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《続・「真説古代史」拾遺篇》(140)



「倭人伝」中の倭語の読み方(83)
番外編:丹後国風土記「浦嶼子」


 水野氏は柄渠觚については「ヘイ-キョ-コ」→「ヘキコ」と訓んで「日置部」と関連づけている。一方、『丹後国風土記』「浦嶼子」の舞台が「日置の里」であることを知って興味が湧いてきた。もともと浦島太郎の原型という説話に興味を持っていたので、この際、「浦嶼子」を読んでみることにした。(〈岩波大系〉の『風土記』による。なお、〈 〉は〈大系〉の頭注。また、区切りと見出しは私が勝手に行ったものです。)

(舞台・主人公)
丹後(たにはのみちのしり)の國の風土記に曰はく、與謝(よさ)の郡、日置(ひおき)の里。此の里に筒川(つつかわ)の村あり。此の人夫(たみ)、日下(原文では〔日/下〕という一字になっている。辞書にない)部首等(くさかべのおびとら)が先祖(とほつおや)の名を筒川の嶼子(しまこ)と云ひき。爲人(ひととなり)、姿容秀美(すがたうるは)しく、風流(にやび)なこと類(たぐひ)なかりき。斯(こ)は謂はゆる水の江の浦嶼の子といふ者なり。是(こ)は、舊(もと)の宰(みこともち)伊預部(いよべ)の馬養(うまかひ)の連(むらじ)が記せるに相乖(あひそむ)くことなし。故、略(おほよそ)所由之旨(ことのよし)を陳(の)べつ。

 前回、森氏の系図では「浦島太郎は日下部の姓を名乗って」いたという指摘があった。ここでは嶼子は日下部首の先祖と言っている。おもしろいですね。

〈日置の里―与謝半島の東部、和名抄に日置郷とある地。遺称地は半島の東南部、宮津市日置。〉
〈日下部首―日下部連(開化天皇の皇子、彦坐王の子孫の氏族)と同族とする伝承か。この地方に縁のある氏族者として語るもの。〉
〈伊預部の馬養の連―持統・文武朝に活鐸した人。大陸文化に通じて詩文をよくし、大宝律令の撰定に功績があった。大宝2・3年頃没(45歳)。馬養が書いた「浦島子伝」は現伝しない。〉

(乙女との出会い)
朝倉の宮に御宇しめしし天皇の御世、嶼子、獨(ひとり)小船に乗りて海中に汎(うか)び出でて釣するに、三日三夜を經(ふ)るも、一つの魚だに得ず、乃ち五色の龜(かめ)を得たり。心に奇異(あやし)と思ひて船の中に置きて、即(やが)て寐(ぬ)るに、忽(たちま)ち婦人(をみな)と爲りぬ。其の容美麗(かたちうるは)しく、更(また)比(たぐ)ふべきものなかりき。嶼子、問ひけらく、「人宅(ひとざと)遙遠(はろか)にして、海庭(うみには)に人乏(な)し。詎(いづれ)の人か忽(たちまち)に來つる」といへば、女娘(をとめ)、微咲(ほほゑ)みて對(こた)へけらく、「風流之士(みやびを)、獨(ひとり)蒼海(うみ)に汎べり。近(した)しく談(かた)らはむおもひに勝へず、風雲(かぜくも)の就來(むたき)つ」といひき。嶼子、復(また)問ひけらく、
「風雲は何(いずれ)の處よりか來つる」
といへば、女娘答へけらく、
「天上(あめ)の仙(ひじり)の家の人なり。請ふらくは、君、な疑ひそ。相談(あひかた)らひて愛(うつく)しみたまへ」
といひき。ここに、嶼子、神女(かむをとめ)なることを知りて、愼(つつし)み懼(お)ぢて心に疑ひき。女娘、語りけらく、
「賤妾(やっこ)が意(こころ)は、天地と畢(を)へ、日月と極まらむとおもふ。但、君は奈何(いかに)か、早(すむや)けく許不(いなせ)の意を先(し)らむ」
といひき。嶼子(しまこ)、答へけらく、
「更に言ふところなし。何ぞ懈(おこた)らむや」
といひき。女娘曰ひけらく、
「君、棹(さを)を廻(めぐ)らして蓬山(とこよのくに)に赴(ゆ)かさね」
といひければ、嶼子、從(つ)きて往(ゆ)かむとするに、女娘、教へて目を眠らしめき。即ち不意(とき)の間に海中の博(ひろ)く大きなる嶋に至りき。

