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ミニ経済学史(2)

古典派の時代(1)

 古典派の創始者A.スミスの所論は重商主義の批判・否定から始まった。その論旨は簡単にまとめれば
「政府は経済のことに口を出さず民間人の自由な商売に任せよ。市場メカニズムの働きによって、経済は自動的に調和する。」
ということである。この市場メカニズムへの信頼はその後、「神の見えざる手」という言葉でいろいろな論者が用いているようだ。

 さて、スミスは前回に紹介した経済学の四つのタイプでいうと「A」に入る。これに対して、同じ古典派学者のトマス・ロバート・マルサスやカール・マルクスはタイプ「B」の論者であり、市場メカニズムはそのようにスムーズに都合よく働くとはみなしてなかった。

 しかし、古典派全体を通じて共通している特徴がある。彼らが共通して関心をもった問題があった。それは資本主義社会を構成してる各階級(資本家、労働者、地主)への所得分配と資本蓄積の問題である。古典派経済学が主とした研究対象は「所得分配と資本蓄積の関係」の分析であったと言うことができよう。主な古典派経済学者の相関関係は次のようになる。
             K.マルクス(1818-1883)
             ↗
A.スミス → D.リカード
(1723-1790) (1772-1823) ↘
 ↘           J.S.ミル(1806-1873)
 J.B.セイ(1767-1832)   ↑
             論争
              ↓
           T.R.マルサス(1766-1834)

 以下では上記の赤字で示した学者の学説を概観する。
(なお、恥ずかしながら、私はジャン・バプティスト・セイという学者の名前を始めて目にした。ウィキペディアには『「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」で知られる』とあった。)

アダム・スミス

 現在日本を席巻しているアメリカの1%発の新自由主義がもたらしている「弱肉強食の自由競争」という惨状を具体的に描くと次のようだろうか。

 いま日本では、雇う雇われるの市場も自由競争にするのがいいという方向に進んでいる。既成の労働組合も本来の存在意義を放棄してしまったような体たらくであり、労働者どうし競争し合ってどんどん安い賃金でも働かなければならないような状態になっている。たまたま最新の『週間金曜日955号』(8月9日・16日合併号)に『被害対策弁護団が発足 「ブラック企業」は根深い問題』(編集部・内原英聡記者)という報告記事があった。そこから引用しよう。

 (被害対策弁護団の)代表の佐々木亮弁護士は

「ブラック企業の狭義の定義は、新興産業において若い労働者を採用しては使い潰す会社をいい、広義には不当な労働を強いて労働者の心身を危険にさらす企業」

と説明。その典型例として長時間労働(安全配慮義務違反)や残業代の不払い、詐欺まがいの契約(固定残業代、直前での雇用形態の変更など)、管理監督者制度・裁量労働制の濫用、パワーハラスメント、過労管・過労自殺・過労死の隠蔽などを列挙した。

 総務省の発表によると、非正規雇用者は2000万人に、年収200万円未満が1000万人に上っているという。

 「たまたま」をもう一つ。8月12日の「日刊ゲンダイ」が『ブラック企業大賞」選考委員が語るワタミとこの国の病根』という記事を掲載していた。それによると、めでたく「大賞」の栄誉(?)に輝いたのはあの「ワタミフードサービス」であった。それはさておき、その記事では「ブラック企業」の蔓延ぶりを次のよう報じている。

 ヒドイのはワタミだけではない。今回、ワタミのほかにノミネートされた企業は「ベネッセコーポレーション」「西濃運輸」「東急ハンズ」など7社。約50社から厳選したというが、昨年、全国の労働基準監督署は、法令違反の疑いがある13万件以上の企業に監督指導を行っている。これだって、氷山の一角だろうから、ブラック企業の件数は何十万社になってもおかしくない。

(中略)

 政府の無策もブラック企業が増殖する原因だ。田村厚労相は「きっちりと対応していきたい」と言い、9月は約4000社に立ち入り調査を実施するというが、期待できそうにない。

「行政の言う“対策”とは、マスコミ向けの一過性のポーズであることが往々にしてあります。たとえば厚労省は5年前、違法派遣を繰り返していたとして、グッドウィルの全支店に事業停止命令を出しました。ところが、違法派遣は今も抜本的改善はしていません。折口雅博会長が自己破産して、うやむやになったまま。ブラック企業問題も監視を続けなければいけません」(水島宏明氏=法大社会学部メディア社会学科教授)

 さもないと、有名大企業から中小まで、労働者いじめが常態化することになる。

 さて、アダム・スミスが主張する
「政府は経済のことに口を出さず民間人の自由な商売に任せよ。」
という「市場の自由競争」の一面だけをとらえて、アダム・スミスを「弱肉強食の自由競争」の元祖、「ブラック企業」跋扈の元凶のように誤解している人がいるという。しかし、スミスの「自由競争」はそのようなものとは全く異なる。

 スミスが活躍した時代、重商主義の時代は次のような状況だった。

 雇用主(資本家)は結託してしょっちゅう賃金の引き下げを謀っていた。政府はそれにはには何の対策の立てずに知らん顔の半兵衛を決め込んでいた。そればかりか、政府はやっきになって労働者の団結を禁止しようとしていた。労働者が賃上げのために団結すると、大騒ぎして警察などを繰り出してくる。貿易差額をあげるために、なるべく賃金を抑えようとした。これが「国際競争力」をつけようという重商主義の実態であった。

 スミスは『国富論』でこのような重商主義の考えを批判したのだった。おおよそ次のようである。

 世の中の圧倒的多数の者が貧しくみじめな社会がいい社会のはずがない。みんなが利益を得て豊かになる社会を目指すべきである。そのための要は「資本蓄積」である。資本蓄積が進んだら、別の面では、分業が進み、機械が改良され、労働生産性が上がる。つまり、資本蓄積が進めば雇用が増え賃金も上がり、みんなが豊かになっていくのは必然的な理路だ。それを力で抑えてはいけない。

 しかし、どんな自由経済にしても、政府にしかできないし、政府がしなければならない政策がある。市場経済の利点は、各自が自分の私有財産を自分の利益のために自由に利用できてこそ働く。泥棒や略奪、契約違反や詐欺や脅迫など、私有財産の自由が侵される危険があると、市場メカニズムはうまく働かなくなる。だから、そのようなことのないように、国防や治安維持、あるいは不正防止は国が税金をかけてきちんとやるべきである。また、交通、通信、教育などは、社会の維持発展にとって大事な分野ではあるが、利益を最優先する民間企業はタッチしようとしない。そのようなものは、やっぱり政府がやるしかない。ただし、政府のやることはなるべく必要最小限にして、「小さな政府」、『安上がりな政府』を目指すべきである。

 以上のスミス学説の概略である。スミスの学説は、肯定的にしろ否定的にしろ、スミス以後の学者によっていろいろと取り上げられると思われるので、上の概略と重複する部分があるけれども、改めて『国富論』のポイントとその意味のあらましを箇条書き的に記録しよう(次回へ)。
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