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《続・「真説古代史」拾遺篇》(149)



「倭人伝」中の倭語の読み方(92)
倭人名(1)


 人名についてはいろいろな所で断片的に取り上げてきている。重複する部分もあると思うが、ここで改めてまとめ直しておこうと思う。以下は全て古田説の紹介であり、断りのない場合は全て『俾弥呼』に依拠している。

 「倭人伝」に記載されている倭人名は登場順に挙げると「俾弥呼・難升米・都市牛利・伊声耆・掖邪狗・卑弥弓呼・倭載・斯烏越・壹与」の九人である。

俾弥呼
 俾弥呼は倭人伝では「卑彌呼」と記載されているので、一般には「卑弥呼」と表記されてきた。著書『俾弥呼』(2011年9月刊)以来、古田氏は「俾弥呼」という表記を用いている。私も今はこれに倣ってこの表記を用いている。では古田氏はなぜこの表記を用いるようになったのだろうか。

 その回答は、簡単である。三国志の魏志の帝紀(斉王紀)にはじめて出てくる文面は次のようだ。

(正始4年、243)冬十二月、倭國女王俾彌呼、使を遣わして奉献す。

 右で明白にしめされているように、本来の字面は、この「帝紀」に書かれた「俾弥呼」、これが本来の姿なのである。

 では、あとに出てくる、魏志第三十巻、末尾の倭人伝の文の「卑弥呼」は、なぜか。

 「帝紀の『俾弥呼』の省略形である。」  この一言に尽きる。

 魏志での同様な省略形の例として
 「高句驪」(帝紀)→「高句麗」(東夷伝)
がある。

 女王の遣使は当然国書を携えていた。その国書には女王の自署名があったはずだ。「俾弥呼」はその自署名だった。陳寿はその自署名を用いて記録したのだ。

 では「俾弥呼」は何と訓むのか。「俾弥呼」の訓みとその意義、さらに「俾弥呼=甕依姫」という比定についての古田理論は既に『「邪馬台国」論争は終わっている。(10)』『「邪馬台国」論争は終わっている。(11)』でかなり詳しく紹介した。その時は『よみがえる卑弥呼』を教科書とした。同じテーマについて、『俾弥呼』にはそれを簡潔にまとめた解説がある。重複のきらいがあるが、それを転載しておこう。

 では、この「俾弥呼」の〝訓み″は何か。これは、通説のような「ヒミコ」では「否(ノウ)」だ。「ヒミカ」なのである。このテーマについて子細に検証してみよう。

 第一に、「コ」は〝男子の敬称″である。倭人伝の中にも「ヒコ(卑狗)」という用語が現れている。「対海国」と「一大国」の長官名である。この「コ」は男子をしめす用語なのである。明治以後、女性に「~子」という名前が流行したけれど、それとこれとを〝ゴツチヤ″にしてはならない。古代においては女性を「~コ」とは呼ばないのである。

 第二に、倭人伝では、右にあげたように「コ」の音は「狗」という文字で現わしている。だから、もし「ヒミコ」なら「卑弥」となるはずである。しかし、そのような〝文字使い″にはなっていないのである。

 では、「俾弥呼」は何と〝訓む″か。 ― 「ヒミカ」である。「呼」には「コ」と「カ」と両者のよみ方がある。先にのべたように、「コ」の〝適用漢字″が「狗」であるとすれば、こちらの「呼」はもう一方の「カ」音として使われている。その可能性が高いのである。

 「呼(カ)」とは、何物か。〝傷(きず)″である。「犠牲」の上に〝きずつけられた″切り口の呼び名なのである。中国では、神への供え物として〝生身(なまみ)の動物″を奉納する場合、これに多くの「切り口」をつける。鹿や熊など、〝生き物″を神に捧げる場合、〝神様が食べやすい″ようにするためである。それが「呼(カ)」である。古い用語である。そして古代的信仰の上に立つ、宗教的な用語なのである。「鬼道に事(つか)えた」という、俾弥呼にはピッタリの用語ではあるまいか。

 「ヒミカ」とは、どういう意味か。「ヒ」は当然「日」、太陽である。次の「ミカ」は「甕」。〝神にささげる酒や水を入れる器″である。通例の「カメ」は、人間が煮炊(た)きする水の入れ物である。日用品なのである。これに対して「ミカ」の場合、〝神にささげるための用途″に対して使われる。こちらの方が「ヒミカ」の「ミカ」である。

 すなわち、「太陽の神にささげる、酒や水の器」、それが「ヒミカ」なのである。彼女の「鬼道に事える」仕事に、ピッタリだ。「鬼道」とは、あとで詳しくのべるように「祖先の霊を祭る方法」であり、それに〝長(ちょう)じている″女性が俾弥呼だったのである。

 彼女に当たる人物の伝承がある。「甕依姫(ミカヨリヒメ)」である。筑後国風土記に出現している。

 昔、此の堺の上に麁猛神(あらぶるかみ)有り。往来(ゆきき)の人、半ば生き、半ば死にき。其の数、極めて多し。因りて人の命尽(つくし)の神と曰ふ。
 時に筑紫の君、肥の君等、之を占ふ。(今)筑紫君等の祖、甕依姫(みかよりひめ)をして、祝(はふり)と為(し)て之を祭らしめき。
 爾(それ)より以降、路を行く人、神害せられず。是(これ)を以て、筑紫の神と曰ふ。


 上で、
 (A)因りて人の命尽くしの神と曰ふ。
 (B)是を以て筑紫の神と曰ふ。
というのは、「解説」部分である。古来の伝承事実をもとに「筑紫(つくし)」という言葉の「いわれ」を説明しているのである。 しかし、これは「俗解」である。なぜなら「ちくし」ではなく、「つくし」と言うのは、福岡県、島根県以外の人々の「通称」である。国外(たとえば、大和)の人々の〝呼び名″なのであるから。

 これに対し、右の説話の「元(もと)の部分」つまり、本来の伝承事実には、まざれもなく、「甕依姫」の名前がある。「依(より)」は〝よりしろ″である。「みか」を〝よりしろ″とする「日女(ひめ)」、すなわち「太陽の〝みか″」。彼女の「自署名」がここにクッキリと出現していたのである。

 なお、「鬼道」については「俾弥呼と崇神の接点(2)」「俾弥呼と崇神の接点(3)」で詳しく論じた。
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 コメント
この記事へのコメント
思いつきですが…
鬼道の鬼と各地に伝わる鬼退治伝説と何か関係あるのでしょうか?
ヤマト王権以前の記録を抹殺したというような話しを読んだ気もしたので…
2013/02/05(火) 01:17 | URL | #-[ 編集]
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