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《続・「真説古代史」拾遺篇》(139)



「倭人伝」中の倭語の読み方(82)
官職名(11):伊都国(3)


 伊都国の副官については暗中模索と言ったところ。ともかく訓みの検討から始めよう。

 「官職名(1)」で「倭人伝」中の全ての官職名を掲載した。そのとき「訓みは取りあえずは古田氏によるものを採用しておく」ことにした。その訓みは『俾弥呼』(2011年刊)巻末の「倭人伝」読下し文から拾い出した。伊都国副官は泄謨觚(セモク)・柄渠觚(へコク)だった。ところが、前回『俾弥呼』本文から引用した古田氏の文では泄謨觚(セモコ)・柄渠觚(ヘココ)となっている。『倭人伝を徹底して読む』(1987年刊)にも「倭人伝」読下し文がある。そこでは泄謨觚(セモク)・柄渠觚(へコク)である。また、『邪馬一国への道標』(1978年刊)では泄謨觚(セモコ)・柄渠觚(ヘクコ)となっている。各著書の出版年順に整理すると次のようになる。

泄謨觚
 セモコ→セモク→セモク(本文中セモコ)
柄渠觚
 ヘクコ→ヘコク→ヘコク(本文中ヘココ)

 直近の説を採るべきだろう。そして、どうしてこのようなミスが起こったのかは測りがたいが、本文中の訓みは先祖返りをしている。特に「ヘココ」は「渠・觚」をともに「コ」と訓んでいる点でもおかしい。また、倭国の官名には「卑狗」があり、「コ」音には「狗」を用いている。「觚」には「ク」という訓みもあるので、私は「觚」は「ク」音として用いられていると考える。以上によって、古田氏は最終的には「セモク・ヘコク」を採用していると考えよう。なお、古田氏はこれらの官名の意味については何も考察していない。

 念のため、伊都国の副官名で使われている漢字の音を調べてみた。(『諸橋大辞典』による。)


[一]セツ(漢音)・セチ(呉音)
[二]エイ

[一][二]ボ(漢音)・モ(呉音) [三]ハク(漢音)・マク(呉音)

 コ(漢音)・ク(呉音)

([一][二]共通)  ヘイ(漢音)・ヒヤウ(呉音)

 キョ(漢音)・ゴ(呉音)

 漢音呉音の違いがある場合は呉音を採るとすると
泄謨觚
 「セチモク」「セチマクク」
柄渠觚
 「ヒョウゴク」

 古田氏の訓み「セモク」は「セチモク」の「チ」を省いた訓みになっていいる。「ヘコク」の方は「ヘイ(柄の漢音)ゴク」から「イ」を省き「ゴ→コ」清音化を行っている。二音からなる漢字の第一音を用いる万葉仮名は結構ある。「敝・弊・幣・蔽・平」は「ヘ」として使われている。また、「支」が「キ・ギ」両方に使われていたが、濁音の漢字を清音として用いているものも多い。例えば「菩・度・豆」はそれぞれ「ホ・ボ」「ト・ド」「ツ・ヅ」双方の使用例がある。倭人が漢字を受容した当初からこのように漢字を用いていたと考えてよいだろう。

 呉音にこだわって、「セモク」「ヒコク」を私案としておこう。

 次ぎに水野氏がまとめている諸説を見てみよう。氏によると「井の中」では「泄謨觚柄渠觚」を一つの官名とする説があるらしい。もちろん水野氏は「その説はとらない」と一蹴している。これについての水野氏の解説は省くことにする。その他の諸説については次のように紹介している。

 伊都国の副官である。これを「泄謨觚」・「柄渠觚」と分けて訓めば、伊都国には副官が二名配されたことになる。「泄」は音「エイ」または「セツ」、「謨」は音「ボ」「ム」で、「觚」の音は「コ」、「柄」の音は「ヘイ」、「渠」の音「キョ」であるから「エイ-ボ-コ へイ-キョ-コ」あるいは「セツ-ボ-コ へイ-キョ-コ」と訓むから、内藤博士は「シマコ」即ち島子と訓むに似てゐるが、但し吾が上古にかゝる官名もしくは尊號ありといふことを聞かず」と論じ、「ヒココ(ヘクコ)」は彦子などと訓むべきも、之亦古書に例證なければ確かに定め難し」とされた。

 山田博士は「イモコ(妹子)」と「ヒココ(ヘクコ)」と訓み彦子であって、「妹子・彦子にて男女両性の名目によれるものと思はれる。即ち伊都縣主の下にある属領の名なるベし」とされる。

