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《続・「真説古代史」拾遺篇》(133)



「倭人伝」中の倭語の読み方(76)
官職名(8):対海国・一大国


 テーマ「官職名」に戻ろう。

 対海(対馬)国と一大(壱岐)国の官職名は全く同じであり、大官が「卑狗」、副官が「卑奴母離」である。対馬と壱岐は天国(アマクニ)の二大拠点地である。その二国が同じ官職名を用いている。たぶん、北九州への侵略(天降り)以前から使われていた官職名だったのではないだろうか。

大官「卑狗」

 この官職名の訓みを「ヒコ」以外に訓む説はないようだ。また、これを『古事記』『日本書紀』に現れる「日子」「毘古」「比古」「彦」などと同一視する点でも異論はない。しかし、その語義についての解釈には、基本的な大きな違いはないが、いろいろな説があるようだ。ここでは水野氏と古田氏の説を取り上げてみよう。

 水野氏は「狗奴国」の官職名「狗古智卑狗」にも「卑狗」が使われていることを取り上げて、もともと尊称だったものが官名のように扱われたとしている。次のようである。

 「卑狗」は「狗古智卑狗」を含めて三国の大官が「卑狗」である。

 「卑狗」は日本語の「ヒコ」であることは疑いのない所であるとすれば、その原義は「霊子」で、「火子」であっても、「日子」であっても、ともに男の巫的性格を有し、神聖性を帯して崇められる人の称号であった。

 したがって狗奴国の場合のように菊地地方の尊者という意味で、日本的に記せば菊池日子(彦)ということである。そうすれば、対馬の卑狗は、対馬日子(彦)であり、一大国の卑狗は一大日子(彦)=壱岐彦であって、その尊称だけが、官名のごとく解されて、大官を卑狗としたものと考えてよい。

 「霊子」というどの辞書にもなさそうな熟語を用いているが、氏の造語だろうか。ともあれ、氏は巫覡(ふげき)の称号としている。「狗古智卑狗」の訓みから狗奴国を菊地地方に比定する謬説については後に詳しく取り上げる予定である。

 これに対して、古田氏の解釈は次のようである。

 この「卑狗」は〝太陽の男″の意。

 志賀島の志賀海神社の祭儀で「山彦(ヤマビコ)」が登場する。登山のとき、人間の声が山間に「反映」して〝野太い声″として〝こだま″するのを経験する。これは「男性の声」のようだ。だから「山彦」は〝男性の神の声″なのである。当然、縄文以前の「山嶽言語」である。

 だからこの「大官」名も、「男性の称号」なのである。現代でも「彦」は「男子の名前」であるから、「縄文から現代へ」と継続している日本語、その基本語の一つなのである。

 必ずしも巫覡という特定はしていない。私も「日子」という表記から「太陽の男」という解釈を考えていた。女性の場合は「日女(または日売)」である。「太陽にめでられた人」→「才徳のある人」という意味である。

副官「卑奴母離」

 「奴国」「不弥国」の副官名も「卑奴母離」である。「井の中」では「ヒナモリ」という訓みが定説になっている。そして、それを「景行紀」(18年3月条)に出てくる地名・夷守(ひなもり)に関連づけて、辺境の地を防備する人、すなわち、後の防人のような存在だという説が流布されている。この説を採った、「一大率」と関連づける論者がいることは『「一大率」とは何か(1)』で紹介した。それは井上光貞氏であり、「一大率」は卑奴母離を通じて対馬・壱岐・奴・不弥国を統括していた、と説く。

 もう何度も指摘してきたことだが、「奴」には「ナ」という音はない。「奴」を「ナ」と訓んで疑わない「井の中」の「右にならえ」の一番右は志賀島から出土した金印「漢委奴国王」を「カンノイノノコクオウ」と訓んだところにある。また、対海国・一大国・奴国・不弥国は辺境ではない。これらの国を辺境扱いする論者はヤマト王権一元主義という虚偽意識(イデオロギー)にどっぷりと浸かっているのだ。

