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556 新新宗教批判(22)
「日出づる国、災い近し」・吉本さんの読解
2006年7月22日(土)


 『日出づる国、災い近し』には、次のようなことが麻原彰晃の思想と思い込みに したがって記述されたり、弟子たちとの会話によって語られている。

(1)麻原彰晃の考える「予言」の概念
(2)それから得られる世界最終戦争は必ず起るという確信
(3)その戦争が核兵器や細菌兵器や毒ガス兵器、レーザー兵器などの戦いに なるという説教
(4)その最終戦争後の世界はどんなものが生き残り、どんな世界になるのか

 ここにはヨーガの修業者としての面影はほとんど消えてしまって、第三次世界 戦争が核兵器その他高次の科学兵器により不可避に戦われるという思い込みに 基づいて語られ、弟子たちとの問答でその戦争の実態が予想されたりして、数 年まえ反核文士がやっていた核ミサイルの性能やその配置についての素人の馬 鹿話が、こんどは宗教信仰者によって再現されたと同然になっている。

 麻原彰晃とオウム真理教の幹部たちが、なぜヨーガの修業について語るかわ りに、素人の床屋政談や軍談を語るようになってしまったかについて、この本 にもいくらかのヒントは潜在しているような気がする。それを言ってみたい。

 第一原因は、麻原彰晃が「予言」という概念を、ヨーガの修練から得た心身 相関の領域についての鋭敏な(超鋭敏といってもいい)察知力の表白というと ころから、

(1)
 他の予言書(ノストラダムスの予言、『新約聖書』の黙示録、仏教の 『輪廻転生譚』など)の内容を摂取しようとして、その混合を試みてみよう としたことだ。そのために西洋星占術の概念まで受け入れている。
(2)
 社会現象が蓄積された事象の構造を洞察することによって社会動向について の「予言」が可能だとかんがえたこと。
(3)
 精神以外のさまざまな事象を経験的に類推することで「予言」ができるとか んがえたこと。

 麻原彰晃や幹部がこういったことの研究や勉強を重ねたところは努力家、勉強 家ということになるだろうが、それが独りでに政治的動向や社会的な矛盾の分 析でも、じぶんを「予言」者だと思い込ませることになったとおもえる。

 麻原彰晃が思い込んだように、社会現象や政治現象や国際関係の矛盾や、 その爆発的な集約点である戦争の生起についても「予言」することはできる だろうが、それには麻原彰晃がヨーガの修練に費やしたとおなじだけの修練 がいる。それぞれの分野についてそれが必要なことは明瞭なことだ。たとえば 円高やアメリカ経済やヨーロッパ世界についてのこの本の言及は知識人の床屋 政談の域を出ていない。また最終戦争が不可避だという「予言」も、『新約聖 書』やノストラダムスの予言などの解釈と、じぶんの主観的な願望との兼合い からつくられている。残念ながら現在までのところ星座の配置と政治・社 会の動向を必然として繋ぎ合わせる織り目の在り処は、どんな意味でも見つ けられそうもない。思い込みと信念の確信や直観の恣意さを出ることはない。

 麻原彰晃はこの「予言」概念の拡張に基づいて、核などの科学兵器や細菌 兵器や化学薬物兵器について、主な弟子たちに分担をきめて調査研究をもと めたことが、この本の問答のところからわかってくる。

尊師
 要するに人工衛星からマイクロ波を発信して、そしてこの地上のある点に おいて プラズマが発生するということだね。

ティローパ
 はい。現に世界中で、正体不明の、人体から発火する現象などが起こって います。盛んに人知れず実験がなされているのだと思います。

尊師
 そういう、人が燃える現象とかいうのは実験だと考えたらいいんだね。 これにつ いてはどうだ、マンジュシュリー。

マンジュシュリー・ミトラ
 そうですね、確かに何らかの実験だと思いますが、マイクロ波の場合の 問題は、波長の関係で、あまりスポットを小さく絞れないという問題があり ますね。
(後略)             (第二章 最終戦争で使われる兵器の項)

 こんな問答が延々とつづく。こんなことを調べろと指示した師匠も師匠だ が、弟子も弟子だ。この程度のことは調査のうちに入ってこない。ただ怪し げな本から集められた怪しげな情報だというだけで、いくらやってもおなじ だ。理工系の学生上がりなのだから、こんなことはいくら調べても無意味だか ら、やらない方がいいのではないかと「尊師」に直言するのが科学的態度では ないのか。だがこの本をみると「尊師」の方はこういう弟子たちの報告を寄せ 集めて、最終戦争なるもののイメージを固めていることがわかる。いいか えれば拡張された「予言」を支える柱に使われて真面目な妄言をつくり上げる 材料になっている。

 人間の生涯が現在、おおよそ百年足らずとして、それ以上の年数にわたる 「予言」など無意味だし、生きることのモチーフをそれ以上の年数でかんが えるのも無意味だ、というのが俗世の生の理念だ。

 麻原彰晃をはじめオウム真理教は、未開、原始の時代にオセアニア、印度、 東南アジア、東アジアの沿海地域と島嶼に拡がっていた「輪廻転生」(生れ かわり、死にかわり)の思想と因果応報の思想を、信仰と修練の基底におい ている。したがって理念の枠も生命の完結もつくるのが難しくなる。旧仏教 の禅やオウム真理教のヨーガの修練はどうかんがえても、いいかえれば生死 をこえるイメージの創出修業とかんがえても、人間の倫理的人格の高度化と かんがえても、身体にまつわるイメージの内観法の修練にその本質があると いっていい。そうすると麻原彰晃が「予言」ということを身体にまつわる内 観法から、外在的な天変地異、社会現象、政治現象、その矛盾の集約点とし ての戦争の発生にまで拡張しようとしたところに、すでにいかがわしさが入 り込む原因があったというべきだ。そのために『新約聖書』の黙示録やノス トラダムスの予言文書や「マラキ」や「シャンバラ」の予言集などが、すべ て最終戦争を暗示しているという学習が、じぶんの体感と混融されていった といえるのではなかろうか。

 最終戦争という概念は、いずれにせよ宗教家が現世を跳躍し、否定して、隔 絶した理想の信仰社会を思い描くかぎり、その象徴としてかならず現われるイ メージだといっても過言ではない。何故なら一挙に旧い俗世界が消滅し、理想 世界があとにのこるという理念は最終戦争という概念で、象徴的に解決される からだ。麻原彰晃の弟子たちも、最終戦争後の世界のイメージをそんなふう に描いている。

ヴィマラ
 ある一人の王が勝利者として存在する。その周りに刻印を押された者たちが 生き残るという、そういう状態をわたしはイメージします。

クリシュナナンダ
 物質を重視する観念からすべての人々が逃れられる、そのような社会が来る と思います。

ティローパ
 「精神的に豊かな世界」ができる。

マンジュシュリー・ミトラ
 大戦後は「神に選ばれた者のみが生き残る」。

導師
 「いかなることがおきても弟子と共に生きのびる」。第三次大戦後の地球は 「自然と魂が融合した状態、また科学が意識とは・生・老・病・死とは何かを 解明する」社会だ。

 こう並べてみるとなかなか宗教的には真っ当なことがいわれているようで、 エコロジストや反文明主義者は左右を問わずこのなかに包括されることにな る。宗教や、理念が宗教性を帯びると、みんなこんなことになってくる。あと には「予言」を「成就する」ことと「予言」が「成就される」こととの時間 的な錯合と融合の必然が、病理の領域を実現してしまうかどうかの問題だけ がのこる。

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