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《続・「真説古代史」拾遺篇》(110)



「倭人伝」中の倭語の読み方(53)
「21国」の比定:(23)鬼奴国


 「鬼の二国」ということで「為吾国」をおいて「鬼奴国」を先に取り上げる。

大家たちの諸説

「邪馬台国」九州説者
橋本増吉・牧建二
 肥後国菊池郡城野郷
宮﨑康平
 肥後国玉名郡。現、熊本県玉名市を中心に荒尾市を含む玉名郡一帯で菊地川流域に広がっていた国

「邪馬台国」大和説者
内藤虎次郎
 伊勢国桑名郷
米倉二郎
 讃岐国柞田駅(くぬたのうまや)で、『和名抄』の刈田郡柞田郷にあたり、現在の三豊郡柞田村附近

楠原説
『[鬼奴](きな)―福岡県山門(やまと)郡瀬高(せだか)町付近』

 遺称地はないが「倭人伝」のこの国名はキノと読むべきなのだろうが、この国名を継承した地名は現在も古代郡郷名にも見あたらない。肥後国菊池郡に城野(きの)郷があるが、この郷名は大化改新(六四五年)直後に築かれた鞠智城にちなむといわれ、また熊本県北部は女王国連合とは別の勢力圏・文化圏に属したと考える。

 それならば、どこに比定するか。私はとりあえず、筑後国山門郡山門(やまと)郷、現在の福岡県山門郡瀬高(せたか)町付近に想定した。その根拠は、一つには弥生遺跡の分布状況、そして『日本書紀』神功皇后摂政前紀が記す土蜘昧・田油津媛(たぶらつひめ)の伝承があるからである。

濃密な弥生遺跡
 福岡県南部で弥生後期の遺跡が集中して発見された地区は二カ所ある。まずは八女(やめ)市西部の室岡(むろおか)地区で、ここは次項の「邪馬国」に比定すべき地と思われる。もう一ヵ所は山門郡瀬高町で、この地こそ私は「鬼奴国」の中心地と見る。

 瀬高町坂田(さかだ)・小川(おがわ)地区は矢部(やぺ)川下流左岸、標高10m内外の沖積平野にあり、弥生後期には三角州上の自然堤防の一角を占めていたろう。小川の鉾田(ほこた)遺跡からは住居址や50以上の甕棺(かめかん)墓群とともに銅鉾片・小型銅鏡が出土し、坂田の定角遺跡では箱式石棺・甕棺墓群が発見された。

 山寄りの瀬高町大草(おおくさ)には斉明(さいめい)天皇七年(六六一年)に築造されたという女山神籠石(ぞやまこうごいし)があるが、その一郭をなす産女(うめ)谷からは弥生後期の銅鉾二本が発掘されている。その埋められた時代が弥生期なのか七世紀の神籠石築造時なのかはわからないが、いずれにしてもこの付近が弥生期から要地だったことを物語る。

 もし、神籠石に先立って弥生後期から原始的な城砦が存在したのであれば、キは「城」であるから「鬼奴」の国名にぴったりの地になる。

(後略)

古田説
 古田氏は「鬼の二国」として解釈している。

 次は「鬼(キ)国」。当然,「鬼ノ城(キノジョウ)」で知られた、岡山県の中心拠点である。神籠石と古型山城(いわゆる朝鮮式山城)の合成型の長大な山城の存在で知られている。

 次いで「鬼奴(キノ)国」。右の「鬼国」の周辺の原野であろう。

 「鬼奴」の訓みを「キノ」としているが、これまでの訓みを踏襲すれば「キヌ」である。やはり「クヌ」と訓み、「ヌ」は「野」の意に通ずる音と解釈する方がよいだろう。

 「鬼」そのものを用いている地名があるのだから、検討に値する。それにしても私には「鬼ノ城」は初耳だ。ネット検索をした。「さいろ社」という出版社のHPに出会った。「激動の医療・福祉分野にキリッと光る、愛と青春の骨太出版社」という楽しい会社説明をしている。そのHPに「鬼ノ城へ、正面から歩いて登る」という記事がある。写真もたくさんあり、軽妙洒脱な文体が楽しい。この記事を利用させていただく。記事の筆者を「さいろ」さんと呼ぶことにする。

 古田氏の文にある通り、「神籠石と古型山城の合成型」ということから、例によって、「白村江の戦」後、つまり七世紀後半に築造されたという説が有力視されているようだ。もう一つは、吉備津神社に温羅(うら)伝説と呼ばれている伝承があり、それを鬼ノ城の起源譚とする説である。その伝説を「さいろ」さんは次のように紹介している。

 垂仁天皇期に、百済の王子・温羅が飛来してこの地に居座った。温羅は吉備冠者とも呼ばれ、バケモンみたいにデカくて野蛮で、略奪暴行などして暴れまわってかなわん。地元民の救済願いに大和朝廷が応えて皇子イサセリヒコ(吉備津彦)を派遣し、温羅を打ち負かした。その温羅の根城だったのが鬼ノ城というもの。これだとおそらく3~5世紀ということになりそうな。

 「さいろ」さんは「井の中」でつくられた偽の古代史しかご存じないようだが、見るべきことはキチンと見抜いている。「さいろ」さんは七世紀説を次のように否定している。妥当な判定だと思う。

 まず日本書紀の防衛説だが、朝鮮半島から大和を目指して軍勢が攻めてくるのを防ごうというときに、こんなに湾の奥深く、しかも海からもかなり離れた場所に城を造るかね?