 しかし、「井に中」にも「ヒナモリ」説を否定する人がいた。水野氏である。上の井上説を念頭に置いて次のように述べている。

 第三世紀の女王国が、これらの地に兵員を配備して防備しなければならないような必要性があったとは思えないので、女王がこれら辺境の地に兵員を配置し、防備にあたらせ、その兵員を統率する役人として夷守を任じて、これら四ヵ国に派遣したということも考えがたい。

 私は「ヒナモリ」は「ヒノモリ」であって、火を守る役目をもつ人につけられた名称であろうと思う。火を消さずに守ること、あるいは火急の場合、非常を告げるために火をたいて合図し、連絡をすることを任務として、要地に常置し、常住して火を守ることを主宰する人を呼んだのである。とくに交通上の要地において定置されていた。後の烽(とぶひ)の原初形態であると思う。

 そこで火守の置かれた地点を考えると、対馬・一大(壱岐)・奴(博多)・不弥(津屋崎)は皆、海上交通の寄港地であり、大陸航路の要港の地であって、彼我の交易船が常に往遷する所であるから、それらの地ではいつも火をたいて灯明とし、海上航行船の目標としなければならなかったのである。それは今日の灯台の原初形態であった。

 古代航海者の国、通商航海王国においては、最も重要な役割をもつものであったから、火守の権威は大きかった。その火守の職権を行使する、火守の長は有力者であったので、これら通商航海の要地には国王と行政を司る大官とともに、副官として重要な職能を果たす火守の長が任ぜられたとしてもよかろう。私は「卑奴母離」を「火守」の義とし、航海の要地(あるいは陸上交通の要地)には火をたいて目標を示し、緊急の時には火をもって合図し、伝達することにたずさわった専業の火守が配されていて、その長が重要な地位を占めていたのであると判断する。

 なかなか面白い説ではあるが、「奴(ノ)」を助詞とする解釈は納得しがたい。また、「奴国」「不弥国」の比定が間違っている。特に「奴国」の比定では、水野氏は
「奴国は『後漢書』にいう「倭奴國」の後身である。奴国がわが国の古典にいう「儺縣」、那津官家の地域であり、那珂郡博多、今日の福岡市を中心とする地域にあたることはほぼ異論はない所である」
と述べているので、「奴国」を「ナコク」と訓んで「博多」に比定しているようだ。「奴」の訓みについて一貫性がない。また、「奴国」の正しい比定地は「(伊都国の)東南奴國に至ること百里」だから内陸地である。上の論理(海上交通の寄港地)には当てはまらない。

 古田氏も「奴」を「ナ」と訓むことが不当であること、さらに「ヒナモリ」から対海国や一大国を「夷(ヒナ)」と結び付ける〝イデオロギー解読″を批判した上で、次ぎように述べている。

 正しくは「ヒヌモリ」。〝太陽の原野を守る官職″である。直前の「大官」と〝直結″した称号なのである。〝遠い大和″を意識してはじめて〝つけた″ていの副官名ではない。それなら「大官」の方にこそ〝遠方にして服属すべき″官名が〝つく″はずであろう。「大和中心主義」に立つ、イデオロギー読解である。

 「奴」は国名の中に頻出していた。二つの「奴国」のほかに「弥奴国」「姐奴国」「蘇奴国」「華奴蘇奴国」「鬼奴国」「烏奴国」「狗奴国」である。どれもみな「奴」を「ヌ」と訓み、「野」の意として解釈してきた。ここでも「野」という意とする解釈は筋が通っている。

 大官「ヒコ」は行政全体を統括する首相のような役職である。また、各国には租賦や市の交易を監察する使大倭がいるので、副官の担当はそれ以外の重要事ということのなろう。その重要事とは、当然、もう一つの経済産業基盤である田畑・山林の統括(漁労も含んでいたかもしれない)ということになろう。「ヒヌモリ」=「太陽の原野を守る官職」という解釈は妥当だと思う。
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2012/11/20(火) 19:49 | | #[ 編集]
これからもいろいろ
勉強するために、ブログを読ませていただきたく思います

よろしくお願いします。
2012/11/21(水) 18:18 | URL | 竹林乃方丈庵 #LkZag.iM[ 編集]
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