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《続・「真説古代史」拾遺篇》(145)



「倭人伝」中の倭語の読み方(88)
官職名(16):投馬国


 投馬国の大官は「彌彌」、副官は「彌彌那利」。「「彌彌」を「ミミ」と訓むとことには異論はないようだ。「ミミ」については『官職名(13):伊都国(5)』で少し触れた。重複する点も出てくるが、ここで改めて取上げることにする。

 「ミミ」の意義については、次の水野氏が「井の中」での定説になっているようだ。

「弥弥」も日本語「ミミ」で、耳にあたる。神八井耳、手石井耳の耳であろう。山田博士は「ミミ」は「御身」で、すこぶる尊貴な人に対する栄爵あろうとし、玖賀耳之御笠の例をあげ、玖賀地方の耳(尊貴なる人)で、その名が御笠というのであるから、この耳にあたるのが弥弥であるとされるが、とにかく尊貴な人に対する尊称であった。

 「手石井耳」という人名は紀記にはない。水野氏はどこから取り出してきたのだろうか。伊波禮毘古(イハレビコ 神武)と伊須氣余理比賣(イスケヨリヒメ)の間に三人の子があるが、そのうちの二人の名に「ミミ」という字が用いられている。八井耳(ヤヰミミ)と沼河耳(ヌナカハミミ 後の綏靖)である。後継争いで沼河耳に殺される當藝志美美(タギシミミ)にも「ミミ」がある。玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)は崇神の銅鐸圏侵略時に殺された丹波国の豪族(あるいは王)である。

 確かに「ミミ」は「尊貴な人に対する尊称」に違いない。この点については異議はないが、水野氏は「ミミ」の意味についての考察をしていない。「ミミ」の意味を考察しているものとして、『官職名(13):伊都国(5)』で引用した澤氏による京都府宮津市日置の解説に次のようにくだりがあった。

「ミミやミは、皇室系譜のなかで、母方が海人(あま)系出身の場合につくことばである(アメノオシホミミ・ヒコホホデミ〈山幸彦〉・カムヤマトイワレヒコホホデミ〈神武〉・カムヌナカワミミ〈綏靖(すいぜい)〉・シキツヒコタマデミ〈安寧〉・オオヤマトヒコスキトモミミ〈懿德(いとく)〉」

 アメノオシホミミ(天忍穂耳命)はアマテラスの子であるから「母方が海人(あま)系出身」と言える。しかし、山幸彦の母・木花之佐久夜毘賣(コノハナサクヤヒメ)は国つ神系であろう。神武の母はニニギの姨(をば)ということになっているから、この場合は父母ともに海人系である。綏靖・安寧・懿德の母はすべてヤマトの豪族の娘(政略結婚)であり、海人系ではない。「ミミ」が「母方が海人(あま)系出身の場合につくことば」という説は成り立たない。

 「ミミ」の意味について、古田氏の解釈は次のようである。(『俾弥呼』での解説より詳しいものがサイト「多元的古代研究会」で公開されている「会報No.59」所収の「言素論(II)」の中にあったのでそれを引用する。)

 「神(かみ)」。この第二音の「み」は"女神"の意だ。

 イザナギ(男神)。・イザナミ(女神)
 上の「イザナ」(「イサナ」の濁音)は〝くじら″の古称である。「勇魚」などの字が当てられる。万葉集で「勇魚取(いさなとり)」の枕詞が知られている。九州の五島列島近くには「いさな祭り」が行われている。鯨の祭りである。

 上の末尾辞「ギ」は男性、「ミ」は女性をしめす。すなわち、わたしたちが使い馴れている「神」とは、本来、「女神」の意だ。縄文の「女神中心時代」の投影なのである。

 「ミミ」が「ミ(女神)」の「二重反復語」だとすると、投馬国の大官は女性だったということだろうか。邪馬壹国の王が女性だったのだら、大官に女性がいたとしてもおかしくはないだろう。

