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352 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(5)
会稽海外、東鯷人有り!
2005年8月5日(金)


 よく知られているように、弥生時代には二つの異なる文化圏があった。 「銅剣・銅矛・銅戈圏」(以下「銅矛圏」と略す。)と「銅鐸圏」であり、 その接した領域に「混合領域」がある。

青銅器圏図

 いわゆる「倭国」は北九州を中心とする銅矛圏の国家である。では銅鐸圏には 国家はなかったのか。もちろんあった。そして、もちろんそれは「ヤマト王権」 ではない。ヤマト王権が簒奪した前王朝である。その名は東鯷国(とうていこく)。「日本列島の大王たち」から引用する。

 倭国という呼び名が、中国の史書に現われていたように銅鐸圏の呼び名も、 同じくそこ(中国の史書)に出現しているのだ。

(A)
 楽浪海中、倭国有り。分れて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う。 (『漢書』地理志、燕地)

(B)
 会稽海外、東鯷人有り。分れて二十余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う。 (『漢書』地理志、呉地)

 (A)は『漢書』の中の一文だ。古代史の本や教科書などの各所に引用されてい る。著名だ。だが、なぜか、一対をなす(B)の一文が盲点の中にあった。
 見れば一目瞭然、両者は同質の文章だ。『漢書』がすべてこんな文体なのでは ない。この二文だけなのである。したがって一方は燕地((A))、他方は呉地 ((B))にありながら、同一の原資料にもとづいた引文もしくは叙述であること、 これを疑うわけにはいかない。だから、もし(A)をとりあげるなら、そしてその 内容を論ずるなら、当然(B)とワン・セットの形でとりあげるべきだ。そうせず に(A)だけとりあげて、学問的な判断、つまり史料批判など、できるわけがない のである。しかるに、日本の古代史学界のほとんどは、平然と(B)の存在を無視 してきた。これは大きな欠陥だった。
 では、(B)の東鯷人とは、何を意味する名前だろうか。「鯷」は普通〝なまず″だが、これでは意味をなさない。魚へんをとると、「是」、これには「是非」の「ゼ」と共に、「テイ」と読んで〝はし、かぎり″の意味がある。これだと、〝東のはしっこの人″の意となる(高句麗(『三国志』)は、高句驪(『同、帝紀』等)とも書かれる。馬の名産地であり、中国に馬を献上したからである。東鯷人も同類ではあるまいか。また、『三国志』の倭人伝でも、「度」と「渡」は共用されている)。


 この後、古田さんは「東鯷」という表記が現れる他の文献をも読み解いて、東鯷国が三世紀初頭までは中国の文献に現れているが、三世紀をもって中国への貢献 を断っている(つまりその存在を絶った)と結論している。
 ちなみに銅鐸圏も弥生末期(三世紀ごろ)をもって消滅している。
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