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《続・「真説古代史」拾遺篇》(107)



「倭人伝」中の倭語の読み方(50)
「21国」の比定:(18)蘇奴国


 この国名に使われている文字「蘇」「奴」の訓みについてはすでに議論済みなので、水野氏も訓みについては「音を転写したもの」と簡単に済ませて、直ちに諸大家の比定地紹介を行っている。(「?」付きの訓みは私の推定)

大家たちの諸説

「邪馬台国」九州説者
新井白石
 肥前国彼杵(そのぎ)郡(「ソノ」?)
橋本増吉
 肥後国佐野(さの)郷(「ソノ」?)
牧建二
 「ソヌ」と訓んでいる。  白石と同様、彼杵郡に比定。ただし、橋本説の可能性もあるとしている。
宮﨑康平
 「ソド」と漢音で訓んでいる。(直接調べた。)
 肥後国阿蘇郡とし、現在の熊本県阿蘇郡の阿蘇山火口原にひろがる白川上流域の水田地帯。

「邪馬台国」大和説者
内藤虎次郎
 伊勢国多気郡佐奈県(さなのあがた 「ソナ」?)
米倉二郎
 讃岐国(「ソヌ」?)

 だれも「蘇」という同じ文字が使われていることには頓着していない。頓着できないのだ。九州論者では宮﨑氏(鹿児島に比定)以外は狗奴国を、たぶん、肥後国菊地郡に比定している。それ以南は「狗奴国」同盟国と考えているので「蘇の三国」を阿蘇山近辺に持っていくことはできない。大和論者もちろん九州に比定地を探す発想は全くない。宮﨑氏は直前の国の近隣を次の国の比定地として選んでいるので、たまたま「対蘇国」と「蘇奴国」を阿蘇山の周辺に比定したに過ぎない。次の「華奴蘇奴国」は阿蘇山周辺から離れることになる。

楠原説
『[蘇奴](そな) - 福岡県朝倉(あさくら)郡夜須(やす)町付近』

 楠原氏はこれまで「奴」を「ナ」と訓んでいるので、ここでも本来ない音「ナ」を用いている。一応一貫性はある。しかし、ここでも「ソノか、ソネか」という副題を付けて、「ソナ」には一顧だにしない。今まで通り、「ソナ」が後に「ソノ」または「ソネ」に転訛したという論法である。氏が厳しく批判している諸大家たちの類音探しと同じではないか。違いがあるとすれば、地名の語源を詳しく論じている点であろう。その議論はそれなりに面白い。次のようである。

 「倭人伝」が「蘇奴」と漢字二字で音写した三世紀の列島の地名は、のちのソノ(園)かソネ(曽根)のいずれかに違いない。もっとも、ソノとソネという二つの地名用語は、用例と語源を考えると、どうやら同じ語かとも思われる。

 ソネ(磽こう・埆かく)は『日本書紀』顕宗(けんぞう)紀の歌謡にも載る古い地形用語で、『新撰字鏡』(しんせんじきよう)は「磽碑 土石交堅也」と記す。『日本国語大辞典』は「石が多く地味のやせた土地」のことという。

 「磽」「埆」という漢字には初めてお目にかかったので漢和辞典を引いてみた。

磽确(コウカク)
 石の多いやせた地。墝埆

 これが訓読みでは「ソネ」となるのだろうか。『明解古語辞典』(三省堂)で調べてみた。出典も書かれていた。

そね(磽确・曾根)
 石が多くて、地味のやせた地。「あさぢ原を、―を過ぎ」〔顕宗紀〕

 <岩波大系>では「小确(おそね)を過ぎ」となっている。原文は「嗚贈禰」。

 『日本古代地名事典』は「そね」を次のように解説している。

そね[曾禰]
 『和名抄』摂津国武庫(むこ)郡に「曾禰郷」で見え、兵庫県西宮市小曾根町のあたりをいう。「そね(确)」の意で、小石の多いやせた土地をいう。

 楠原氏の解説は次のように続く。

 地名としてのソネ(曽根・宗根)は、南西諸島から九州西岸沖で海中の岩礁を呼ぶ用語である。沖縄では陸地の集落名も含めて「宗根」の表記が一般的である。私の郷里の岡山県児島湾でも、かつて盛んだった定置網漁の網場(海中の浅瀬)はすべて「~ゾネ」の名があった。