 ところで、古田氏の言素論では「ミ」は海の「ミ」であるともしている。「甲類・乙類」という厄介な問題があるが、調べてみた。「神武記」の中に「…撃ちてし止まむ」で終わる歌謡があるが、その三首目の歌謡は「神風の伊勢の海…」で始まる。この海は原文では「宇美」という書かれている。「彌」も「ウミ」の「美」もともに甲類である。従って、「彌彌」の「ミ」は海の「ミ」である可能性もある。この場合、「水神(ミカミ)」→「ミミ」という音変化の可能性もある。つまり第1音が海の「ミ」で、第2音が神の「ミ」という複合語である。

 さて、次ぎは副官。副官について論じている学者はいないらしい。水野氏は他説には全く触れていない。自説だけを次のように述べている。

 投馬国の副官は「彌彌那利」で、「彌彌」は大官と同じ。「那」は音「ダ」「ナ」、…(中略)…一般にこれを「ミミナリ」と訓んでいるが、私は「ダ」音をとり「ミミダリ」と訓む。

 その義は「耳垂(みみたり)」で、『日本書紀』の「景行紀」12年の条に、7月に熊襲が叛したので、7月景行天皇が筑紫に幸し、九月に豊国宇佐(大分県宇佐郡宇佐町)の菟狭川上に鼻垂という巨賊が集結しており、また豊前国下毛郡(大分県下毛郡)の御木川の川上(今日の下毛郡を北流し、中津市の西北で海に注ぐ山国川-高瀬川-のことであろう)にいた巨賊耳垂らを誅服したとあるが、この耳垂に同じ義の語だと考える。

 耳垂・鼻垂というのは、鼻が大きく垂れ下がり、耳が大きく垂れ下がっていたために命名されたのであろうという解釈があるが、それはかの聖徳太子が厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)と称され、その名の由来が、太子は福耳の持主で、大きな豊かな耳朶をもち、しかも、さとくよくきこえる耳であったからといわれるのと同じ発想である。ただ耳垂は、かの面足尊(おもだるのみこと)という場合のように、大きいことや垂れ下がっていることをいうのではなく、充分によく満ち足りていて立派であるという意味の「タル」「タラス」の義であって、容貌がみち足りて堂々としていて、風格がある義と解すべきであり、九州地方では地域の君長や豪族の尊称として、「耳足」「鼻足」「耳垂」「鼻垂」などの尊号が一般に存在したと考えれば、投馬国の副官の名として「彌彌那利」とあるのは、そういう称号をもつ豪族の族長が、投馬国において中枢の権威を支える一員となっていたと解される。

 耳垂・鼻垂と関連づける発想は面白いが、難点が二つある。第一点は「那」を「ダ」と訓む点で、「那」は「任那・那の津」など一貫して「ナ」音として使われている。ここでだけ「ダ」と訓むのは不当だ。また「ダ」は漢音で「ナ」は呉音だから、「ダ」は私(たち)の採るところではない。

 第二点は耳垂・鼻垂を「ミミタリ・ハナタリ」と訓む点である。〈大系〉はそのように訓んで、頭注で「大きく鼻が垂れる意か」などと解説している。「井の中」ではこの訓みが定説なのだろう。鼻垂は「妄(みだり)に名號(な)を假(か)り」たことが理由で誅されている。「垂」はみだりに名乗ってはいけない称号なのだ。古田氏は「ミミタラシ」と訓んでいる(『盗まれた神話』)。息長帶比賣命(オキナガタラシヒメ)の「タラシ」である。この訓みの方が説話の内容にふさわしい。

 では、「ミミナリ」の「ナリ」とはどういう意味だろうか。「ミミ」を言素論で説いたのだから「ナリ」もそれにならって考えてみよう。

 「ナ」は上で述べたように「任那・那の津」の「ナ」である。古田氏は「港湾部を表すことば」と解釈している。「リ」は「吉野ヶ里」の「リ」で集落あるいは場所を表す。このように解すると「ミミナリ」は「ミミ」を補佐して主に港湾集落を統括する官職と解釈できる。投馬国は女王国から「水行二十日」と書かれている。投馬国は他国との往来はもっぱら船を用いていたのであろう。その往来の行き先は、倭国内だけではなく、地理的には呉も含まれていた可能性がある。投馬国にとって、港湾集落は重要な拠点だった。

 このように考えてきたら、投馬国の大官名は「水神(ミカミ)」→「ミミ」が語源という自説がよいのではないかと思えてきた。
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