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350 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(3)
「建国記念の日」=「紀元節」のバカバカしさ
2005年8月3日(水)


 記録しそこなった幻のバックナンバー「第334回」(7月17日)に書いたことで 2点訂正したいことがある。

第一点。
 そのときイワレヒコの即位年月日を誰がどのように計算したのかという長年持っていた 疑問を提出した。そのときは古事記や日本書記に記載されているヤマトの王の年 齢や在位期間などをこねくり回して計算したのではないかと思い込んでいた。 さにあらず、だった。

 日本書記のイワレヒコ即位の記事は次のようになっている。

辛酉年(かのとのとりのとし)の春正月(むつき)の庚辰(かのえ たつ)の朔(ついたちのひ)に、天皇、橿原宮に即帝位す。是歳を天皇の元年 とす。

 日本古典文学大系「日本書記・上」(岩波書店)の補注にこの記述についての 学説の紹介があった。この紀年問題をめぐって「多くの学説があるが、学界で最 も広く受け入れられている代表的な説」ということで、那珂通世(1851~1908) の説を紹介している。その部分を引用する。

 書紀が神武即位を上述のように定めたのは、中国から伝えられた讖緯の説に よるものであるとした。すなわち、三善清行の革命勘文に引用された緯書によ り知られる辛酉革命の思想では、一元六十年、二十一元一千二百六十年を一蔀 とし、その首の辛酉の年に革命を想定するのであって、この思想の影響の下に、 推古天皇九年辛酉より二十一元の前に当る辛酉の年を第一蔀の首とし、古 今第一の大革命である人皇の代の始年に当る神武の即位をここに置いたの である。その結果書紀の紀年は実際の年代よりいちじるしく延長され、不 自然に長寿の人物を多く巻中に出現せしめた。試みに神功・応神二代の紀 年を朝鮮の歴史と比較するに、両者の干支符合して、しかも書紀は彼より も干支二巡百二十年古いこととなっている事例が多多見出される、百済の 近肖古王以下の時代においては、彼の年紀に疑うべきところなく、これを 古事記に記入された崇神以下各天皇の崩年干支との関係と併せ考え、この 二代の書紀紀年は百二十年の延長あるものと考えざるを得ない、雄略紀以 後は大体朝鮮の歴史と符合するので、紀年の延長は允恭紀以前にとどまる とみてよかろう、干支紀年法は百済の内附後に学んだものと考えられ、朝 鮮との関係のない崇神以前の年代は推算の限りではないけれど、試に一世 三十年の率を以て推すに、神武は崇神九世の祖に当るから、崇神までの十 世の年数は三百年ばかりとなり、神武の創業は漢の元帝の頃(西暦一世紀 前半頃)に当るであろう、というのである。

 「蔀」だとか「首」とか知らない用語があるが、いまは「辛酉」の年に 「大革命」が起こるという中国の「讖緯(しんい)説」に依拠しているとい うことを知れば足りる。これをもって「建国記念の日」とは、笑わせるじゃ ないか。

 上記引用文中の「ヤマト王権」と朝鮮との関係、特に「肖古王」との関係は 「ヤマト王権」の詐術・欺瞞を解く大事な役割をする。いずれそれを取り上げ ることになる。

 ところで、この那珂説について古田さんが次のような辛辣なコメントを 寄せている。

 この那珂理論は、ことの、より重要な反面を故意か偶然か見落している。 あるいは欠落している。なぜなら「革命」とは、「前王朝を武力で打倒する」 事実を前提とした術語だ。その不法行為を「天命」によって合理化した言葉、 それが「命を(あらた)める」ことだ。すなわち、 これこそ天命が前王朝から我(打倒者)に移ったため、と称するのである。し てみれば、前王朝の存在なしに、この「革命」の語、もしくはその概念を用う ること、それは全くありえないことだ。
 だから、『日本書紀』の編者が神武即位に「辛酉」をもって当てたというこ と、それはとりもなおさず、「それ以前に、前王朝が存在した」という主張を ふくむことになる。むしろ、それを自明のこととして、前程しているのである。 その前王朝の仔細について書くのは、もちろん『書紀』の目ざさざるところ。 しかし、大義名分上の立場は右のごとし。疑う余地はない。

 してみれば、「わが国は、神武即位をもって建国された」というような思考 法 ― 本居宣長が強調し、平田篤胤が熱狂的に拡大し、明治維新政府が「紀 元節」としてこれを定式化した歴史観、そして今日の「建国記念の日」制定に 至るまで、これに盲従してきた人々の立場、それは決して『日本書紀』という 古典の立場ではなかった。八世紀の『書紀』の編者たち〔『古事記』はもちろ ん)は、後代の彼等ほどには、狂信的な皇国史観の持主ではなかったからであ る。(「日本列島の王者たち」より)


 「紀元節」のばからしさはさて置き、古田さんのコメントには 大変大事なことは含まれている。
 「それ以前に、前王朝が存在した」。「ヤマト王権」はその前王朝から権力 を簒奪したことになる。そのことについては、そ知らぬふりをしていたかった のに、日本書記がはからずもそのことを漏らしてしまったということだ。
 ではその「前王朝」とはどんな王権だったのか。
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