〈朝倉の宮に御宇しめしし天皇―雄略天皇。〉

(「雄略紀」22年7月条に、浦嶋子が蓬莱山に行ったという短い記事があり、「語は別巻に在り。」と記している。)

(神仙境に到着)
其の地は玉を敷けるが如し。闕臺(うてな)は晻(かげ)映(くら)く、樓堂(たかどの)は玲瓏(てりかがや)きて、目見ざりしところ、耳に聞かざりしところなり。手を携(たづさ)へて徐(おもぶる)に行きて、一つの太(おほ)きなる宅の門に到りき。女娘、
「君、且(しま)し此處に立ちませ」
と曰ひて、門を開きて内に入りき。即ち七たりの竪子(わらは)來て、相語りて
「是は龜比賣(かめひめ)の夫(をひと)なり」
と曰ひき。亦、八たりの竪子來て、相語りて
「是は龜比賣の夫なり」
と曰ひき。滋に、女娘が名の龜比賣なることを知りき。乃ち女娘出で來ければ、嶼子、竪子等が事を語るに、女娘の曰ひけらく、
「其の七たりの竪子は昴星(すばる)なり。其の八たりの竪子は畢星(あめふり)なり。君、な恠(あやし)みそ」
といひて、即ち前立(さきだ)ちて引導(みちび)き、内に進み入りき。

〈昴星―二十八宿の一の星の名。南南西に宿る。牡牛座にあるプレアデスの和名。むつら星・きら星ともいう。七つの星が並んで見えるもの。星が本性の神仙とする。〉
〈畢星―昴星に次ぐ二十八宿の一の星の名。八つの星か並んで見えるとする。海上の仙境と天上の仙境とを混じて語っている。〉

(神仙たちの歓待)
女娘の父母(かぞいろ)、共に相迎へ、揖(おろが)みて坐定(ゐしづま)りき。ここに、人間(ひとのよ)と仙都(とこよ)との別(わかち)を稱説(と)き、人と神と偶(たまさか)に會へる嘉(よろこ)びを談議(かた)る。乃ち、百品(ももひな)の芳(かぐは)しき味(あじはい)を薦め、兄弟姉妹等(はらからたち)は坏(さかづき)を擧(あ)げて獻酬(とりかは)し、隣の里の幼女等(わらはども)も紅(にのほ)の顔(おも)して戯(たはぶ)れ接(まじ)る。仙(とこよ)の哥(うた)寥亮(まさやか)に、神の儛(まい)逶迤(もこよか)にして、其の歡宴(うかげ)を爲すこと、人間に万倍(よろづまさ)れりき。玆(ここ)に、日の暮るることを知らず、但(ただ)、黄昏(くれがた)の時、郡仙侶等(とこよひとたち)、漸々(やくやく)に退(まか)り散(あら)け、即(やが)て女娘獨(ひとり)留まりき。肩を雙(なら)べ、袖を接(まじ)へ、夫婦之理(みとのまぐはひ)を成しき。

