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《続・「真説古代史」拾遺篇》(124)



「倭人伝」中の倭語の読み方(67)
官職名(1):「大倭」とは何か(1)


 「21国」の検討が終わったので、今回から官職名を取り上げよう。「倭人伝」に見える官職名は次の通りである。(訓みは取りあえずは古田氏によるものを採用しておく。また一行目が「官」、二行目が「副」である。)

対海国・一大国
 卑狗(ヒコ)
 卑奴母離(ヒヌモリ)
伊都国
 爾支(ニシ)
 泄謨觚(セモク)・柄渠觚(へコク)
奴国
 兕馬觚(ジマク)
 卑奴母離(ヒヌモリ)
不弥国
 多摸(タモ)
 卑奴母離(ヒヌモリ)
投馬国
 弥弥(ミミ)
 弥弥那利(ミミナリ)
邪馬壹国
 伊支馬(イキマ)
 弥馬升(ミマシ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳鞮(ヌカテ)
狗奴国
 狗古智卑狗(ココチヒコ)

 このほかに、検討すべき事項が二つある。大倭(ダイヰ)と一大率(イチダイソツ)だ。各国の役職名の検討の前に、この二つを取り上げようと思う。

 大倭が出てくるくだりは従来は次のように訓まれている。

國國市あり。有無を交易す。大倭をしてこれを監せしむ。
(原文)
國國有市交易有無使大倭監之


 一大率は上の文に続いて書かれていて、次のようである。

女王國自り以北には、特に一大率を置き、検察せしむ。諸國之を畏憚(いたん)す。常に伊都國に治す。

 ではまず「大倭」から。「使大倭監之」をどう訓み、どう解釈するかで、従来から諸説紛々なのだった。「井の中」の諸説を水野氏がまとめているので、まずはそれを見ておこう。

藤間生大説
 「倭」は人と委とが合体したので、これを二字に分けて解釈する。倭人の身分に「大人」と「下戸」があるが、もちろんこの「人」は「大人」を表す。「大人をして之を監するを委ねしむ」と訓み、監督するのは大人であるとする。

 こんな珍説をよくまあ思い付くものだ、と感心してしまう。さすがに水原氏も「二字を一字にまとめて二字に読ますというのは異法である」とこの説を一蹴している。

植村清二説
 「使」字は元は「今」でそれが筆写の間に「令」に誤られ、さらに令と同義の「使」に書き改められたとする。従って原文は「今大倭監之」である。そしてこの文は、「交易有無」につづくのではなく、そこで文章は切れ、「今大倭監之」は以下の文章につづき、「今、大倭の之を監するや、女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。」と訓む。そして大倭とは大和国家のことであり、大和国家が女王国以北の地を、一大率を派遣して統監させていた。

栗原朋信説
 「使」は「便」の誤記である。「便」は「すなわち」と訓む。「便ち大倭の之を監するには」と訓む。そして大倭はもちろん大和朝廷であり、大和朝廷が女王国などを統合支配するために、一大率を派遣し、それが伊都国に常駐し、北九州にあった女王国以北の国々を検察していた。

 藤間説・栗原説はともに「井の中」お得意の原文改定手法を使っている。改訂結果の文字は異なるが、この「大倭=大和国家」説は「井の中」では大手を振ってまかり通っているらしい。水原氏は次のように述べている。

「すなわち吉田説・山田説と同じく大倭大和朝廷説で、女王国は大和国家の管轄下に入ることになる。この点はむしろ喜田貞吉説に接近している。喜田説は女王国北九州説をとりながら、一大率を大和朝廷派遣官とし、後の大宰府の先蹤であるとするのであるが、植村説は一大率を大倭に置き換えて、両者を結合解釈を下したものである。(中略)喜田・植村両氏が中山王国時代の琉球のごとく女王国は魏と大和朝廷とに両属関係を保っていたとするのに同じで、栗原説も女王国は魏と大和朝廷との両属国であったとして、その実例を西域伝にみえる楼蘭国にとって同じ形態であるとする。」

 「大倭」問題を古田氏がどのように解しているだろうか。改めて『「邪馬台国」はなかった』を読んでいたら、「井の中」の諸説を簡明にまとめていた。その中に水野氏が取り上げていない説があるので、それを紹介しよう。

志田不動麿説
 「使」は「代」の誤写である。だから、「大倭に代って」と読むべきである。

坂本太郎説
 「大」は「一人」があやまってくっついてしまったものである。もと「一倭人」とあったものが、「一人倭」というふうに「倭」と「人」とがひっくり返り、そののち、また「一」と「人」がくっついて「大」となったものであろう。つまり「一倭人→一人倭→大倭」というふうに誤刻されていったのである。

井上光貞説
 「便」は「夫」ではないか。「夫(そ)れ大倭之を監す」と読む。

 何度もあきれ返ってきたので慣れっこになってしまったが、ヤマト王権一元主義の病巣の深いこと、ここに極まれりと言っておこう。中には博士号を持っている方もおいでだが、これはもう学問ではないよ。まるで「とんち教室」だ。

