2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。




「倭人伝」中の倭語の読み方(51)
「21国」の比定:(20)華奴蘇奴国


 「華奴蘇奴国」。この二段階呼名を各論者がどう料理しているのか、興味しんしんである。まずは水野氏の語句解説から。

 「華」は音「クワ」「ゲ」で、「はな」「つや」「いろ」「はなやか」「美しくかがやく」「いろどり」「内にみちて外に発するもの」「かざり」「白粉」「文徳」「たちいふるまい」などの義がある。これもまた音の転写で国名を現わす。一般に「カヌソヌ」と訓む。

 手元の漢和辞典によると「カ(クヮ)」は漢音で、「ゲ」は呉音である。

 「華」を「ゲ」と読む例としてすぐ思い付くのは「蓮華」「散華」、また「ケ」と訓む例には「華厳」「法華」がある。どれも仏教関係の言葉である。ともあれ、漢音・呉音の区別がある場合は、呉音で訓む方が妥当する可能性が高いだろう。しかし、「ゲヌソヌ」と訓むのは「和語には本来濁音から始まる語はない」という倭語音韻の基本法則と相容れないので不当である。「ケヌソヌ」と訓む可能性は大だと思う。私は「ケヌソヌ」を採用しよう。

 「華」という文字は倭語の音文字として盛んに使われていると思っていたが、さにあらず。万葉仮名のなかには見当たらない。試みに「華」という文字がどのように用いられているか、①『万葉集』②『古事記』③『日本書紀』で探してみた。①では一例あったが、山上憶良の「沈痾自哀文」中で「華他」(後漢の医者)という人名だった。②では序文に一例だけ。「華夏」という熟語(都邑と同じ意)だった。③ではたくさん使われているが、「華(はな)=花」という例の他は「光華明彩」「光儀華艶」「崇華」などなどすべて熟語であった。もちろん訓は倭語になっている。それぞれ「ひかりうるはしく」「よそひうるはしく」「たかくかざり」などと訓んでいる。

 こうして見てくると、「華」は音の転写文字ではなく、表意文字として使われていると考えるべきだろう。そうすると「華奴蘇奴」を単なる「音の転写」とする「井の中」の説は全て不当と言うことになる。が、いちおうそれぞれの苦心の末の比定地を見ておこう。

大家たちの諸説

「邪馬台国」九州説者
橋本増吉・牧建二
 肥前国神崎郡

宮﨑康平
(水野氏の要約は不正確なので、『まぼろしの邪馬臺国』から直接引用する。)

華奴蘇奴 漢音クヮソド・呉音ゲヌソヌ

 肥後国合志郡(かはしのこほり)、菊池郡(くくちのこほり)。現、熊本県菊池市及び菊池郡のうち白川沿いの大津町菊陽町を除く一帯で、菊池川をはさんでその本流及び支流にわたって拡っていた国。鬼国の北東、為吾国の東部に隣接する国として比定した。

 華奴は菊池川本流に沿った川岸の水田地帯を指し、蘇奴は上流の蘇奴(阿蘇)に近い水田地帯を指しているようである。華(クワ)は川の意で、川奴がつまってクヮド(ヌ)と発音されていたのであろう。その証拠に、後世この地方が合志(かわし)郡と呼ばれるようになったのも、奴の字にかえて、網の目のように小川が入り組んだこの地方にふさわしい水源地帯の意を表す志(シ)(沁みる、湿める)に変わっているだけである。蘇奴もまた菊池市の背後はすぐ阿蘇であり、その阿蘇の蘇奴と混同を避けるために、蘇奴に続く菊池川流域の蘇奴の意味で華奴蘇奴と呼ばれたのではなかろうか。

