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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(143)



「倭人伝」中の倭語の読み方(86)
官職名(14):伊都国(6)


 録画しておいたNHKスペシャル「中国文明の謎」の「第1集 中華の源流 幻の王朝を追う」(10月14日放送)を、遅まきながら昨年暮れに見た。それを見ていて「はっ」と気付いたことがあった。

 その番組は夏王朝の所在地とされている二里頭の発掘調査の成果をもとに夏王朝の政治の仕組みを解明していく番組だった。宮殿跡と思われる場所から注目すべき発掘物が2点出土した。それは小さな緑色のトルコ石を使ってかたどられた龍と見事な銅爵(酒を入れる器)だった。龍と銅爵は中国歴代王朝の権力の象徴である。それが最初の王朝と言われる夏王朝ですでに用いられていたのだった。

 宮殿跡からは大きな建物と回廊で囲われた広場が発掘されている。それは宮廷儀礼が行われる空間だったという。儀式は貴族と近隣の集落の首長を集めて行われた。この儀式で銅爵が王権のシンボルとして使われた。王は高官を壇上に上げ、高官たちに光り輝く銅爵から酒を注いで授与した。その銅爵を参列者たちは驚嘆の目差しで眺めたことだろう。

 私はこの場面を見て「觚」は表意文字として使われているのではないかと思った。『諸橋大辞典』の「觚」の項に次のような解説があった。

〔集解〕馬融曰、觚、禮器也、一升曰爵、二升曰
(馬融は後漢の学者・政治家)
左が「觚」で右が「爵」
(ネット上の写真を拝借しました。)

  「觚」も礼器なのだった。漢の時代、宮廷儀礼では「觚」も用いられていたのではないだろうか。

(訂正 1月10日)
 「觚」も周時代から礼器として使われていたようだ。「文化遺産オンライン」というサイトに次のような解説があった。

觚(こ)は爵(しゃく)とセットで用いられた祭祀用の飲酒器(カップ)である。商代前期に出現したが、そのうちに爵と必ずセットを成すようになり、商代後期に最も盛行した。下半分は上げ底で、外反した部分が足(圏足)である。上方に向かってラッパ形の口が大きく開く。少し大きな墓では、こうした爵と觚が五組とか十組を一つのセットとして副葬される例がある。


 『史記』をはじめ中国の史書には「賜爵」とか「拜爵」とかの文言が頻出する。それに対して「賜觚」とか「拜觚」は全くないようだ。『史記』では「爵」は「周本紀」に一例あり、その後「秦本紀」から頻出する。以下は私の推測になるが、秦王朝まではもっぱら「爵」が用いられていた。そして「賜爵」とか「拜爵」とかの文言は「官位や官職を賜う(拜す)」という意味として使われるようになった。そして、「觚」が用される場合も「賜爵」・「拜爵」が用いられることになった。

 倭国は漢から金印を授与(AD57)されたり、倭王帥升が朝貢(AD107)している。「倭人伝」も「旧百余国。漢の時朝見する者有り、」と記録している。倭からの使者が「爵」や「觚」を用いる儀式を目撃していないはずがない。当然その儀式の有様は倭国に伝えられた。倭がその儀式を取り入れてたかどうかは分らないが、少なくとも「爵」や「觚」の持つ意味は熟知していただろう。

 さて、私は伊都国の大官について
『「爾」には「貴者に対する二人称」という意味もある。「支」は「一つのものから分かれ出たもの」である。伊都国は女王国にとって一大率が置かれる重要な分国である。たぶん、俾弥呼の血縁のものが派遣されていた。そこで伊都国の大官を「爾支」と呼んだのではないだろうか。』
と書いた。それに対して、「愛読者」さんから次のようなコメントを頂いた。

 「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命」の「邇岐(にぎ)」の「つくり」を採れば「爾支」です。

 彼が降臨したのは、ご存じのとおり糸島なる「竺紫の日向の高穂の久士布流多気」であり、伊都国の大官が、光栄ある「邇邇芸命」にちなんだ職名を持っていて何の不思議もないと思います。

 盲点を突かれたようで「あっ!」と思った。ニニギノミコトのあの長~い名前は〈大系〉では「アメニキシクニ・ニキシ・アマツヒコホノニニギノミコト」と訓んでいる。まさに「邇岐(支)」=「ニキ」で、そのものずばりである。

 伊都国の官職名は、特に副官は他の国の官名とは異質の文字が使われている。俾弥呼の時代に創られたものではなく、古くから用いられていたものなのだろう。そして、伊都国の副官は大官の爾支が直接任命したのであろう。それを受けて副官には、「賜觚」あるいは「拜觚」という意味合いを込めて「・・觚」という官名が付けられた。

 奴国の大官名「兕馬觚」にも「觚」が用いられている。これも古くから用いられた官名であろう。そして、それは大官なのだから奴国王が直接任命したものであろう。

 「觚」が単なる表音文字ではなく表意文字として用いられていたとすると、他の二文字もそのように解するほかない。なにしろ、「泄謨」も「柄渠」も「兕馬」も、表音文字としては、どう訓んでもその官職の役割を割り出すことはできないのだから。しかし、表意文字として読み取ろうとしてもうまくいきそうにない。それを承知で、こじつけみたいな解釈になりそうだが、自説を提出してみよう。

「泄謨觚 セモク」
 「泄・謨」にはそれぞれ「つげる・くわだて」という意味がある。従って、「セモク」は「大官からの指令や各種の規則規範を伝達し、周知徹底させる」という役職を担っていた。