 水野氏は「諸々の改訂説はいずれも恣意的であり実証されていない」と従来の諸説を否定する。そして、原文を改訂せず、そのまま「市有りて有無を交易し、その交易のことを大倭という人物に監督させていた」と解釈している。つまり「大倭は大和朝廷でも、大和国のことでもない」「一種の官名」だとして、次のように自説を展開している。少し長いが全文引用しよう。

 女王国統属下の国々、あるいは女王の管轄外の狗奴国にも、倭諸国には相互に商業が行なわれ、物々交換であったにもせよ、互いに有無する物資の交易が行なわれていたのである。すなわち国内の通商関係の存在である。

 これに対し、帯方・楽浪の二郡または諸韓国との間で行なった通商交易は対外的な外国交易である。この対外・対内交易を主宰する権限を女王から賦与され公認されたのが大倭であり、それによって国の内外の交易を監察していたのが大倭であった。

 なぜそういう官を大倭と称したのか、大倭は大人ではない。もちろん階級としては大人階層に入るものであり、国の大人に相当する最上層の大人であるが、大人なるがゆえに大倭といったのではないと考える。

 すでに述べたごとく、かつて倭の大乱以前に倭諸国の代表権を後漢から与えられていたのは倭奴国王であった。倭奴国王に統治されていた倭奴国は、古代航海者の国であり、奴国王は古代航海者を支配した、通商航海王国の経済的基盤の上に権力を築いた王であったから、倭奴国時代にその王は大倭王として倭の諸国に君臨し、国内に、海外交易 ― 主として対漢・対韓交易によって得た物資を交易し、諸国より交易によって集めた物資を海外に交易して利を得ていたので、専業の交易者として通商を一手に掌握していた。倭国において大乱を通して、その政治的権力を失ったとしても大乱後もなお奴国王の対外対内交易権は失われず、経済力は依然として大きかった。そのことは女王国に編成された後も奴国は邪馬壹国に次ぐ人口集密の国であったことからも首肯できるし、とくに海外交易については、伝統的な古代航海者としての技能と知見とは、専業としていた奴国人の手に握られていたのであるから、女王の時代になっても物資の交換は依然として奴国人の手に委ねなければならなかった。そこで女王もそのような経済的な権能を、かつての大倭王としての奴国王に認め、その地位を承認し、対外・対内交易権を与えて、それを大倭として交易を主宰させたというように考える。それゆえ大倭とは奴国王であり、大倭王にちなんだ名称であると考えるのである。

 大倭の監察する倭魏・倭韓の外国交易、倭諸国内(東方倭人国をも含めて)の内国交易は、倭奴国の専業の古代航海民によってのみ独占されていたというわけではなく、『三国志』に記されているように、対馬島民や壱岐島民もつねに船に乗って、九州島と朝鮮半島との間を航海し交易をしていたとあるごとく、沿岸の諸国にはそれぞれ慣海民がおり、専業の航海者もあって、彼らはみな一定の航路にしたがって互いに交易をしていたのである。北九州沿岸の漁撈民や航海民は、それらの地域の江湾を基地として、その特殊な技能と知見とによって国の内外の地を巡航して交易を行なっていた。

 その航路つまり通商ルートは、
(1)
 対魏対韓ルート。北九州←→壱岐←→対馬←→狗邪韓←→帯方・楽浪郡治所。
(2)
 九州東岸ルート。北九州←→宇佐←→日向。
(3)
 九州西岸ルート。北九州←→唐津←→松浦←→平戸←→長崎←→有明海←→天草←→薩摩。
(4)
 瀬戸内ルート。北九州←→瀬戸内←→難波←→紀伊←→熊野。
(5)
 日本海ルート。北九州←→出雲←→但馬←→若狭←→能登。
以上のような五つのルートが考えられ、その交易を監察する権限を掌握したのは、通商王国として君臨した倭奴国王であったので、女王国時代になっても、その伝統的な権威を女王も承認して、従前通り倭奴王をして大倭とし、交易権を掌握させていたと考える。これが私の大倭についての結論である。

 私は九州王朝の中枢国は「委奴国王→倭国王帥升→女王俾弥呼」と継承されたと考えている。この水野説はなかなか面白い説だとは思うが、この説が成り立つためには「奴国が委奴国の継承国であること」が立証できなければならない。「奴」の字が共通であることを根拠の一つにしているようだが、それなら「21国」の中に「弥奴国」など7国もある。水野氏はもう一つ「奴国は邪馬壹国に次ぐ人口集密の国であったこと」を根拠として挙げているようだ。「邪馬壹国に次ぐ人口集密の国」を取り上げるのなら、それは「投馬国」であり、「投馬国」こそ「大倭」という主張も成り立ってしまう。水野説も「恣意的であり実証されていない」と評すほかない。

 では、次ぎに古田説を見てみよう(次回に続く)。
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2012/10/27(土) 09:20:47 | まっとめBLOG速報