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《続・「真説古代史」拾遺篇》(134)



「倭人伝」中の倭語の読み方(77)
官職名(9):伊都国(1)


大官「爾支」

 この伊都国の大官の訓みと意味については二通りの説にまとめられるようだ。

 一つは内藤湖南氏を代表とする説で、「ニキ」と訓んでいる。水野氏は内藤説を次ぎのように紹介している。
『隋書の「伊尼冀(いにき)」が日本の「稲置(いなき)」の音を写したものであるように、これは「ニキ」と訓むべきで稲置の転訛であろうと解した(内藤湖南「卑彌呼考」―『讀史叢録』所収)』。

 もう一つは山田孝雄氏を代表とする説である。
『「ニシ」と訓み、「ヌシ」の音訳とされ、伊都県主をさすとされる(山田孝雄「狗奴国考」、『考古学雑誌』第十二巻)。』

 水野氏は山田説を支持して次のように述べている。

 「支」の音は「シ」であるから、「ニシ」-「ヌシ」の訛とする方がよく、「ヒコ」に対する「ヌシ」と解すべきで、その点私は山田博士に賛成する。しかし、後述のごとく私はだからといって、ただちにこれを伊都県主と結合することは賛成できない。「ヒコ」「ヌシ」は、ともに当時の一般的な尊称をもって、始原的な官制の職名に転用されたものと考えたい。始原的な姓の発生を考えるうえで重要であると思う。

 上で「後述のごとく」と言っているのは次の文である。

 伊都国の「爾支」は「ニシ」と訓むならば、日本語の主(ヌシ)である。この「ヌシ」も、大国主や事代主のように主たる存在を意味し、竜神系(出雲系国津神)の神に対する尊称であり、県主というように、やはり地方豪族の長者を意味する。

 まず、訓みから検討してみよう。「倭人伝」中の倭語の読み方のルールを確認しておく。
ルール・その一
 漢字の音は「南朝音(呉音)」である。
ルール・その二
 倭語は倭人による表記である。
ルール・その三
 倭人は音訓を併用していた。

 「爾」は呉音・漢音の別なく「ジ」「ニ」の2音である。手許の漢和辞典では「ニ」と訓む熟語は皆無である。しかし、万葉仮名では「爾」は「ニ」である。3世紀でも「爾」は「ニ」という音として使われていたと考えてよいだろう。(「万葉仮名一覧」さんを重宝しています。)

 「支」の音は『倭語の読み方(5)「令支命題」』で「キ」と訓むのが正しいことを論じたが、改めて「万葉仮名」さんで確認してみた。万葉仮名柄は「支」は「キ」であり、「シ」ではない。

 ルールに従う限り「爾支」の訓みは「ニキ」である。しかし、上の2説では「ニキ」と訓んでいる内藤説は論理的にまったく問題にならないように思われる。もしかすると水野氏の紹介文が不正確なのかもしれない。内藤氏の文を直接読めないかと思い、ふと思い付いて「青空文庫」を調べてみた。驚きました。「卑彌呼考」がありました。「爾支」のくだりは次のような文だった。

「隋書、北史に擧げたる我國の官名に、伊尼翼あり。黒川氏は翼を冀の訛りなりとして、之をイネキと訓み、即ち稻置なりといへり。此の爾支即ちニキも同語の轉訛と見るべし。」

 たったこれだけで、しかも水野氏の紹介文以上に論理的に破綻している。水野氏はむしろ好意的に意味を忖度して紹介している。

 だいたい、黒川という方を全く知らないが、「翼を冀の訛り」って、どういう意味? たぶん、「誤り」つまりは誤記という意なのだろう。かりにそうだとしても「伊冀」は「イキ」とは訓めないだろう。「稲置」は一般は「イナキ」と訓まれいるが「イネキ」でもよいとしよう。しかし、だからといって、7世紀の文献を根拠に、3世紀の「ニキ」も「イネキ」の転訛だというのも無茶な論理だ。

  ちょっと横道に入ることになるが、この際、「伊尼翼=稲置」という定説の検討をしてみようと思い立った。問題になっている「隋書俀国伝」の記事を読んでみよう。次ぎの通りである(岩波文庫版の読下し文)。

軍尼が一百二十人あり、なお中国の牧宰のごとし。八十戸に一伊尼翼を置き、今の里長の如きなり。十伊尼翼は一軍尼に属す。

 この文章を「軍尼」記事と呼ぶことにする。

 岩波文庫版は「軍尼」を「クニ」と訓み
(1)
「軍尼は国で、国造のことであろう。」 と注記している。また、「伊尼翼」については
(2)
「イナギ(稻置)か。伊尼翼は伊尼の誤りであろう。」
と注記している。

 (2)は、「多利思孤」を「多利思孤」の誤記だという定説と同様、さきに「稻置」という結論があってそれに合わせるように原文改訂をしているのであろう。(1)にも疑問がある。「軍」には「クン」という音があるが、「軍尼」は本当に「クニ」でいいのだろうか。これらの疑問を解くためには「軍尼」記事を正しく読解しなければならないのだが、カギは「牧宰」である。

 「牧宰」について詳しく知りたいと思いネット検索をしたら「倭国の行政制度の変遷」という記事に出会った。明らかに多元史観に立脚した凄くしっかりした論文だ。このブログの作成者に興味が湧いて「ホーム」を訪ねてみた。なんと、作成者はJames William Mccallister,Jr.という札幌在住のアメリカ人だった。そして、「はじめに」を読んだら、次のような一節があった。

『ここにまとめられたものの多くは「古田武彦」氏などに代表される「九州王朝説」に則っていますが、基本的には「私」の好奇心と理性の産物であり、所々で述べられている推論や結論らしきものが有する「責任」は「私」にあります。』

 古田史学を支持している。

 驚きはまだ続く。「論文」の項を覗いてみたら、
『「古田史学会報」などに投稿した論文を載せます。』
と書いている。古田史学会の方なのか!

 論文の表題を頼りに「新・古代学の扉」を検索したら、『「国県制」と「六十六国分国」』という論文が「No.108(2012年2月10日)」号の巻頭を飾っていた。しかし、筆者名は阿部周一。こちらが本名だろうか。あるいはペンネームか。ともあれ「倭国の行政制度の変遷」は上の論文の一節だった。『「国県制」と「六十六国分国」』を教科書として使わせていただこう。
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2012/11/22(木) 22:53 | | #[ 編集]
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