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《続・「真説古代史」拾遺篇》(119)



「倭人伝」中の倭語の読み方(62)
「21国」の比定:女王国統属下の国々(その一)


 「21国」の比定が一通り終わった。図示してみよう。

〈第二グループ〉
(9)斯馬国 (10)已百支国 (11)伊邪国 (12)郡支国 (13)弥奴国 (14)好古都国 (15)不呼国 (16)姐奴国 (17)対蘇国 (18)蘇奴国 (19)呼邑国 (20)華奴蘇奴国 (21)鬼国 (22)為吾国 (23)鬼奴国 (24)邪馬国 (25)躬臣国 (26)巴利国 (27)支惟国 (28)烏奴国 (29)奴国

「21国」の比定地

 このように自分なりの説を出してみたが、かならず何らかの推測や保留点が含まれていて「絶対ここだ」と主張できるケースは一つもない。100%正しい説などあり得ないのではないかと思えてくる。この問題を手がけた人たちの説を見ると、まさに十人十色・議論百出・甲論乙駁・諸説紛々といったところ。確実な直接資料がないのだから当然といえば当然な結果である。しかし、まったく信憑性のない説を淘汰することはできる。それは各論者が、「倭人伝」のみならず、日本・中国・朝鮮の史書をどう解読しているかに関わる。もちろん私にはそのような解読を自力で行うことなどできない。全般的に論理的破綻のない説に依拠するほかない。乏しい知識ではあるが、今のところ私は信頼できる説を古田史学以外に知らない。

 ここで「21国」比定に関わる根本的な問題を取り上げよう。「21国」の比定地は「九州内で求めるべき」ではないか、という「愛読者」さんから提起された問題である(6月26日・8月21日付のコメントを参照してください)。「井の中」の「邪馬台国」九州説者たちが何の検証なしに「九州内に求める」ことを前提として議論を始めていると同じように、私は比定国を「銅鐸圏内に求める」ことを当たり前と考えて始めてしまった。この問題をキチンと検証してから始めるべきだった。遅まきながらこの問題を取り上げる次第である。もし「九州内に求める」ことが正しいことになれば、私が九州以外に比定した国はすべてまぼろしの国ということになる。

 まず用語について確認しておこう。これまで「邪馬壹国を盟主とする国々」という意味で「女王国の版図」という言葉を使ってきたが、この言葉は「邪馬壹国が直接統治している国」とか「邪馬壹国の領地」というような意味にも取れるので曖昧な用語のきらいがある。そこで「女王国の版図」に代わって、「倭人伝」中の用語を使い「女王国統属下の国」を用いることにする。また、「21国」(広くは30国)を問題にする場合は「親魏倭国」という言葉を使おう。確認するまでもなく、私(たち)の立場では「親魏倭国」は言わば「女王国統属下の国々」の部分集合である。つまり、銅鐸圏には「親魏倭国」はないという立場である。

 さて、「愛読者」さんから提出いただいた論点を整理してみよう。第一点は「愛読者」さんが
(『古代史の宝庫』朝日新聞社1977年・「『倭人も太平洋を渡った』補一 日本の古代史界に問う1」HPで公開による)
と出典を明らかにしているので、それを直接読んで整理する。

〈論点一〉

 古田氏によれば、弥生中期(紀元前1世紀~後1世紀)では青銅器分布は大きくA:武器型祭祀圏(私は銅鐸圏と呼んできた)とB:銅鐸圏の二つに分けられる。

A圏:細矛・細戈・細剣圏(淡路島以西)
B:銅鐸圏域

  二世紀以降、A圏はさらに二つに分かれる。つまり三つの圏域になる。次のようである。

A西:中広・広矛と中広・広戈圏(北・中部九州)
A東:平剣圏(瀬戸内海)
B:銅鐸圏域

そして、A圏は
「今や東・西二圏に分裂し、それそれ別個の祭祀圏として対立していたのである。」
と述べている。

 この古田説によれば、A西圏が「邪馬壹国傘下の国」である、というのが「愛読者」さんの指摘するところである。

〈論点二〉

 私は「(13)弥奴国(その二)」で、倭王武の上表文を引いて、次のように書いた。

『倭王武の上表文は、まさに九州王朝の「祖禰」が部族国家連合体を形成していった経緯を表現している。その連合体の版図は現在「銅剣・銅鉾・銅戈圏」と呼ばれている領域にほかならない。「銅鐸圏」は異なる祭祀によって統合された別の部族国家連合体である。』

 これに対して「愛読者」さんから次のようは問題提起があった。(2は分かりにくい点があったので、私の理解に沿って書き換えた。多分誤解はしていないと思う。)


 倭王武の言う「祖禰」が何時のころからか定かでありませんが、「東の毛人を征した」のが3世紀卑弥呼以降の九州王朝の天子であれば、卑弥呼の女王国の範囲は九州とその近辺に止まっていたことになります。


 「東の毛人」は、倭国とか倭人・倭種とは別の、5世紀末の概念です。

〈論点三〉

倭人伝中の
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種。」
の解釈の問題である。「愛読者」さんのコメントは次のようである。

「この千里が短里で約76キロですから、九州より東は女王国でなかったという根拠にもなるのでは。」

〈論点四〉

 倭人伝中の
「倭地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なること、周施五千余里なるべし。」
の解釈である。愛読者さんは次のように述べている。

 倭地は「周施五千余里」とあって、「余里」としても短里なら400~500キロ未満です。この範囲は伊万里―関門海峡―大分―熊本―伊万里という4角形位のもので、どう見ても九州内です。

 また、「奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所」とある一方、「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり」とあります。これは千余里(80~100キロ・博多湾から山口の宇部位)離れれば別の倭人の国があるという意味で、21国はその内側とならないでしょうか?

 やはり九州内で求めるべきでは、と悩んでいます。

 次回、この4論点を検討してみよう。
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 コメント
この記事へのコメント
拙考を適切に整理頂き有難う御座います。
古田氏の言われるように「文献上・考古学上の根拠と、それを裏打ちする論理性」
があれば、九州内でも、瀬戸内を含んでも、はたまた、侏儒國・裸國・黒歯国まで含んだとしても莞爾として受け入れられます。
「論と理の導くところいずかたなりと」
今後の論証の展開に期待します。
2012/09/29(土) 19:07 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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