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《続・「真説古代史」拾遺篇》(155)



「倭人伝」の戸数問題(4):人口(2)


 水野氏の論旨をまとめると次のようになる。

 まず、氏は玄菟郡と楽浪郡(漢書と後漢書)の合わせて三例全体の平均(5.2人)から、倭国の一戸当たりの口数を5人とみなしてる。この推定値を用いて、「倭人伝」中の戸数が記録されている8ヵ国(対海国~邪馬壹国)の全人口を試算すると、「戸」と「家」を区別しなければ15万余戸(14,6000余戸と4000余家)だから、その総人口は約75万人ということになる。さらに氏は、戸数記録のない他の22ヵ国の戸数を仮に千余戸としてその人口を11万人を加えて、親魏倭国30ヵ国の総人口を86万人としている。

 一方、水野氏が澤田氏の著書から転載している九州各国の人口は次の通りである。

〈第一グループ〉
対馬… 7000人
壱岐…1,0600人
筑前…9,2900人
筑後…7,3300人
豊前…7,1600人
豊後…8,7400人
肥前…8,1400人

小計…42,4200人

〈第二グループ〉
肥後…18,5500人
日向… 4,3800人
大隅… 2,8400人
薩摩… 2,8500人

小計…28,6200人

九州全人口…71,0400

 水野氏は30ヵ国全てを〈第一グループ〉内に比定している。また氏は〈第二グループ〉を狗奴国勢力圏としている。そこで「倭人伝」の戸数から導いた30ヵ国の人口と澤田氏による10世紀の推定人口(〈第一グループ〉)を比べて言う。
「まさに北九州の人口は六百年を経過して、半減した結果になり、これは不合理である。」
 さらに、8ヵ国(対海国~邪馬壹国)の全人口75,0000人が10世紀の九州全島の人口710400人にほぼ匹敵することを指摘して
「どうしても女王八ヵ国の人口および戸数は実際に合わないようである。」
と言う。

 以上から、氏は「倭人伝」の戸数記事は「信憑性が少ない」という判断を下している。次のようである。

 戸数や人口数のうえからでは、「倭人伝」の記載は事実に合わない数値となるのであって、この数字は信憑性の少ないものといわなければなるまい。

 ただここで注目すべきことは、魏の使者が直接渡来し、親しく見聞した国々、すなわち、対馬国・一支国・末廬国・伊都国の四カ国の人口数はいずれも千戸から四千戸までの数を示していることで、これはある程度は信憑性をもつ人口計算規準としての戸数を示していると思われる。

 それに対して、奴国以下の国々は、いずれも魏使が直接訪れていない国々であり、それらは皆、万戸以上の戸数を示しているので、それらはすべて魏使が伝聞をもとにして、概数を推測によって記したものと解されるから、これは信憑性のないものであると判断して然るべきである。

 おそらく実際には他の国々の戸数や人口も、対馬・一支・末廬・伊都の四国のそれと大同小異のものと考えれば事実に近かろうと思われるのである。

 ここまでのところ、水野氏のこの主張に反論の余地がないように思えるが、もう少し考えてみよう。
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