの哲学者が「プラトン後の哲学は、プラトン哲学の脚注に過ぎない」と言ったそうだが、その伝で言うと「リカード後の経済学は、リカード経済学の脚注に過ぎない」と言ってもよいほどらしい。それはともあれ、古典派経済学が主とした研究対象である「所得分配と資本蓄積の関係」についてにしぼって、リカードの学説を見てみよう。

 リカードはスミスの言った市場の自動調整メカニズムについての議論を、すべて受け入れていた。しかし、前回の終りに紹介したように、リカードはスミスの「価値構成説」を批判して「価値分解説」を提唱している。次のようだった。

『価格は投下労働価値で決まる。そして、その中から賃金、利潤、地代が分けとられていく。』

 「価格は投下労働価値で決まる」とあるが、産業革命後の資本主義社会にあっては、機械などの固定資本(以下、単に機械と言う)に投下された労働についても考慮して、投下労働価値の修正が必要となる。このことを教科書④は次のように説明している。

 ある部門が他の部門より利潤率が格別に高ければ、その部門に投資する業者が増えて、その部門の利潤率は下がる。逆に、ある部門が他の部門より利潤率が格別に低ければ、その部門に投資する業者が減少して、やがてその部門の利潤率は上がる。このように、利潤率は、長い目でみたら、それぞれの部門はだいたい同じ利潤率に落ち着くことになる。これを「均等利潤率」と言う。

 ところで、どの部門におカネを投資しても同じだけの利潤が得られるということは、おカネを貸した時の見返りも、だいたいそれと同じでなければ引き合わない。つまり、いわゆる利子率もだいたい均等利潤率と同じになる。

 すると、おカネを借りて機械を買った時は、その機械の耐久期間内に、均等利潤率分の利子が付いた元利合計の返済が行われなければならない。仮にこの返済分が得られないくらい商品価格が低ければ、返済ができないことになる。例えば毛織物の価格が長いこと安すすぎて、原料費(羊毛代)や賃金を払ったら、織機買ったときの資金の元利合計が払えなくなるとする。そのような場合、誰も毛織物の事業に投資しなくなり、毛織物業者が少なくなる。そうすると毛織物の生産が足りなくなり、価格が上がっていく。逆に、商品の販売から得られた収入が、諸経費を除き、機械の元利合計を払っても、なおあまりあるくらい高い場合は、この部門で事業をしようとする者が増える。つまり、その部門での商品の生産が増えて、商品価格が下落する。結局、どっちにしろ、機械を買ったおカネの元利合計がきっちり払える水準ぐらいに落ち着くことになる。

 機械を自己資金で買った場合も同じ理屈が成り立つ。そのおカネをこの事業に投資せずに、他人に貸して利子をもうけるという選択肢と比較して、どっちが有利になるかで、この事業への投資をするかどうかを決めるのだから、やはり元利合計の返済分と同じものがきっちり得られるところで落ち着く。

このようにして決まる長期的な均衡価格を、リカードはスミスにならって「自然価格」と呼んだ。しかし、リカードの時代では自然価格と投下労働価値のズレせいぜい7%ぐらいだったという。この点を考慮したためだろうか、リカードは、以上の議論に関わらず、賃金問題の本質論を行う時は、投下労働価値通りの価格を想定して議論を行っている。

 さて、価値分解説では投下労働価値で決まる価格から「賃金、利潤、地代が分けとられていく」のだった。つまり賃金と地代を除いた残りが利潤ということになる。では賃金はどのように決まっていたのだろうか。

賃金鉄則=「賃金は、生存維持水準に決まる」。

 ここで言う「生存維持水準」とは何だろう。教科書④は次のように説明している。
「それは、その時代その時代の労働者が、カツカツ生きていける水準」

これが賃金鉄則とは?! これが資本主義経済の非情さの根幹なのだろう。この非情な賃金鉄則が成り立つ理屈は次のようだ。

 賃金が生存維持水準より高かったら、暮らしが楽になって労働者階級の人口、つまり労働人口が増える。それと同時に賃金が高いと利潤が少なくなる。つまり「資本の蓄積」=「生産拡大のための投資」が減少する。これは雇用の伸びの減少を引き起こす。労働人口は増加するのに、雇用の伸びが減少するので、労働者は余ってしまう。すると、労働者は安い賃金でもいいから雇われようとして競争することになり、賃金が下がっていく。

 逆に、賃金が生存維持水準より低いと、暮らしが苦しくなって労働人口が減る一方で、賃金が低いから利潤が多くて資本蓄積が増え、雇用の伸びが大きくなる。だから人手が足りなくなって、資本家が人を雇おうと競争して賃金を引き上げる。

