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《続・「真説古代史」拾遺篇》(103)



「倭人伝」中の倭語の読み方(46)
「21国」の比定:(16)姐奴国(その一)


 この国についてはどの論者もまったく困っているようだ。諸説にざっと目を通したが、私にもまったく手掛かりが浮かばない。ともかく今まで通り諸説を読んでみよう。何か得られるかも知れない。

 まずは訓みから。水野氏は次のように解説している。

 「姐」は音「シャ」「ショ」「ソ」。「シャ」と訓めば「姉」「女子の通称(大姐・小姐)」。「おごる(驕)」という意味は「ショ」「ソ」と訓む。「奴」は前と同じ。国名を「シャヌ」とすれば女治の奴国の義となる。奴国が男子の王国であったのに対し、その分れで姉が王位についていた国の意味で、中国人のつけた国名ともとれる。

 音については『諸橋大辞典』で確認してみた。水野氏の解説とは少し異なる。音は四通りで、それぞれの意味は次の通りである。

[一]シャ・[二]シ
 ①はは。 ②あね。 ③女子の通称。
[三](漢音)ショ、(呉音)ソ
 女のすがた。
[四]ショ
 ①おごる。 ②色白くみめよい。

 この国の漢字表記が音だけではなく、表意文字としての意味も込められていたとすると、「姉が王位についていた国」という解釈は面白いと思う。しかし、もちろん「中国人のつけた国名」ではない。私(たち)は倭人による表記という立場で立論している。

大家たちの諸説

「邪馬台国」九州説者
新井白石
 筑後国竹野郡
牧建二
 日向国西諸県(にしもろかた)郡狭野(さぬ)か、日向国児邑郡都野(つの)郷、あるいは肥後国山本郡佐野(さの)郷かとし、さらに周防国の都濃(つの)郡にも可能性があると説き、周防の地方が女王国の領域か、あるいはそれに近い関係にあった地方であったとする可能性があるとしている。
宮﨑康平
 肥後国益城郡で、現在の熊本県上益城郡および下益城郡の一部で、緑川流域と、御船川流域を占めた、甲佐から御船町一帯に中心をおく国と比定する。「シャヌ」は「サヌ」とも訓めなくはないが、「ソのサヌ」が約まって「シャヌ」となった。「サヌ」の「サ」は「ス」の転音で同義である。川の中の州や、川岸にできた州を利用して水田を営む国の義だというのである。

「邪馬台国」大和説者
内藤虎次郎
近江国高島郡角野(つの)郷・津野神社にあたる地
山田孝雄・米倉二郎
周防国都濃郡、都努国造の本拠地に比定

 宮﨑説以外は訓みについては何も書かれていないので、どうしてそのような比定ができるのか不明だ。「奴(ヌまたはノ)」の一音だけをたよりに比定地を探しているとしたら乱暴すぎる。なお、牧説には「児邑郡」という郡名があるが、地名事典にはそのような郡名はない。訓みは「児湯(こゆ)郡」とおなじだから、この郡の別表記として「児邑郡」という表記もあるのだろうか。

 また、宮﨑説についての水野氏の要約は何を言っているのか、私にはよく分らない。直接『まぼろしの邪馬台国』を読んでみた。以下のようである。

 宮﨑氏は「姐奴」を「シャヌ」と訓んでいる。そして、「シャ」と「サ」は混用されやすい音であり、「特に九州弁にはこの傾向が強い」と言い、「シャヌ」→「サヌ」としている。「シャ」と「サ」の混用の例を7例挙げているが一例だけ示すと、例えば「魚サカナ」→「シャカナ」のようである。この混用は幼児言葉にも多い。幼児はよく「オシャカナ」と言う。そういえば昔同僚に九州出身の人がいたが「お煎餅」を「オシェンベイ」と発音していた。ここで牧氏の比定について思い当たった。牧氏も「サヌ」あるいは「サノ」と訓んでいるのだろう。

 次ぎに、宮﨑氏が「サヌ」を肥後国益城(マシキ)郡に比定する論理は次のようである。

 まず、
「和名抄に益城を萬志岐(ましき)と読ませているが、これは阿蘇や祖母(山)や臼杵と対応して名付けられているので、マスキと読むべきであろう。」
と言う。ここの論理は私には理解不能である。「臼杵 ウスキ」からの連想だろうか。そして次いで、 「益城のマはクマのマであり、スはサ、ソなどのスをとり、この二音を合わせて益の字をあてたように思われる。かつての河口近くに古い地名として隈圧(くまのしよう)(上古は隈牟田という)、中流に申佐(こうさ)(甲は川のこと)が現存するほか、シャがサとなって残っている地名に寒野(さまの マをとればまきに姐奴である)、佐俣(さまた)、入佐などがあり、みな川岸である。」
と言っている。