(望郷の念)
時に、嶼子、舊俗(もとつくに)を遺(わす)れて仙都(とこよ)に遊ぶこと、既に三歳(みとせ)に逕(な)りぬ。忽(たちまち)に土(くに)を懐ふ心を起し、獨、二親(かぞいろ)を戀ふ。故、吟哀(かなしび)繁く發(おこ)り、嗟歎(なげき)日に益しき。女娘、問ひけらく、
「比來(このごろ)、君夫(きみ)が貌(かほばせ)を觀るに、常時(つね)に異なり。願はくは其の志(こころばへ)を聞かむ」
といへば、嶼子、對へけらく、
「古人(いにしえびと)の言へらくは、少人(おとれるもの)は土(くに)を懐(おも)ひ、死ぬる狐は岳(をか)を首(かしら)とす、といへることあり。僕(やつがれ)、虚談(そらごと)と以(おも)へりしに、今は斯(これ)、信(まこと)に然(しか)なり」
といひき。女娘、問ひけらく、
「君、歸らむと欲(おもほ)すや」
といへば、嶼子、答へけらく、
「僕(やつがれ)、近き親故(むつま)じき俗(くにひと)を離れて、遠き神仙の堺(くに)に入りぬ。戀ひ眷(した)ひ忍(あ)へず、輙(すなは)ち經(かろがろ)しき慮(おもひ)を申(の)べつ。望はくは、暫し本俗に還りて、二親(かぞいろ)を拝(おろが)み奉らむ」
といひき。女娘、涙を拭(のご)ひて、歎(なげ)きて曰ひけらく、
「意(こころ)は金石(かねいし)に等しく、共に万歳(よろづとし)を期(ちぎ)りしに、何ぞ郷里(ふるさと)を眷(した)ひて、棄て遺(わす)るること一時(たちまち)なる」
といひて、即ち相携へて俳佪(たちもとほ)り、相談(あいかたら)ひて慟(なげ)き哀しみき。遂(つひ)に袂を〔扌弃〕(ひるが)へして退(まか)り去りて岐路(わかれぢ)に就きき。ここに、女娘の父母(かぞいろ)と親族(うから)と、但、別れを悲しみて送りき。女娘、玉匣(たまくしげ)を取りて嶼子に授けて謂ひけらく、
「君、終に賎妾(やつこ)を遺(わす)れずして、眷尋(かへりみたづ)ねむとならば、堅く匣を握(と)りて、愼(ゆめ)、な開き見たまひそ」
といひき。即(やが)て相分れて船に乗る。仍ち教へて目を眠らしめき。忽に本土の筒川の郷(さと)に到りき。
〈少人は…―論語(里仁)に「君子は徳を懐い、小人は土を憶う」とあるによる。〉
〈死ぬる狐は…―礼記(檀弓)に「狐死して正しく丘に首するは仁也」、楚辞に「狐の死するとき、必ず丘に首す」とあるによる。狐は自分の巣穴のある丘の方に向いて死ぬ意で、故郷を忘れないことをいう。〉

(帰郷)
即ち村邑(むらざと)を瞻眺(ながむ)るに、人と物と遷り易(かは)りて、更に由(よ)るところなし。爰(ここ)に、郷人(さとびと)に問ひけらく、
「水の江の浦嶼の子の家人(いへびと)は、今何處(いづく)にかある」
ととふに、郷人答へけらく、
「君は何處の人なればか、舊遠(むかし)の人を問ふぞ。吾が聞きつらくは、古老(ふるおきな)等の相傳へて曰へらく、先世(さきつよ)に水の江の浦嶼の子といふものありき。獨蒼海に遊びて、復還り來ず。今、三百餘歳(みももとせあまり)を經つといへり。何ぞ忽に此を問ふや」
といひき。即ち棄てし心を〔衙、吾→今〕(いだ)きて郷里(さと)を廻れども一(ひとり)の親しきものに會はずして、既に旬日(とをか)を逕ぎき。乃ち、玉匣を撫でて神女を感思(した)ひき。ここに、嶼子、前(さき)の日の期(ちぎり)を忘れ、忽に玉匣を開きければ、即ち瞻(めにみ)ざる間に、芳蘭(かぐは)しき體(すがた)、風雲に率(したが)ひて蒼天(あめ)に翩飛(とびか)けりき。嶼子、即ち期要(ちぎり)に乖違(たが)ひて、還(また)、復びも會ひ難きことを知り、首(かしら)を廻(めぐ)らして踟蹰(たたず)み、涙に咽びて俳佪(たちもとほ)りき。ここに、涙を拭(のご)ひ哥ひしく、

 常世べに 雲たちわたる
 水の江の 浦嶋の子が
 言持ちわたる。

神女、遙に芳しき音(こゑ)を飛ばして哥ひしく、

 大和べに 風吹き上げて
 雲放(ばな)れ 退き居りともよ
 吾を忘らすな。

嶼子、更、戀望(こいのおみひ)に勝(た)へずして哥ひしく、

 子らに戀ひ 朝戸を開き
 吾が居れば 常世の濱の
 波の音(と)聞こゆ。

後の時(よ)の人、追い加へて哥ひしく、

 水の江の 浦嶋の子が
 玉匣 開けずありせば
 またも會はましを。
 常世べに 雲立ちわたる
 たゆまくも はつかまどひし
 我ぞ悲しき。

〈玉匣―玉飾りのある櫛(化粧用具)の箱の意から、女性の持つ手箱。いわゆる玉手箱。霊性のある神仙女との結合を可能にするタブーの箱。下文によれば、神仙としての浦島の霊性(不老不死)を斎い込めた箱の意に解し得る。〉
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