「邪馬台国」大和説者
内藤虎次郎
 遠江国磐田郡鹿苑神社所在地附近に比定し、祭神不波能母遅(不破貴)久奴須奴神(ふわのもちくぬすぬのかみ)を関係ある神名としている。
山田孝雄
 武蔵国金鑚(かなさな)神社の所在地に関係すると説く。この神社は、埼玉県児玉郡神川村二ノ宮にある、もとの官幣中社で、背後の御室ケ岳を神体とし、祭神は天照大神・素盞鳴尊・日本武尊とする。
米倉二郎
 伊予国神野郡伊曽乃神に比定している。

 宮﨑説にだけ二段階呼名に対する配慮が見られる。その点で他の諸大家とは一線を画している。

楠原説
『[華奴蘇奴](かなそな) - 福岡県甘木(あまぎ)市付近』

 宮﨑氏は「華」を「川」の「カ」と解釈したが、楠原氏は「華奴」を「カ(上)・ノ」と考えて比定地を探している。次のように論じている。

 この国名は前々項「蘇奴」がソネ(曽根)またはソノ(園)であるなら、「上曽根」「上園」のいずれかであろう。ただし、それらの語形の地名が古代から現在まで存続していると考えるより、先の「蘇奴」に対して「カ(上)・ノ~」と位置区分称を冠称して呼ぶようなソネ・ソノを想定し検討すべきだろう。

 結論をいえば、私は小石原川が扇状地に流れ出る現・甘木市中心部付近に比定する。

 その理由の一つは、甘木市甘木と前項の秋月城下町との中間地点にある同市千手(せんず)の集落名に大園(おおぞの)、そのすぐ下手の下淵(したふち)に園田(そのだ)があり、小石原川右岸の三輪(みわ)町依井(よりい)には朝園(あさぞの)集落があるからである。扇状地の扇頂部は砂礫地で、前述したようにソノ(園)として利用し、ソノと呼ばれるにふさわしい土壌である。

 もう一つの理由は、「蘇奴」に比定した現・夜須(やす)町曽根田(そねだ)付近は標高45mであるが、現・甘木市中心部付近は55mでかなり高位にあり、カ(上)と呼ばれる位置関係にあるからである。小石原村からはるばると山地を穿(うが)って流れてきた小石原川は、この地点での土砂の堆積作用が大きく、一方の曽根田川のほうは谷が浅く流路が短い分だけ堆積と浸食の両作用の力が拮抗しているのであろう。「倭人伝」の時代、両地点の標高差がなぜ計測できたのか。そんなことは簡単で、水田稲作民は常時、水がどう流れるかを熟知していなければ農作業にならない。土地の高低は、古代稲作民にとって、われわれが英語や数学を学ぶ以上に必須の学習科目であった。

 地名に使われる「上・下」は、とくに行政地名の場合は、権力中枢からの距離上の位置を表現したケースがほとんどである。「倭人伝」に記された国々の場合、女王国連合はちょうど現在のEUのように共通の想念(おそらく鬼道というイデオロギー)と共通の利害関係(親魏(ぎ)政策)で結ばれた緩やかな同盟であったろう。

 30ヵ国におよぶそれぞれの「国」の内部はともかく、女王国連合相互の関係は当然、中央集権の権力構造にはなかった。ならば、国名に冠称される「上・下」は権力中枢からの位置関係ではなく、自然地理的な上・下でなければなるまい。

 今回の比定地もまた「邪馬壹国」領内である。しかも「呼邑国」を甘木市の秋月付近に比定していた。氏が想定している国の領域はかなり狭いようだ。

 女王国連合は
「共通の想念(おそらく鬼道というイデオロギー)と共通の利害関係(親魏(ぎ)政策)で結ばれた緩やかな同盟であったろう。」
という説には同意できる。

古田説

 「蘇奴国」は、〝阿蘇山を取り巻く原野″の意と思われたけれど、難題は「華奴蘇奴国」だった。この「二階建て」のような「四字国名」は、何物か。この疑問だった。 - それが〝解け″た。