 この後「キ」の音について講釈が続くがもう止めておこう。私にはとんでもない牽強付会の説としか読めない。このようになる原因は「倭人伝」の「21国」記事に対して設定した氏の大前提にある。氏は「21国」記事は「和名抄」と同じように地理的な順序に記述されていると断定しているのだ。従って前後の比定地の間に当該比定地を探すことになるから、当然無理な推論になってしまう。

 もっとも「牽強付会」という批判はどの論者にも何ほどか該当する批判である。「21国」の比定を実際に始めて見てその難しさをつくづくと感じている。誰がやっても牽強付会的な点が出てきてしまうのではないだろうか。私の説の中にもそのような点が在るに違いない。私自身いつも「これはちょっと無理かなあ」と思いながら書いている。

楠原説
比定地を
「福岡県浮羽(うきは)郡田主丸(たぬしまる)町竹野(たけの)付近」
としている。その根拠はおおよそ次のようである。

 氏も
『「姐奴」ならシャナで(佐野」などを想定すべきなのだろうが、後世の北九州には妥当な地名が見当たらない。』
と戸惑っている。そしてこの突破口をまたも長田夏樹氏に求める。

 この国名については、『魏志』の諸本は「姐奴」となっているが、長田夏樹『邪馬台国の言語』は「姐奴は或は担奴か」とする。私もこの説に従う。「担奴」ならタノが想定できるが、こちらも「田野」の語形の地名は該当すべきものがない。

 そこで、タノはタカノ(高野・竹野など)の約語形ではないかと仮定してみた。すると、のちの筑後国竹野郡の名が見つかった。この地こそ、「倭人伝」が記す「姐奴」じつは「担奴」、タノ=タカノ国ではないか。

 原文改定という禁じ手を用いている上に、「タカノ」→「タノ」という約語形だと言う。言語学に「約語形」という概念があるのだろうか。いずれにしてもこの楠原説も牽強付会の説と言わざるを得ない。この後の議論はもう読む必要はないだろう。なお、楠原氏の比定地は新井白石の比定地「筑後国竹野郡」と一致している。白石の論拠は不明だが、江戸時代に「担奴」説があったとは考えられないから、偶然の一致だろう。

古田説
 次は「姐奴(ソヌ)国」。「姐」は「女子の通称」「女のすがた」「色白くみめよい」(集韻等、諸橋大漢和辞典)などをしめす文字であるから「女山(ゾヤマ)」(筑後山門、福岡県)をしめしているかもしれない(筑前にも「女原(ミョウバル)」(福岡市)があるけれども、こちらは「発音」が全く異系である)。

 「ソヌ」と訓んでいる。「姐」の訓みとして『諸橋大辞典』の漢音・呉音の違いがある[三]を選んでいる。『諸橋大辞典』に従えば意味は「女のすがた」である。古田氏は表意表記の国名と考えて「女」という文字を含む地名を選んでいる。こういうとらえ方もあると思うが、該当地名が「女山」しかないという上の説明だけでは納得しがたい。

 さて、困った。今回も決め手がない。次回はどうなることやら?
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この記事へのコメント
宮﨑康平の言うように、古代 「さしすせそ」は「しゃししゅしぇしょ」に近い音だったといわれ、今も博多弁とか九州弁の例としてネット上でも実例が沢山挙げられています。
たしか「青春の門」筑豊篇で大竹しのぶが「しんすけさん」を「しんしゅけしゃん」といっていた記憶があります。
であれば「讃岐国」は「しゃぬき国」であり、「岐」は壱岐・隠岐・安芸・土岐など地名に豊富に見られる接尾語ですから、幹は「しゃ(ぬ)国」。
讃岐は「サヌカイト」や「細型銅剣」など、石器時代から弥生まで瀬戸内文化圏の中心地であったことは疑えず、21国を九州外に広く求めるなら絶対に入っているはずですから・・。
というわけで「姐奴国=讃岐国説」はいかがでしょうか?
2012/08/10(金) 10:21 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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