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《続・「真説古代史」拾遺篇》(146)



「倭人伝」中の倭語の読み方(89)
官職名(17):邪馬壹国(1)


 邪馬壹国の官について「倭人伝」は次のように記録している。
「官に伊支馬有り。次を彌馬升と曰い、次を彌馬獲支と曰い、次を奴佳鞮と曰う。」

 「副」という表記は使われていないが、伊支馬が大官で、副官は彌馬升・彌馬獲支・奴佳鞮の三官があったと理解してよいだろう。

 これまで、「井の中」では学問とは言えないような手法がまかり通っていることをさんざん思い知らされてきた。が、行きがかり上最後まで付き合うことにする。まず、大官・伊支馬について「井の中」で行われている議論を見てみよう。

伊支馬
 訓みについて水野氏は
『「イキバ(マ)」と訓める』
と書いている。「イキバ」「イキマ」の二説があるということだろうか。なんの説明もないので判断できない。その官名の意義についての説では内藤湖南説(邪馬壹国大和説論者)を取上げている。

「大和国平群郡の往馬坐伊古麻都比古(いこまにますいこまつひこ)神社二座があるが、この神社の神を祭る卜部の官氏を伊支馬としたか、または大来目部(おおくめべ)、あるいは垂仁天皇の御名、活目入彦五十狭茅(いくめいりひこい〔そ〕さち)天皇の御名代かも知れない」

 「イキマ」→「イコマ」などなど、相変わらず類音探しを行っている。水野氏は
「特定個人の固有名詞や氏族名などと関係はない。邪馬壹国の官名であるから、その官職を示す名称と解すべきであろう。」
と、内藤説を否定している。では、水野説はどうか。原文の逐次解説のところでは次のように述べている。

『私は、「イキマ」は「イクメ」の訛であるとする。「イ」は接頭の冠辞で、「イツ」の「イ」で「斎」の意味。「クメ」は「来目」「久米」の「クメ」で、久米部の「クメ」で、舟であり、水軍の長を意味する。すなわち邪馬壹国の水軍の長官が「イクメ」で武官であると考える。』

 類音探しという手法は内藤博士と同じである。ところが氏は後の方で「女王国・狗奴国の官について」と題してまとめの解説を行っている。そこでは次のように全く異なる説を提出している。

『私は「イ」は「厳」であり、「シマ」は後述の「シマコ」の「シマ」であり、語原は「シム」で占有の義がある。それは「シメ」と同じで、神聖な占有者の義となる。』

 一応は造語成分の分析を試みているが、なぜ『「イ」は「厳」』なのだろうか。「厳し(イツクシ)」とか「厳島(イツクシマ)」の「イ」を取り出したのだろう。「シマ」はちなみに古田言素論では「イは、伊予や壱岐と同じように"神聖な"の意」である。「神聖な」という点では共通している。この水野説では訓みを、「イキマ」ではなく、「イシマ」に変更していることになる。「支」を「キ」と訓んだり「シ」と訓んだり、相変わらずご都合主義的だ。

 さて、古田説は次の通りである。

『「伊支馬(イキマ)」。「マ」は接尾語である。「伊支」は当然「壱岐」である。「壱岐」からの侵略軍、それが「博多湾岸等の稲作地帯」への支配を〝目指し″、それを完全に「達成」したのである。「一大率」の項で詳述する通りである。「イキ」という、本来の「地名」で表現されている「壱岐からの侵入軍」が女王国の軍事支配の「要(かなめ)」だ。その肝心の一事が、この第一官名に〝見事に″しめされていたのである。当然、「弥生期の命名」である。』

 「ニニギは天(てん)から日向国高千穂に天下った」という「井の中」での神話解釈に取り込まれている人には全く受け入れ難い説だろう。もちろん私は古田説を採る。
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