 「華奴」は「火野(カヌ)」だ。〝火の燃える原野″の意味である。「華」と「火」とは、〝日本人の「訓み」″では、ほぼ対応している(中国音では「否」(ノウ)」)。

 問題は「二階建て」の構造だ。古事記を見ると、「甲の乙」という形で、「甲」は〝全体の一部″、「乙」は〝全体″を指すことが少なくない。「伊予の二名の島」(上巻)は、「身一つにして面四つあり」として、四国全体を指す、とされているけれど、(甲)伊予(狭)(乙)伊予の二名の島(広)という「二階建て」構造をもっている。要するに、その「全体(乙)」の中の一点(甲)から、〝全体を指す″用法なのである。

 後代の行政制度の中の、「丙(広)の丁(狭)」とは、逆の「書き方」、視点なのである。

 また、「筑紫島」の場合も、「身一つにして面四つ有り。」として、九州全体を指す、とされているけれど、その「一部(狭)」の「筑紫」という視点から、九州島全体を指す、という用法に立っている。

 おそらく、海人(アマ)族が、海の側から一個の「島全体」を表現するとき、自分のいる一個所(狭)を拠点として、全体(広)を表現した、その表記法ではないかと思われる。

 このような立場から見ると、今問題の、「華奴蘇奴国」は、阿蘇山そのものを「基点」として、〝阿蘇山を取り巻く原野″を表記したものであろう。もっと、つきつめれば「蘇奴国の中央に阿蘇山あり」 ― この一点を表記していたのである。

 「二階建て」呼名の解釈には納得できたが、最後の一節がよく分らない。私なりに潤色してみよう。

 古田説を読みながら頭によぎったことがある。三好達治の「艸千里浜」である。

艸千里浜

われ嘗てこの国を旅せしことあり
味爽(あけがた)のこの山上に われ嘗て立ちしことあり
肥の国の大阿蘇(おほあそ)の山
裾野には青艸しげり
尾上には煙なびかふ 山の姿は
そのかみの日にもかはらず
環(たまき)なす外輪山(そとがきやま)は
今日もかも
思出の藍にかげろふ
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望(のぞみ)と
二十年(はたとせ)の月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
そのかみの思われ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齢かたむき
はるばると旅をまた来つ
杖により四方をし眺む
肥の国の大阿蘇の山
駒あそぶ高原(たかはら)の牧(まき)
名もかなし艸千里浜


 この連想からの思いつきに過ぎないが、私は次のように考えた。

 私は艸千里浜に行ったことがないけれども、特にこのような地名が付けられているところを見ると、さぞ美しい原野なのだろう。古田氏は「華」と「火」の音が同じことから、「華奴」を「火野」と解釈しているけれども、私は「華」を文字通り「うるわしい・美しい」という意味と考える。「華奴」とは「蘇奴」(阿蘇山を取り巻く原野)の中でもとりわけ美しい原野である。このように考えると「蘇奴国」「華奴蘇奴国」の比定地は次のようになろう。

 「対蘇国」を阿蘇山の北方に比定したので「蘇奴国」は阿蘇山東南部に広がる地域である。現在の阿蘇郡の東側部分を中心とした地域に当る。その阿蘇郡の草千里浜を含む西側部分を中心とした国が「華奴蘇奴国」ということになる。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
「対蘇国」を阿蘇山の北方に比定したのなら、「華奴蘇奴国」は疑いもなく山鹿市・菊鹿町・鹿本町・鹿北町など「鹿」地名の密集する「鹿本郡」のあたりとなるのでは・・。
同地域は阿蘇の北で、西から鹿本郡・菊池郡・阿蘇郡とつながっています。ここには数えきれないくらいの古墳群・横穴遺跡群があり、3世紀も有力な国であったと考えられますので。
ひょっとしたら鹿本郡=華奴蘇奴国、菊池郡=対蘇国、阿蘇郡(阿蘇山も含んだ郡です)=蘇奴国という、割と単純な比定でよいのではないかとも思います。いかがでしょう。
2012/08/28(火) 20:21 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1779-24e6ad71
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック