2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ミニ経済学史(1)

四つの時代区分

 経済学についての最小限の知識を身につけてから、改めて「世界同時ファシズムの脅威」の検討をすることにしよう。

 前回用意した教科書は私が求めている要求にはあまり合っていなかった。その後いろいろな本を漁っていたら、松尾匡という学者さんに出会った。とても信頼できる方だと判断した。その方の著書
④『対話で分かる 痛快明解・経済学史』
を用いて、まず経済学史の概要を学ぶことにする。(断りがない場合は、全て④に依拠している。直接引用している文については、文体を変えているけれども、いちいち断らないことにする。)

 経済学の父と呼ばれているアダム・スミスの『国富論』(1776年)以降が対象である。アダム・スミス登場以前は経済と言えるほどのものはなかったが、一応「重商主義」と呼ばれている。おおよそ次のような考えである。

「一国全体が貿易を通じて金銀(貨幣としての)を獲得する事が肝要である。そのために政府がいろいろな政策をとって自国経済を保護・管理することが必要不可欠である。」

アダム・スミスは「国富論」でこの重商主義の批判・否定を論じた。ここから本格的な経済学の歴史が始まる。以後の経済学の歴史は次のような四つに区分される。

(1)
 古典派の時代
 1776年~1870年代の約100年間
  この新しい時代の始まりは「スミス革命」と呼ばれている。
(2)
 新古典派の時代
 1870年代~1930年代半
  この時代の始まりは「限界革命」と呼ばれている。
(3) ケインジアンの時代
 1930年代半~1970年代頃
  この時代の始まりは「ケインズ革命」と呼ばれている。
(4) 新しい古典派の時代
 1980年代~現在
  この時代の始まりは「反ケインズ革命」と呼ばれている。


 上のように、大きくは四つの時代に分けられるが、現れては消えていく諸学説はいろいろと入り込んでいてかなり複雑である。それらの諸説は次の三つの軸によって腑分けすることができる。

(ⅰ) 市場メカニズムの評価
(ⅱ) 「経済学的発想」VS「反経済学的発想」
(ⅲ) 創始者か総合者か


(ⅰ)について

 言うまでもなく「市場(しじょう)」とは
「社会全体に広がっている抽象的な取引の場」
のことである。そして、「市場メカニズム」とは
「この取引を、各自が自分の利益になるように自由に行動したとき、市場に現象する仕組みのこと」
である。その仕組みとは具体的に次のように説明できよう。

「世の中のニーズに比べて生産が多すぎたものは、売れ残って価格が下がるから、もうからないのでみんな生産を減らす。生産が少なすぎたものは、品不足で価格が上がるから、もうかるのでみんな生産を増やす。こうして売れ残りも品不足もない、必要なものが必要なだけ作られる状態に向けて、経済が自動的に動いていく。こういう仕組みを「市場メカニズム」という。

 実際の経済的な事件は、この市場メカニズムが困った問題をもたらしたこともあれば、逆に市場メカニズムを抑止したために困った問題が起こった、というように推移してきている。経済学の全歴史は、
「この市場メカニズムがスムーズに働くものなのか、それとも、ほっといたらうまく働かない欠陥をもったものなのか。」
という問題をめぐっての論争史と言うことができる。前者の立場に立つものを「市場肯定派」、後者の立場をとるものを「市場批判派」と呼ぼう。

(ⅱ)について

経済学的発想の典型構造
1.
 経済は人間の意図を離れて自律的に動く。それを力で左右しようとすると、かえって正反対の結果になったりする。
2.
 取引をすると当事者がともにトクをする。
3.
 他人との優劣よりも、自分がどのくらい良いかが大事。

 この三点について「反経済学的発想」をする者は正反対の発想をし、次のように考える。

反経済学的発想の典型構造
1.
 世の中はその人の力の強弱に応じてコントロール可能である。
2.
 誰かがトクをするとその裏では別の誰かがソンをしている。
3.
 多少ソンをしてでも、他人より優越することが大事である。

 スミス以来今日にいたるまで、経済学を主導してきた学者たちは基本的に「経済学的発想」で理論を組み立てている。しかし厄介なことに、むしろ「反経済学的発想」のほうが強い場合が多かった。

『経済学は常に、「反経済学的発想」からくる挑戦や歪曲を受けてきていて、ここで取り上げるような大物経済学者達は、たいていみんな、そんな挑戦や歪曲と激しく闘ってきた。そういう激しい論争を通じて、経済学は鍛えられ、進化してきたと言える。』

 (ⅰ)と(ⅱ)のどの立場をとるかによって、経済学の論者を次のようにA・B・C・Dの四通りに分類することができる。

       市場肯定派市場批判派
経済学的発想  A  B
反経済学的発想  C  D



 スミスやリカードなど古典派の多くと新古典派が入る。

 マルクスやケインズが入る。

 「世の中食うか食われるかで競争してこそ発展するので、甘やかしてはならぬ、力こそ正義だ強くなれという考え方」が入る。

 「世の中弱肉強食が現実だから、弱者は強者を上回る権力を使って強者を抑え込めという考え方」が入る。

『「反経済学的発想」の典型は軍人の発想だ。何か組織の内部を動かすときに使われる発想だ。そのときには、組織の外の人は敵や収奪対象だったり、せいぜい視野外だったりする。でも、市場経済は、そういうものでは全然ないから、こんな発想では把握することができない。内と外が区別されずに漠然と広がっているし、各自の影響力が及ばないところにまで連鎖が広がっていて、思わぬところから反作用が返ってくる。だから、市場を本気で分析した経済学史上の有名人達は、市場メカニズムを肯定するにせよ批判するにせよ、「経済学的発想」で考えてきたのだった。』

 以上のような経済学の分析を知り、私の「現在流布している経済学は学問ではないという偏見」の要因が分かったと思った。

さて、
(ⅲ)について

 歴史の進展に従って、人類はそれまでの経済学説体系では説明のつかない現実(経済困難)に直面する。従って新しい時代の経済学説の基本枠組みは前の時代の常識を徹底的に批判して否定することから始まる。新しい経済学説は従来説を大転換することになる。冒頭の経済学史の区分で、新しい経済学の始まりが「~革命」と呼ばれている由縁である。

『ところがそうやって新しい学説が打ち出されて、それが後継者に継承されて発展していくうちに、否定されたはずの前の時代の経済学説の再解釈が進んでいく。そして、新しい経済学大系の中でそれが占めるべき位置が認識され、ひとつの総合的な教科書体系ができあがる。だから、経済学史の各時代を完成させるのは、総合者だ。新しい正統学説と、否定された前の時代の学説とを総合させる総合者。彼らが、その後を支配する教科書体系を作り上げることになる。全く新しい革命的学説を唱える創始者はすごいが、総合者もすごい。』

 次回からは、四つの時代区分に沿って、経済学説の変遷をたどることになる。
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