 ということで、結局賃金は生存維持水準に落ち着く。

 リカードが生きた産業革命の時代には、確かに「労働者が、カツカツ生きていける水準」の賃金だったようだ。また、リカードは自らの経済学を、「賃金や利潤や地代がどのように決まるか」を研究するものと規定して、「政治経済学」と呼んでいるが、経済学が現状の分析だけに止まるのなら、一体その存在意義は何なのだろうかと思う。私の経済学への「偏見」の理由の一つはそこにある。「《『羽仁五郎の大予言』を読む》(6)」で愛読者さんから頂いたコメントに
『「経済学者」を標榜するからには、その利益がどこへ、どう配分されているのかを真剣に研究し、企業利益が必ず「済民」に繋がるようなシステムづくりを声を大にして提言してほしい
とあったが、全く同感である。現在なら労働者には、例えば憲法が保障する「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」や「生命、自由及び幸福追求に対する権利」に見合った賃金を要求する権利があると私は思うし、経済学には、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」といったような屁理屈的現状分析(失礼! しかし、決して軽視するつもりはないが、経済学オンチの私にはそのようにみえてしまう)だけではなく、労働者に当たり前の生活を保障する社会システムの研究にまで進んでほしいと願っている。

 現在、強欲資本主義下の労働者は産業革命期の労働者以下の状況下にあるとよく指摘されている。その現状が日々語られている。私の今日のネット勉強でも次のような論説に出合っている。

『五十嵐仁の転成仁語「今日の政治・経済情勢の特徴と労働組合の役割(その3)」』より
◆家庭の形成、子育てもできない

 また、家庭の形成・維持の困難と少子化という問題も深刻になっています。結婚できないような働き方ですから、当然、こういう問題が生まれます。正規労働者と非正規労働者では、結婚する割合に大きな差が出ます。非正規労働者は、ほとんど家庭が持てません。非正規労働者にとって〝家庭は贅沢品〟だと言われているほどです。

 正規労働者でも、一人までは子どもがつくれても二人目は無理。夫婦共働きで育てられない。保育所にも入れず待機児童が増えています。役所に、何とかしろとお母さんが押しかけているじゃありませんか。このような状況は、とても先進国とは思えません。

 これらの問題を解決しなければならないのに、さらに問題を生み拡大しようとしているのが安倍内閣です。このような状態が続くと、企業にとっても困った問題が起きるでしょう。少子化は労働力再生産が阻害されるということですから。

 1997年をピークに98年から生産年齢人口(15歳から64歳までの人口)は低下し続けています。この年代は社会を支えるべき人たちですが、その数が減少している。この人たちは一番消費も活発な年代です。社会の中核になって働き、次代の子どもたちを生み育てなければならない年代が減っているのですから、日本社会は縮小し、滅亡に向かっているということになります。これを逆転させなければなりません。

◆労働者が働きやすい国にすべきだ

 職場はますます荒廃し、精神に不調を来す〝メンタルヘルス不全〟の拡大も深刻です。8割を超える企業がパフォーマンスに影響していると答えています。このような問題を解決して、人々が健康で安心して働ける、人間らしい労働を実現しなければなりません。健康を阻害せず、家庭を持って普通の生活ができ、子供を産んで次世代を育てられるという当たり前の状況を、どう作っていくのかが問われています。

 しかし、いまの安倍内閣の発想はまったく逆転しています。産業をどう活性化するか、再び経済成長できるようにするにはどうするかという発想ですから。つまり、企業にとってどうすればいいのかを考えているのです。これではまったく逆です。安倍さんは「世界で一番企業が活躍できる国にする」と言いましたが、大間違いです。本来なら「世界で一番労働者が働きやすい国にする」と言うべきだったのです。

『田中龍作ジャーナル「これでは生きてゆけない」 生活保護切り下げ、取り消し求め審査請求』より。

 世田谷区在住の女性(70代)は「(生活扶助費が)減らされたら大変」と眉をしかめた。女性は電気代(クーラー代)を節約するために日中は区民センターで過ごすという。少しでも安い食材を買うのにスーパーからスーパーへと歩き回るそうだ。
「これで消費税が上がったらどうなるのか?」彼女は切々と訴えるように言った。

 新宿区在住の男性(50代)は、椎間板ヘルニアと糖尿病を患って職を失ったため生活保護を受けている。7月までは8万数千円受給していた生活扶助費が、8月分から7万9千円に切り下げられた。最終的には約1万円の減額になりそうだ。

 男性は100円ショップで食材を買い自炊する。3,000円あれば1週間分の食事を賄えるという。1万円も減額されたら3週間分以上の食費がなくなることになる。

 「(扶助費を)これ以上切り下げられたら、たまったもんじゃない。生活してゆけない」。男性は悲鳴をあげる。

 生活扶助の切り下げは、生活保護受給者だけの問題ではない。最低賃金、課税基準、医療費などに影響してくる。庶民の経済負担は増えるばかりだ。

 これが財閥の傀儡阿倍政権がやろうとしている経済政策の本質であり、その政策遂行ための「風が吹けば桶屋が儲かる」的屁理屈を提供しているのが竹中平蔵をはじめとする御用学者たちである。
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