 大陸軍は当然、船で来るわけで。だとしたら1にも2にもまず関門海峡、さらに船の通路になるような、たとえば下津井みたいなところに巨大な砦を築くべきだろう。実際に対岸の四国では、瀬戸内海に飛び出した屋島に築城されている。

 大陸軍だって、大和を攻めるのにこんなところにまで入り込んでウロウロと無駄な戦をするかね? 鬼ノ城を落としても後ろには山しかないんだが。

 俺は歩きながら、「いや~これは大陸からの防衛説はナイっしょ」と確信したのだった。

 鬼ノ城からは7世紀の土器などが出土していて、それが防衛説の根拠となっているらしい。
 しかしまあこれだけの城だから、7世紀の土器ばかりが出土したとて、もっと前からあったのを7世紀に再整備して使用したっちゅーだけかもしれん。

 問題は、最初に築かれたのはいつで、誰が、何のために造ったのか、ということだ。

 それでは吉備津神社に残る温羅伝説をどう解したらよいだろうか。古い神社に残る伝承は全くの虚構ではないだろう。その伝承の中には何らかの史実が残されていると思う。鬼ノ城にたどりついた「さいろ」さんもそのような立場に立ち、鬼ノ城を見聞しながら鬼ノ城を次のように分析している。

 まさにもう吉備国の奥座敷っちゅーか奥の院っちゅーか黒幕っちゅーか参謀本部っちゅーか最後の砦っちゅーか、肝心カナメの位置に今、立っているぞ! と俺は感じたね。

 こんな山のてっぺんなのに、どえらく立派です。しかもデカイ。
 戦国時代のものではない。吉備津神社の伝説によると、鉄も少なく人口も希薄な古代の話だ。俺の勘では3~4世紀。
 カッポウギみたいな白い貫頭衣を来て、髪の毛を耳の横でチクワみたいに束ねて、首から原始人みたいな勾玉ネックレスをぶら下げてる、あの時代だ。

 こんな城を造るのって、古墳を造るよりずっと大変だったに違いない。
 みなさん、吉備津神社の伝承にあるように、これをポッとやって来たヨソ者や山賊ふぜいが造れると思うかね?
 こりゃあ吉備の国が総力を挙げて造った軍事施設だな・・・と感じないわけにはいかなんだね、俺は。

 朝鮮式の城だとすると当然朝鮮半島の人が技術指導をしたのだろうが、少なくとも地元の吉備王国もしくはその中の有力豪族が全面的に力こぶを入れまくって造ったに違いないだろう、これは。

 そもそも、吉備は朝鮮半島とのつながりが色濃い。

 古代、鉄は朝鮮半島南部の伽耶(加羅)地方の特産品で、日本は鉄を伽耶からの輸入に頼っていた。やがて伽耶からの渡来人がこの地方で砂鉄からの製鉄事業を始めたようで、鬼ノ城の東の尾根のゴルフ場(鬼ノ城ゴルフ倶楽部)開発工事では、大規模な古代のタタラ跡が発掘されたらしい。

 そして、岡山市北部からこの地に至る地域を支配していた豪族は「賀陽(かや)氏」だ。その名前からも渡来系と考えられる。

 以上の鬼ノ城についての「さいろ」さんの解説を、私は大筋において納得した。もちろん、最初から現在見られるような堅固で大きな城塞だったとは限らない。後に補強拡大されていったのかも知れない。しかし、あの場所に何のためにという問題が残る。「さいろ」さんの探求はさらに続き、この問題も取り上げている。いい線行っていると思うが、ヤマト王権一元史観に則った解釈なので納得しがたい部分がある。あとは直接読んでいただくことにしよう。

 「さいろ」さんが言うように、三世紀頃にこの地域で覇権を争う激しい戦いがあったのかもしれないが、私は倭王武の上奏文が語る九州王朝の東方侵攻戦を考えている。その上奏文を再掲示する。

昔より祖禰(そでい)躬ら甲冑を擐(つらぬ)き、山川を跋渉し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を脱すること六十六国、渡りで海北を平ぐること九十五国。

 以上により、私は「鬼国」「鬼奴国」の比定地は古田説を採用する。

 私が「好古都国」に比定した中心地域・上道郡は、「(15)不呼国(その三)」で確認したように、次のようであった。


 東は吉井川を境に邑久(おく)郡、北は東から磐梨(いわなし)郡・赤坂(あかさか)郡、西は御野(みの)郡、南は海に面する。現在の赤磐(あかいわ)郡瀬戸(せと)町の一部と、岡山市の吉井川西岸から旭川東岸に至る南部の沖積平野を中心とした地域で、古代吉備の中心地域の一つであり、多くの遺跡などが分布する。

 つまり吉井川と旭川にはさまれた地域である。現在の岡山市中区・東区辺りが中心地域となる。東方は備前市辺りまで領域にしていたかも知れない。これを考慮して「鬼国」「鬼奴国」を考えてみよう。

 「鬼国」の中心地は当然鬼ノ城を含むことになる。総社市と岡山市北区の北方部分が中心地となる。そして「鬼奴国」の中心地は「鬼国」の南方、総社市・岡山市北区の南方部分と倉敷市辺りとなる。吉備津彦神社を含む。
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