 皆さん確定できずに困っている。また、水野氏が挙げている漢字の音は私が調べたものと異なる点がいくつかある。特に「觚」には「ク」という音もあるのにそれを省略している。「…子」に結び付けたいための意図的な省略と思えてしまう。それにしても「ヒココ」「イモコ」「シマコ」という訓みになる理由が私にはさっぱり分らない。

 この副官については水野氏も自説を披露している。泄謨觚については内藤説を採り
『私は「兕馬觚」を「シマコ」としたのと同じ理由で「島子」とする。』
と述べているので、「兕馬觚」の項を読んでみた。

兕馬觚
 これは伊都国の副官、泄謨觚・柄渠觚と似ている。したがってこれを「シマコ」と訓み、「泄謨觚」と同じく島子の義かとする内藤博士以下の説がある。「兕」は音が「ジ」、野牛に似た一角青色の獣名。これにより「ジバコ」「シマコ」と訓める。内藤博士は、「シマコ」について、「但しわが上古にかゝる官名もしくは尊號ありといふことを聞かず」といわれているのであるが、島子というならば、わが国の古代にこのような人名もしくは尊号がないというのではない。

 ひどく論理が乱れている。A「泄謨觚」・B「兕馬觚」・C{島子」とすると、先の文では
「B=C」とした同じ理由で「A=C」である。
 上の引用文がその「理由」に当るたり、
「A=C」かつ「A≒B」なので「B=C」である。
と言っている。まるで「鶏が先か、卵が先か」という問題を突きつけられたようで、私には理解不能である。「井の中」の学者さんたちは時々まことに難しい論理を使う。ともあれ、「兕馬觚」を「シマコ」と訓む可能性はあるかもしれないが、「泄謨觚」を「シマコ」と訓むのは無理である。

 水野氏は内藤氏の「かゝる官名もしくは尊號ありといふことを聞かず」に反論して「島子」を救出している。「泄謨觚(シマコ)」説を仮に正しいとして、その解説を読んでみよう。

 島子というならば、わが国の古代にこのような人名もしくは尊号がないというのではない。浦島太郎伝説の主人公が、古くは浦の島子であって、浦の尊者であった。これは浦島の子ではなく、浦に住んでいた尊者としての称号が島子であったのだと解すれば、この「シマコ」と関連がつけられる。ここの奴国の副官の「卑奴母離」が対馬のそれと同様、武官的権能を有するものであるならば、一般行政官としての大官が、とくにかつての対漢貿易の主権を握っていた奴国の港湾要津の監査を主要任務とする大官の職名に、浦の尊者たる島子という尊称が襲用されたとして無理はない解釈であろう。

 「島子という尊称」があったという説は、この引用文の範囲内ではなんの根拠もなく、あくまでも水野氏の推測でしかない。また、奴国が港湾要津を持つ国ではないことは「官職名(8):対海国・一大国」で論じた。

浦島太郎が出てきて、思い出したことがある。浦島太郎の子孫という方がいらっしゃるというのだ。HP「新・古代史の扉」で読んだと思う。検索して見た。「古賀事務局長の洛中洛外日記」の「第30話 2005/09/22 浦島太郎の系図」によると、浦島太郎の子孫という方は森茂夫さんという方で家宝として「浦島太郎の系図」が伝えられてきたという。森さんは丹後市にお住まいのようです。ちなみに。浦島太郎説話の原型は『丹後風土記』にある。「事務局長日記」から引用する。

 その系図によれば、浦島太郎は日下部の姓を名乗っており、開化天皇の皇子、彦坐命の後胤と記されています。

 ただ、ややこしいことに、「日下部曽却善次」の下注に「亦の名を浦島太郎」とあり、その長男の「嶋児」が、いわゆる竜宮城へ行った有名な「浦島太郎」のこととなっています。ですから、系図によれば浦島太郎の長男の嶋児が竜宮城に行ったことになります。

 おそらく、後世に伝説が脚色されたりしながら、現在の説話へと変化したものと考えられます。したがって、逆にこの系図の信憑性が増すのではないでしょうか。もし、後世にでっちあげるのなら、有名な伝説と異なった系図を作ったりしないと思われるからです。
 浦島太郎の長男として「嶋児」(『丹後国風土記』では嶼子)が記録されている。「島子」が尊号であるという可能性はあるかも知れない。

 水野氏はこの後「柄渠觚」の検討をしている。長くなりようなので次回に。
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