「柄渠觚 ヒコク」
 「柄」には「いきおい、ちから、権力」「・渠」には「よろい、たて」という意味がある。この副官は軍事面を担当している。あの一大率の統率者ではないだろうか。

「兕馬觚 ジマク」
 「兕」は「野牛に似た一角の獣。皮は堅厚でよろいに作り(兕甲、角はさかずきに作る(兕觥 ジコウ)」(『新漢和辞典』)。これに「馬」と続くのだから、「兕甲」を意味すると考えてよいだろう。つまり、この大官は奴国王の輔弼として奴国の軍隊を統帥していた。ちなみに、「兕觥」は罰杯として用いられていたという。

追記:「罰杯」について(1月18日)
 「罰杯」という言葉から私がすぐに連想したのは韓国の歴史ドラマによく出てくる場面である。流罪地に王からの下賜というかたちで毒杯が送られる。その毒を飲ませて殺す死刑の一種なのだった。『諸橋大辞典』に次のような解説があったのでなおさらそのような連想が浮かんだ。

【兕爵】ジシヤク
 兕の角で作った杯。兕觥。〔左氏、昭、元〕擧兕爵。[〔注〕兕爵、所以罰不敬也]

 『左氏伝』の該当部分を読んでみたが、それは饗宴の場であり、〔注〕が記すような場面ではなかった。問題の文言がある部分を抜粋すると次のようである。誰がどうして上のような〔注〕が付されたのか理解しがたい。

穆叔・子皮と曹の大夫と興ちて拜し、兕爵を舉げて曰く、小國、子に賴りて、戻に免るるを知る、と。酒を飲みて樂しむ。越孟出でて曰く、吾、此を複びせざらん、と。

 その後、さらにネット学習を続けて、觥」で検索をしたら、次のような解説に出会った。

觥以兕牛
角爲之容
七升爵之
大者古人
多用爲爵
蘭亭曾云
詩不成者
各受罰觥
 觥ハ兕牛ノ角ヲ以テコレヲ爲ス。七升ヲ容ル、爵ノ大ナル者ナリ。古人多ク用ヒテ爵ト爲ス。蘭亭曾二云フ、詩成ラザル者ハ各ノ罰觥ヲ受クト。

 「觥」というのは牛の角で作った器で,七升入る杯の大きなものである。昔の人はよく酒杯として用いた。有名な蘭亭の宴では(杯が回るまでに)詩ができなかった者はみな、罰としてこの「觥」で酒を飲まされたそうである。

 ** 「觥」は『詩經』に「兕觥」とあるのと同じ角の杯,後には青銅でもつくるようになった。また牛を象った大杯を「兕觥」ということもある。「觥以兕牛角」というのは『説文』に、「觥,罰爵也。」というのは『漢書』「五行志」の注に見えるが、「觥」が七升入る、というのと、蘭亭曾で罰盃として使われた酒器が「觥」だったという記述はいずれも典拠不明

 「蘭亭曾」についてはネットで得た解説を掲載しておく。
「晋の穆帝(ぼくてい)の時の353年3月3日、王羲之が謝安ら名士41名を招き、蘭亭で開いた会合。曲水に觴(さかずき)を流し、詩を賦したことで有名。」

 つまりここで言う「罰觥」とは、日本で言う「曲水の宴」での文人たちの罰ゲームのようなお遊びでの罰杯なのだった。

(今回お世話になったこのサイトはindex.htmlがなくて制作者も記事の全体像も把握できない。しかし、上の借用文で分るように、中国の考古学的遺物をその関連文献を取上げながら解説をしている。かなり貴重なサイトだと思った。「觥」のURSを紹介しておこう。「http://homepage2.nifty.com/CHARLIE-ZHANG/EKI/2-25o.html」)


 だいぶ混乱もあったし、ずいぶんと長くもなってしまった。「伊都国の官職名」を終わることにするが、「奴国の官職名」も終わったことになった。
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 コメント
この記事へのコメント
大いに賛同
「考古用語辞典」というサイトに、殷・商代の饕餮紋鼎・饕餮紋青銅爵・饕餮紋觚・兕觥が写真付きでアップされていました。まさに鼎爵觚觥、用途はほぼ同じで、この順に「格の違い」を歴然と感じさせるものでした。
Authorの見解に大いに賛同します。
2013/01/08(火) 17:34 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
器の種類では
各青銅器の写真を見て今思いつきました。
西周時代には爵觚觥と同じ酒器で、「饕餮紋勺」があり、酒を汲む部分は円筒形をし、柄は弓形で精密で美しい形です。
柄渠觚と合わせて考察すると、柄はズバリ柄のところ、渠は「みぞ」で汲む柄杓のところで、「饕餮紋勺」の様子と一致。
また、泄謨觚ですが、「泄は緩やかに外へもれ出る、謨は大きい・広い意味で、酒を酌む大きな杯である「饕餮紋觚」の様子と一致します。
従って「泄謨觚」「柄渠觚」は、与えられた器の種類であり、それは即ち爵位の差を表すのではないでしょうか。
2013/01/08(火) 18:15 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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2013/01/08(火) 23:33 | | #[ 編集]
「賜觚」の用例
『旧唐書』列伝、第一二二「牛僧孺」に、「賜觚」の用例がありました。
「賜觚、散、樽、杓等金銀古器。令中使喻之曰、『以卿正人。賜此古器(略)』」
すぐれた人物の証に「新器」ではなく「古器を賜う」というのが面白いですね。
2013/01/11(金) 11:14 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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2017/07/28(金) 22:22 | | #[ 編集]
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