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《続・「真説古代史」拾遺篇》(152)



「倭人伝」の戸数問題(1):「戸」と「家」(1)


 『「軍尼」記事をめぐって(3)』を書いているとき、戸数問題にいろいろな疑問が出てきた。その問題について「愛読者」さんから貴重なコメントを頂いている。そのコメントから得た知識も組み込みながら戸数問題を検討してみようと思う。戸数問題は水野氏(『評釈 魏志倭人伝』)が詳しく論じている。また、古田氏も『「倭人伝」を徹底してよむ』でこの問題を取り上げている(「第七章 戸数問題」)。これらを教科書として利用させていただく。

 まず倭人伝に記録された戸数を抜き出してみよう。
対海国…… 1000余戸
一大国……     3000許家
未廬国…… 4000余戸
伊都国…… 1000余戸
奴国………20000余戸
不弥国……     1000余家
投馬国……50000余戸
邪馬壹国…70000余戸

計    146000余戸と4000余家

 「許」と「余」の意味は明らかに異なる。『広辞苑』を持ち出すほどのことではないが、一応確認しておこう。

「許」
(1)体言、活用語の終止形に付く。
(ア)分量・状態・程度などの、おおよその見積りを表す。大体…ぐらい。…ほど。
「余」
(4)数詞に付いて、さらに余分のあることを示す。

 つまり、「100許家≒100家」であり「100余家>100家」である。

 同様に、「戸」と「家」もキチンと使い分けられているのではないか。その違いは何だろうか。この問題は古田氏が解明している。古田氏は魏志の「烏丸・鮮卑・東夷伝」と「帝紀・列伝」に現れる戸数関連記事を全て抜き出して考察をしている。94例もある。代表例だけを転載しておく(『』内は古田氏の解説)。

 まず「烏丸・鮮卑・東夷伝」。

〈烏丸(うがん)伝〉
 四例あるが
(遼西の烏丸大人、丘力居)衆五千余落
のように「落」が用いられている。

『この「落」という表現は、何でもないようですが、考えてみると見逃せない一つの表現です。なぜかというと、倭人伝の場合、中国風に「戸」と表現したのだろうぐらいに思っていたからです。もしそうなら烏丸も「戸」でいいはずで、別に「落」という表現を使わなくてよい。ところが実際は「落」という特殊な表現をしている。ということは、裏返すと、倭人伝の場合もなぜ倭国風の表現にせず、中国風の「戸」という表現にしたのかということです。』

〈鮮卑(せんぴ)伝〉は一例。
魏人千余家を遣わして上谷に居らしむ。

〈東夷伝〉「倭人伝」以外ではそれぞれ一例ずつある。
〈夫余伝〉 戸八万
〈高句麗伝〉戸三万
〈東沃沮(とうよくそ)伝〉戸五千
〈悒婁(ゆうろう)伝〉 ナシ
〈濊伝〉戸二万
 〈韓伝〉 (馬韓)大国万余。小国数千。総一余万
(弁・辰韓)大国四、五千、小国六、七百、総四、五万


『悒婁は書いていません。が、書いていないというのにも意味がある。というのは、わからなかったということです。わかっていたら書かれていたはずで、中国側は〝確証のあるものだけ″を書いたのです。』

『(韓伝の例)を見ると大国の場合は家で小国も家、それを合わせると戸になっています。これは一体なぜだろうか。このように家・家・戸という表現が揃ってとられているということは、これも混用といってしまえば簡単ですが、むしろ「故意」的な表現ではないかと考えられます。』

 次は「帝紀・列伝」の例

〈后妃伝、第五〉
帝、表(文徳郭皇后の従兄)の爵を進じて観津侯と為し、邑五百を増やし、前の千戸に幷(あわ)す。


『(ここで)で注目されるのは、「邑五百を増やし、前の千戸に幷す」という言い方です。「邑」と「戸」という言葉が、結びつけて使われている。これは、これから何回も出てきます。……また倭人伝の冒頭に「山島に依りて国邑を為す」と「邑」が出てきます。』

『参考として挙げますと
「孫壹、率いる所、口、千に至らず。兵、三百に過ぎず」(鍾毓伝)
という記事に、「口」と「兵」という言葉が出てきています。これも注意しておく必要があります。』

〔参考〕
(景初中)済(蒋済)上疏して曰く「……今十二州有りと錐も、民数に至りては、漢時の一大郡に過ぎず……」と。〈蒋済伝〉

『右の〔参考〕は、有名な文章です。十二州(魏の支配下全体)全部を合わせても、その人口は漢の一つの大きな「郡」程度のものでしかないという意味です。戦乱のなかで非常に人口が激減していることをいっています。』

〔参考〕
(大和中)恕(杜恕)乃ち上疏して曰く「……今、大魏、奄(おお)いて十州の地有り。而(しか)るに喪乱の弊を承け、其の戸口を計るに、往昔の一州の民に如かず。……」と。〈杜恕伝〉

『この〔参考〕も似たような例で、戦乱によって漢時代より人口が激減しているということをいっています。』

〈彭城王拠伝〉
(景初元年)県一千戸を削る。

〈中山恭王袞伝〉
詔して県二、戸七百五十を削る。


『(上の2例)では、「県」と「戸」という言葉が出ています。魏の時代は、「国」と「郡」があって、その下に「県」があり、またその下に「邑」や「戸」がありました。これも見逃せないことの一つです。……県・戸、邑・戸の例が多々みられます。』

〈楊阜伝〉
氐の雷定(地名)等の七部、万余落、反して之に応ず。

〈牽招伝〉
又懐し来る鮮卑、素利・彌加等、十余万落、皆款塞せしむ。


『(この二例)の場合「落」が出ています。北方の民族について「落」が多い。』

 以上が「魏志」の戸数関連記事である。古田氏はさらに「蜀志」「呉志」の戸数関連記事を検討している。(次回に続く。)
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