 ソネ(曽根)地名は、全国的には磯海岸や、平野の中の微高地・自然堤防に位置する例が多い。また、関東~東北地方では、山地の尾根筋や峰そのものを指す山名語尾でもある。

 地名用語ソネは、このように海中の岩礁・浅瀬から山頂まで垂直分布するが、共通する要素は「小石や砂礫がつくる高み」である。動詞ソネム(嫉)について『岩波古語辞典』は、「相手をソネ(埆)と思う意。ごつごつして、とがった、不快なものと思うのが原義」と説く。

 一方、ソノ(園)のほうは『日本国語大辞典』は「果樹・野菜などを栽培するための一区画の土地」とし、方言用例として「田や畑などの主要農作物以外に茶・楮(こうぞ)・桐・漆(うるし)などを植える所」(愛知県北設楽(きたしたら)郡振草(ふりくさ)をあげる。つまり、主要農作物に適さない小石・礫まじりの土地がソノであろう。ならば、ソノとソネは同じ起源・語源の語ということになる。

 地名ソノ(園・薗・曽野)は全国各地に多数分布するが、九州では「~園」の語形(発音は連濁で~ゾノと濁る)例がとくに集中して見られる。「倭人伝」の記した旁国21国中には次々項に「華奴蘇奴」の名もあり、この「蘇奴」と二つそろっていることからも「倭人伝」の世界は九州である、と推測してもよいかとも思える。

 「ソノ」地名が「華奴蘇奴」・「蘇奴」と二つそろっていることを根拠に
『「倭人伝」の世界は九州である』
とはずいぶんらんぼうな推測だ。

 次は「ソノ」の比定地の解説。

 ならば、「蘇奴」の地はどこか。私は、現在の福岡県朝倉郡夜須町に比定する。夜須町北部の山間に曽根田(そねだ)地区があり、曽根田川が流れ出て宝満(ほうまん)川に注ぐ。曽根田は「蘇奴」の遣称と見てよいが、その「蘇奴国」の版図は曽根田川の流域、つまり現・夜須町のほぼ全域におよぶと見る。

 この地は筑後平野の北詰に位置し、宝満川とその支流がつくる複合扇状地の扇頂部、すなわち三郡山地の山麓線に沿って縄文~古墳時代の遺跡が多数分布している。弥生期の遺跡では曽根田川が扇央の台地をきざむ東小田地区の峰(みね)遺跡から璧や銅鏡、隣接する七板(なないた)遺跡は弥生後期の大環濠集落址で、鉄戈(てつか)も出土している。

 古墳時代には扇央部の開発がさらに進み、城山(じようやま)(標高130.6m)の北麓の四三島(しそじま)地区に九州最大規模の古式前方後円墳である焼ノ峠(やけのとうげ)古墳(墳丘の全長41m)が築かれている。また山麓地には終末期の小円墳が多く、うち砥上(とかみ)岳山腹にある観音塚(かんのんづか)古墳は赤色顔料で船や人物像が描かれた装飾古墳である。

 夜須町一帯は、『日本書紀』神功皇后紀に層増岐野(そそきの)で熊襲の羽白熊鷺(はじろくまたか)を撃って「我が心則(すなわ)ち安し」とある記事から「安野」の称が生じたという。国郡制で筑前国に夜須郡が置かれ、『万葉集』巻四-五五五には大宰師(だざいのそち)として赴任した大伴旅人(おおとものたびと)の歌が載る。

 君がため 醸(もろ)みし待酒 安の野に ひとりや飲まむ 友無しにして

 だが、「安野」「夜須」の地名が起こる前は、この地は「蘇奴」でありソノ・ソネの名であったはずである。神功皇后紀の「層増岐野」もソノに近い名称である。

 「邪馬壹国」領域内の遺跡・遺物の豊富なことを知れば知るほど、「井の中」でのどの「邪馬台国」比定地も不当であることがいよいよはっきりとしてくる。しかし、「井の中」の住人にはそのような感性は全くないようだ。

 「蘇奴国」の「古田説」については、次の「華奴蘇奴国」のところで一括して取り上げることにする。
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